主から虐げられていた侍女は、隣国の使い魔と知り合い幸せをつかむ
「今日も、良い天気だな……」
マリーは空を見上げ大きく伸びをすると、中庭の木陰に腰を下ろす。
王城内の食堂で昼食を済ませ、建物裏の人気のないこの場所にやってきて外の空気を吸い、束の間の休息を取る……これが彼女の日課となっていた。
辺りに人がいないことを確認して、マリーは口を開く。
『色の種類は数あれど~黒に勝るものはなし~♪ 白は清廉、赤は高貴の色なれど~それでも黒に勝るものはなし~♪ 青は~』
亡き母がよく口ずさんでいた、母の故郷である隣国の歌。
数ある色の中で一番地味な『黒』を称える歌詞なのだが、マリーにはどういう意味なのかはわからない。
ただ、母と自分の髪色が黒なので、昔から好んで歌っている歌だ。
⦅わあ、声も綺麗だなあ。こんな声で歌われたら、フフフ…ボクは、なんだかくすぐったいよ⦆
嬉しそうな、でも少し恥ずかしそうな声が、頭上から聞こえてきた。
マリーが見上げると、一羽の黒い鳥が枝にとまっている。
金色の嘴に漆黒の羽を持つ珍しい鳥だが、隣国の言葉を話しているので、あちらから飛来してきたのだろうか。
『声を褒めてくれて、どうもありがとう。あなたの嘴はお日さまみたいに光り輝いているし、羽は艶があってとても綺麗よ!』
綺麗な声と言われて、マリーはつい黒い鳥に話しかけてしまった……いつものように。
⦅……えっ!? 君、ボクの言葉がわかるの?⦆
黒い鳥が驚いたように目を見開き、マリーを見下ろしている。
嘴と同じ金色に輝く目が彼女からもよく見えた。
「あっ、えっと……」
まさか返事が返ってくると思っていなかったマリーは、言葉につまる。
黒い鳥が言った『ボクの言葉がわかるの?』には、二重の意味があるのだ。
一つは、『隣国の言葉が理解できる』ということ。
そしてもう一つは……『君、ボク(鳥)の言葉がわかるの?』
マリーは幼い頃から、動物たちが何を話しているのかなぜか理解できてしまう。
脳内で自動的に変換されるのか、のんびりと牧草を食む牛や羊、縄張り争いをしている犬や猫などの鳴き声が人の言葉として聞こえるのだ。
空を飛びまわる鳥たちの中で、他国から飛来する渡り鳥の言葉は理解できないこともあるが、彼らの声を聴けばその内容が自然と頭に入ってくる。
しかし、それに対して返事をしたり話しかけても、彼らからは何も反応は返ってこない。
マリーの言葉は、動物たちには通じていないようなのだ。
それでも、彼女はいつも話しかけていた。
マリーのこの能力を知っているのは、亡き母だけだった。
母からは「口外してはダメ!」と固く口止めをされていたので、このことは誰も知らない。
『……私の母が隣国の出身だったから、言葉は問題なく話せるのよ。それと……昔から、なぜか動物たちの言葉がわかるの。でも、返事をしてくれたのは、あなたが初めてよ』
動物たちが何を話しているのか理解はできるが、会話を交わすことはできなかった。
それを伝えると、今度は彼が慌てた(ように見えた)。
⦅その、実はボクは……『使い魔』なんだ⦆
『使い魔……そうだったの。じゃあ、あなたの御主人様もこちらに滞在されているのね』
だから会話が成立したのかと、マリーは納得する。
この国では見かけないが、隣国には王族に仕える様々な能力を持った魔法使いたちがいて、彼らが使い魔を使役しているとマリーは母から聞いたことがあった。
そして、今この王城の離宮に、その隣国の第一王子が滞在しているのだ。
⦅うん、そうなんだ。ホントに人……使い魔使いの荒い方で、ボクはいつも大変なんだよ⦆
『ふふふ、お互い苦労するわね』
人に使役されているからか、どことなく人間くさい使い魔につい本音がぽろりとこぼれた。
⦅そっかぁ…君も苦労しているんだ⦆
うんうん、その気持ちわかるよ…と言わんばかりに大きく頷いている使い魔が、なんとも可愛らしい。
思わずクスッと笑ったマリーを、使い魔は木の上から不思議そうに首をかしげながら眺めていた。
「マリー! こんな所にいたのね。エリス殿下がお呼びよ。急いで来てちょうだい!!」
同じ主に仕える同僚が、血相を変えて中庭にやってきた。
