(5)約束の失踪
7月の中旬、コルノからイギリスに着いたとメッセージが来た。
異世界への渡河準備について、俺たちはやり取りしないと約束している。
河野千歳が異世界に行く間、失踪あるいは誘拐、行方不明扱いになるのだ。
その際、俺に不利益になることは避けるべきだと提案された。その代わり、それとなくわかるように、異世界へ行く前、暗号的なメッセージを送るとも約束してくれた。
「渡河の日数は星の数でお伝えします。あとは、凛郎へ届いたイギリスからのエアメールについて、もしかしたら警察が来るかもしれません。そのときは何とか理由を付けてください」
俺はその理由創作に取り組みつつ、来たる受験に向けても準備しないといけない。
通う高校の進学先で、一番ランクが高くて現実的なところは地元の県立大学だった。そこの法学部を本命にした。就職先は庁が付くところを目指す。
そんな俺を見て、水島は「お堅い仕事を目指すとは、リアルユイちゃんの力はすごいなぁ」とやはりニヤニヤされた。
コルノは2回帰国したが会う時間はなかった。過密スケジュールという鉄壁のガード。俺は大人しくしているしかない。過分な目標を立てて良かった。気が紛れる。
イベントデートで聞いた歌をダウンロードして、繰り返し聞いた。俺はやれることをする。諦めない。そう鼓舞して毎日を過ごす。
そして一年が過ぎた。
八月の帰国の前に、コルノは家族でヨーロッパ周遊旅行に行くとメッセージが来た。
その五日目。
ルーヴル美術館に明日は行きます。
楽しみ……とは言えませんね。美術は悲しいくらい苦手ですから。
そのあと、念願の五つ星ホテルに泊まる予定です。
それで返信が途絶えることとなる。
これは渡河の暗号だ。
星を渡河の日数に当てると言っていたので、5日間の日程だろう。
メッセージにある、明日。つまり、朝起きた俺がいるこの世界にはコルノはいないということだった。
それがわかると、いつも使っているベッドも、朝食が乗ったら皿も、口に突っ込んだ歯ブラシも違和感があった。
昼頃にコルノのスマホから電話がかかってきた。出ると姉の清香さんだった。妹がいなくなったことを伝えられ、何か知らないか、連絡は来てないか聞かれた。その悲痛な声に胸が締め付けられた。
二日後。
まだニュースにはなっていないが、俺の家にはコルノの予測とおり、警察が来た。
熟年の刑事が俺の部屋の扉の前に立ち、高山と名乗った若い刑事は俺の勧めたクッションに座る。
挨拶もそこそこに、手帳を開いて高山さんは言う。
「イギリスからもらったエアメール見せてくれる?」
俺は机の引き出しから、7通のエアメール出す。高山さんが一読する。
「王国は平和……か。これはどういう意味?」
「オンラインゲームのスターラスターリングのチーム結成の周年記念で、王国ってのは、チームの拠点にしてる国らしいです」
「らしい?」
「俺はやったことないんです。その人たちとも、洋ゲーの英語、読めるようになりたくて、海外の掲示板に書き込んで知り合って。たまたま向こうも日本に興味あって仲良くなったんです」
これは俺が捻り出した嘘だ。頭に叩き込んだ設定。
ただ洋ゲーのことは聞かないで欲しい。親父の持ってたソフトで、だいぶやったけどさっぱり興味がもてなかった。熱量ある語りは自信がない。
「何で住所教えてるの? 普通、フリーアドレスでいいじゃない」
良かった。洋ゲーはスルーだ。
「向こうはメッセージカードの文化だから、カードを送りたいって言われて。それで」
「なるほど。君から送ったことはある?」
「ないです。金、かかるから。それもはじめて来ました」
「さっき言った掲示板って、この7通の人たちだけ利用してたのかな? この人たちは友達関係なのか知ってる?」
「掲示板はほぼ俺とこの7人で使ってました。みんなオンラインゲームで知り合ったそうです。そもそもゲームの仲間内の掲示板ってこと知らずに、俺が乱入したんです。すごく良い人たちでした。ミシェルさんって人が代表で……」
ミシェルっていうのはフリーアドレス内にあった名前だ。そこから拝借した。
「その掲示板は残ってる?」
「いいえ……。ミシェルさんが管理してた個人サイトの掲示板で、サイトも無くなりました」
「なんていうページ?」
「M T STARです」
完全な嘘だ。そんなページはない。
「住所教えたメールアドレスはある?」
「もう削除しました。辛くて……」
「何かあったの?」
「カードが来る直前に一人亡くなったんです。……姉妹で参加している方の、妹さんが死んだんです。掲示板で、一番よくやり取りしてた子でした」
「どれだろう?」
「これだと思います」
ユニコーンの柄のカードを指差す。消印が同じ2通のエアメールがあったので、それを利用させてもらう。そのうちの一つはシールでデコレーションされている。文字も他と違ってカラフルだ。
たぶんこの人だけではなく、コルノが戦いで死んだことは、委託執行者には伝えられていなかったんだろう。じゃなきゃ、素晴らしい日なんて書かない。メッセージを統一したのは、異界の守護執行者の指示とみて間違いない。俺へのせめてもの慰めと感謝のつもりか。メールアドレスが書かれていたのは、よくわからないが……。
「その子が亡くなったのが悲しくて君は一カ月引きこもったの? 山火事があった時、なりふりかまず走ったのもそのせい?」
「……はい。その節はご迷惑をお掛けしました」
「千歳さんとのメッセージもスマホ以外はしてないんだね?」
「はい。スマホのアプリだけです」
「じゃあ、ミシェルさんとは連絡取った?」
「……取りました。千歳さんと連絡が取れなくなってから。エラーでしたけど」
これは本当だ。姉の清香さんから連絡を受けた以上、俺が情報収集するのは自然だろう。
メールボックスを表示し、スマホの割れた画面を高山さんに差し出す。
「……ミシェルさんて方のアドレスって、河野千歳さんは知ってるんですか?」
今まで黙っていた扉の前にいる刑事が言った。威圧感半端ないのに、敬語っていうのがまた怖い。
「知らない、です。教えてないですから……」
教えました、とは言えない。
コルノとイギリスの委託執行者は、このアドレスで知り合った。だけどそのままやり取りするとは思えない。この世界では事件として扱われるのだ。アシが付かないようにするだろうが、ミシェルさんのアドレス執拗にを辿られたらどうなるのか想像できない。
手に汗が滲む。
目の前の高山さんはニコッと笑った。
「そっか。いちおうアドレスとか消印とか控えさせてね。イギリスの人たちと住所交換したアドレス、ここに書いてくれる?」
ほっとする。手紙は持っていかれない。これは形式なやり取りだ。
しばらく高山さんはメモを取ったり、写真を取ったりした。扉の前にいる刑事が口を開く。
「高山、大丈夫そうか?」
「ええ。一年前のことですし、凛郎くんはやっぱり関係ないですね。驚かせてたね。協力ありがとう」
高山という刑事にポンと肩に手を置かれ、ググッと力を込められる。
ミシェルさんの手紙に目を落とすので、それを見るとメモが置いてある。直感的にそれを手で隠すと、高山さんは肩から手を離した。
二人の刑事が部屋から出たあと、メモを読む。
他のやつに今のことをいうな
タカヤマにならいう、といえ
コウノチトセが戻らなかったら、また来る
それまで余計なことをするな、ぜったい‼︎
このメモはやいてすてろ
「……は?」
不穏なメモだった。まるでコルノが戻らないような。
そしてそれは的中した。
コルノは2週間経っても戻らなかった。