その表情を見ただけで、何が起きているのか容易に想像ができる。
――また、いつもの癇癪が始まったんだわ……
「はい……」
暗く沈んだ気持ちが声に出ていたのだろうか。
立ち上がり歩き出したマリーの頭を、使い魔が慰めるかのように翼でサッと撫でたあと飛んで行った。
⦅マリー、お互い頑張ろう!⦆ の言葉を残して。
◇
「はあ……疲れた」
マリーはベッドに倒れこむと目を閉じる……が、目を吊り上げて喚きちらす主の姿が脳裏に浮かび、すぐに目を開けた。
第一王女であるエリスの侍女となって半月。仕事中も休みの日でさえ、一時も心が休まる日がない。
「もう嫌だ。カレン殿下のところに戻りたい……」
泣き言を言ってもどうにもならないと理解しているが、愚痴くらいは吐き出したい。
「なぜ、私がこんな目に遭わなければいけないの?」と。
◇
マリーは、子爵家の令嬢だった。
五歳のころに子爵である父が亡くなり、叔父が子爵を継いだ。
彼は、美しいマリーの母に自分の妾になれと迫り、それを断ると母子共々屋敷を追い出されてしまう。
その後、母は伝を頼り、王宮内で仕事をしながらマリーを育ててくれた。
母は黒髪に琥珀色の瞳を持つとても美しい女性で、いくつか再婚話もあったのだが、それらを全て断っていた。
母娘二人の暮らしは、裕福ではないが幸せに満ちたものだった。しかし、昨年母が亡くなり、マリーは一人ぼっちになってしまう。
十七歳になったマリーは母そっくりの美貌を余すところなく受け継ぎ、王城内で評判の美女だった。
母の死後、彼女へ求婚話が殺到したが、身分が平民ということもあり、申し出は後妻や妾の話ばかり。そして、親子ほど年の離れた出入り商人の後妻として半ば強制的に嫁がされそうになった彼女に救いの手を差し伸べたのは、第二王女であるカレンだった。
どうしても自分の侍女になってほしいと、結婚話を白紙に戻してくれたのだ。
「どうして、私を助けてくださったのですか?」と尋ねたマリーに、カレンは「あなたの母上に、わたくしも助けられたのよ」と微笑んだ。
第二夫人の母を持つカレンは、幼い頃から第一夫人の母を持つエリスから陰で陰湿ないじめを受けていた。
それを庇い助けていたのが、マリーの母だったのだ。
カレン付きの侍女になったマリーは、心優しい主に誠心誠意仕えた。
このまま一生カレンの侍女としてお側に仕えたい……そう思っていた矢先、エリスの婚約話が持ち上がる。
相手は隣国の第一王子で、国同士の繋がりを強化するための政略結婚だ。
もう、これでエリスと顔を合わせずに済むのだと、マリーは心底ホッとした。
成長してからはいじめはなくなったが、何かにつけてカレンや自分に突っかかってくる彼女が苦手だった。
しかし、マリーはその苦手なエリス付きの侍女として無理やり召し抱えられてしまう……隣国の言葉が流暢に話せるという理由だけで。
◇
目を閉じても眠れそうにないので、マリーは起き上がりランプの灯りを付けた。
小さなベッドと机と椅子しかない一人部屋。それでも、エリスから離れているというだけで、精神的な負担はかなり少ない。
――でも、隣国に行ったら……
マリーは首を振った。考えただけで気が滅入りそうなことには、今は蓋をすることに限る。
気分転換に本を読もうとした、その時、『コンコン』と物音がした。しかし、なぜか扉側ではなく窓の方からだ。
視線を向けると、窓の縁にとまっている黒い鳥が金色の嘴でまた窓を突こうとしている。
マリーが窓を開けると、使い魔はすぐに部屋の中へ入ってきて机の上にとまった。……が、彼女の恰好を見て慌てて目を逸らす。
⦅ご、ごめん。もう就寝の時間なんだね……⦆
『あはは! もしかして、照れてるの?』
黒い顔なのになぜか赤くなっているような気がして、マリーは笑ってしまった。
⦅だって……一応、ボクはお…雄だから⦆
『私は気にしないけど、あなたが気になるのなら上着を着るわね』
寝巻の上に上着を羽織ると、彼はようやくマリーの方を向いた。
⦅その……約束もなしに君の部屋に来たボクのこと、マリーは怒っていない?⦆
『どうして、私が怒るの?』
⦅だって…勝手に君の部屋の場所を調べて…こんな時間に勝手にやって来て…それで…⦆
『でも、私が心配で様子を見に来てくれたんでしょう? ありがとう。すごく嬉しいわ』
ごにょごにょと言いにくそうに言葉を繋ぐ使い魔の頭をマリーがそっと優しく撫でると、彼は気持ちよさそうに目を閉じた。
◇
その日から、使い魔の彼…『メル』は、昼間は中庭の木の上、夜はマリーの部屋にやって来るようになった。
二人はいろいろな話をした。お互いの主の愚痴から、自身のことまで包み隠さず。
⦅そうか……マリーは貴族のお嬢様だったんだ。ホント苦労したんだね⦆
『でも、母がいたから辛くはなかったわ。どちらとかと言うと、今の方が苦労してるわね』
⦅あのお姫様、可愛らしい顔をしてるけど、性格は最悪だ!⦆
エリスの顔を知っているということは、メルは御主人様に付き従ってお茶会の場にいたことがあるのだろう。
『私が前にお仕えしていたカレン殿下は、本当にお優しい方なの。私たちにも心を配ってくださるし、望まない結婚から救ってくださったり。ああ、生涯お仕えしたかったわ……』
⦅あの子は控え目な感じだけど、自分の意見は臆することなく述べるし、国の将来について真剣に考えているし、話題も多岐にわたって豊富だし……ドレスと宝飾品のことにしか興味のない誰かさんとは全然違うな⦆
『ふふふ……メルは使い魔なのに、この国の言葉を理解しているし、周りの人間をよく観察しているのね?』
⦅えっ? ああ……ボクの御主人様が、『おまえも他人事だと思ってボーっとしていないで、一緒に言葉を覚えろ!』とか『ちゃんと、人を見ておけ!』ってうるさいんだ。本当に、使い魔使いが荒いんだよな……⦆
ぶつぶつ文句は言っているが、主の話をしているときのメルはとても楽しそうで、マリーには確かな信頼関係が見てとれた。
おしゃべりなメルに対して、主は基本的には無口な人。しかし、口を開けば毒舌とのことで、よく「おまえは喋りすぎだ。少しは静かにしろ!」と叱責されると嘆く。
その毒舌の主に、道で行き倒れていたところを助けてもらったのが縁で、それからずっと主従関係が続いているようだ。
そんな二人の関係が微笑ましくもあり、うらやましいと感じたマリーだった。
◇
毎日マリーのもとにやって来るメルは、主の目を盗んで来ているのだろう。
いきなり呼び出されることもあるのか、おしゃべりの途中で慌てて帰っていくこともある。
それでも、マリーにとってメルとの時間は、何よりも代え難いものとなっていた。
◇
エリスの侍女が、また一人辞めた。
表向きの理由は婚約が調ったからだと聞くが、それ以外の理由であることは誰の目にも明らかだ。
――隣国に付いて行く侍女は、私だけになるかもね……
最初はマリーも、望まない結婚話を進めてエリスの侍女を辞めようと考えたこともある。
しかし今は、隣国に行ってもよいと思い始めていた。
以前から母の故郷には興味があり、向こうへ行けばメルもいる。
同じ王城内にいれば、また今のように話をすることができるかもしれない。
そう思うだけで、隣国での生活にわずかな希望が持てた。
侍女が辞めたことで、お茶会の席に初めてマリーが呼ばれることになった。
王宮の庭園内にあるガゼボで、国王と第一夫人・第二夫人。隣国の王子とエリス・カレンが出席する。
明日、王子が帰国するので、最後のお茶会が開かれたのだ。
お茶会の用意等はすべて国王陛下付きのベテラン侍女たちが取り仕切っているので、マリーは後ろに黙って控えているだけでよかった。
マリーは、初めて隣国の王子の顔を見る。
艶やかな金髪に、金色に輝く美しい瞳。噂通りの見目麗しいキラキラ王子様だった。
彼は女性たちの話をにこやかな笑顔で聞いているだけで、自分から進んで話をすることはほとんどないと聞いている。
「この国の言葉は聞き取れるけど、まだ流暢には話せないのよね……」と、エリスは部屋に戻ってきてから不満をこぼすが、国王やカレンたちと比べて未だ隣国の言葉を話すどころか聞き取ることさえもできないエリスが、他人のことをとやかく言えるのか?とマリーは内心思っている。
嫁いだらずっとあちらの国で生活をすることになるのに、語学の勉強をしていてもすぐに癇癪をおこすエリスの語学力は遅々として向上していなかった。
王子をあまりじろじろ見るのも不敬なので、マリーは視線を移し、ある人物に目を留めた。
黒っぽいローブを身に纏い、目深にフードを被っているため顔はほとんど見えないが、彼がメルの主である魔法使いだと思われる。
王子の後ろで微動だにせず、彼は静かに控えていた。
辺りをさり気なく見回したがメルの姿は見えないので、彼は今日は部屋で留守番のようだ。
会えるかと期待していたマリーは落胆したが、いつもはおしゃべりなメルが無言でおとなしくしている姿を見たら、きっと自分は可笑しくて吹き出してしまうだろうと思い直す。
それでも、ついその姿を想像してしまいグッと笑いを堪えていたマリーは、バチッと王子と目が合う。
自分を見てフフッと笑った彼はすぐに目を逸らし、エリスの話に相槌を打っている。
――笑われてしまった……
必死で笑いを堪えている姿を、しっかりと見られていたようだ。
恥ずかしくて顔が真っ赤になっているマリーを、また王子が見ている。
「……マリー、このお菓子をカレンへ。わたくしは十分に頂きましたので」
「かしこまりました」
エリスがカレンへ下げ渡すなんて、珍しいこともあるものだ……マリーは不思議に思いながらお菓子の籠を手に取ったのだが、突然足元に出て来た何かに躓いた。
しまった!と思ったが時すでに遅く、勢いあまった籠の中身がカレンの方へ飛んでいく……ことにはならなかった。
前のめりになっていたマリーの姿勢がなぜか立ち直り、手に持っていた籠は中身が飛び出すこともなくそのままの状態を保っている。
こうして、マリーは粗相することもなく無事に侍女としての役目を終えることができた。
大丈夫だった?と視線だけで心配をしてくれたカレンと、エリスの面白くなさそうな表情が、とても対照的だ。
――わざと足を出して、私を転ばせようとしたのね……
◇
「さて殿下、我が娘たちはいかがでしたかな?」
国王が何の前触れもなく突然王子へ話を振ったのは、そろそろお茶会がお開きになろうかという時だった。
しかし、話しかけられた彼は動じることもなく、無言で後ろへ視線を送る。
後ろに控えていた魔法使いがスッと横に出ると王子は彼へ耳打ちをし、しばらくして、大きく頷いた魔法使いは国王へ向き直った。
『おそれながら、私が話をさせていただきます』
恭しく頭を下げると、彼は口を開きこの国の言葉で話し始めた。
「今回の、エリス殿下との婚約を前提としたお話は、なかった事にしていただきたくお願い申し上げます」
彼のあまりにも堂々とした物言いに、周囲が一瞬ポカンとした後ざわめきが広がる。
「な、なんでよ! どうして、わたくしが婚約破棄されなきゃいけないのよ!!」
「お言葉ではございますが、まだ正式に婚約を取り交わしてはおりませんので、『婚約破棄』には当たらないかと。それに、この結果になった理由は、あなたが一番よくご存知ではないですか?」
「はあ?」
「こちらに滞在すること、およそ一か月あまり。こうして交流をはかってきたわけですが……残念ながら、あなたに『一国の妃としての資質は、皆無に等しい』と当方は判断いたしました」
回りくどい言い回しだが、エリスは皆の前で『妃としては無能』とはっきり断言されたのだ。
魔法使いの歯に衣着せぬ物言いに、顔を青ざめさせたのはエリスの母である第一夫人のみ。
国王と第二夫人、カレンは顔色一つ変えず黙って話に耳を傾けており、エリスはいつものように喚き騒いでいた。
「そして、そちらにおられるカレン殿下と、正式に婚約を結ぶことをお許しいただきたいと存じます」
「承知した。我が娘カレンが殿下の御眼鏡に適ったこと、大変嬉しく思う」
「お、お父様!! どうして、わたくしがカレンなんかに負け……」
「……エリス、いい加減その口を閉じなさい」
国王の怒気を含んだ声色に、さすがのエリスも口を閉ざす。
「おまえは理解していなかったようだな。今回、王子殿下が我が国に滞在されていたのは、婚約を前提としたお見合いをするためなのだよ。だから、毎回お茶会にはエリスとカレンの二人が参加していただろう? 其方らと話をして、殿下の御眼鏡に適った方が婚約を結ぶことになっていた。しかし、二人とも選ばれなかった場合は国中の貴族令嬢を集め、改めてお見合いパーティーを開催することになっていたのだ。そうなれば、我ら王族の面目は丸潰れだっただろうな……」
もし、公爵家や侯爵家など他貴族から妃が選ばれるようなことになれば、今後、王女たちは貴族社会でどのように見られるのか、想像に難くない。
国王が安堵するのは、至極当然のことだった。
◇
その夜、マリーは歌を口ずさみながら荷造りをしていた。
明日、隣国へ旅立つカレンに随行する一員に選ばれたのだ。
元々はカレン付きの侍女だったのだから、彼女がエリスへ「マリーを返してください!」と要求するのは当たり前のこと。
その時のエリスの悔しそうな顔を見られただけで、マリーは胸がすく思いだった。
コンコンと、今夜もメルがやって来た。
昼間は彼に会えなかったマリーが喜んで迎え入れると、彼はいつもの定位置である机の上にとまった。
⦅マリー、なんだかすごくご機嫌だね?⦆
『だって、カレン殿下とご一緒できるのよ。こんな嬉しいことはないわ! それに、母の故郷へ……メルが住む国へ行けるんだもの。これからも、あなたといろいろな話ができるのね』
嬉しくて興奮が抑えきれないマリー。
彼女はカレン付きの侍女なので、今と同じように王城内に部屋を与えられる。
そうなれば、またメルがお喋りに来てくれることだろう。
⦅……帰国する前に、君にどうしても話しておかなければならないことがあるんだ⦆
『ふふふ、どうしたの? 急に改まって、あなたらしくないわ』
いつもとは違い、真面目な顔つきをしている(ように見える)メルを、マリーは楽しげに見つめる。
⦅これからボクが話すことを聞いても、お願いだからボクを嫌いにならないでほしい⦆
『私があなたを嫌いになることなんてないわ。それだけは断言できる』
迷うことなく言い切ったマリーを見て、メルは机の上でピョンと飛び跳ねる。
喜びを隠しきれない気持ちを、まるでダンスで表現するかのように。
⦅実はね、その…ボクは使い魔ではな……⦆
メルの言葉を遮るように、ドンドンと扉を勢いよく叩く音がした。
こんな時間に誰かしら?と思いつつ、マリーは人差し指を口に当てメルに静かにするように伝えると、扉の前に立った。
「どちら様でしょうか?」
「マリー、エリス殿下がお呼びだ。今から部屋に来るように」
「えっ、今からですか……」
エリスの伝言を伝えにきたのは、護衛騎士だった。
本音を言えば、もうエリスとは関わり合いになりたくない。しかし、お呼びとあれば従うしかない。
「かしこまりました。急ぎ身支度を整えたら、すぐに参りますとお伝えください」
護衛騎士が帰ったあと、マリーは寝巻を脱ぎ侍女のお仕着せに着替え始める。
慌てて自分に背を向ける律儀なメルの姿が可愛らしく、思わず彼の後頭部に軽くキスをすると、彼はビクッと身を震わせた。
心配だからついて行くと言うメルを何とか説得し、マリーは彼と別れ部屋を出た。
◇
目を開けると、マリーは物置部屋のようなところに倒れていた。
中は薄暗く湿った空気が漂っており、あまり気持ちの良い場所ではない。
なぜ自分がこんな場所にいるのか、メルと別れて部屋を出てからの記憶を手繰るが、頭がズキズキと痛み思い出せない。
部屋の上部に一つしかない小窓から見える空が白んできたので、夜明けが近いようだ。
――大変! 荷物を持ってカレン殿下のもとへ行かなくては……
隣国までの道程は遠いので、朝食を終え次第出発すると聞いている。
部屋に一つしかない扉に手をかけるが、開かない。押しても引いてもびくともしないのだ。
ひやりと嫌な汗が流れると同時に、マリーは昨夜の出来事を思い出した。
エリスの部屋へ入ると、中にいたのは彼女と侍女の二人だけだった。
今までの仕打ちを詫びられ、お茶とお茶菓子を勧めてくるエリスに居心地の悪さを感じながら形だけ口を付けたが、その後の記憶がない。
「まさか、私を隣国へ行かせないために……」
同行する侍女が一人いなくなったところで、出発が延期されることはない。
カレンは心配してくれるだろうが、王子の手前、マリーの捜索に割く時間はないだろう。
「誰か、開けて! ここから出して!!」
扉を叩き声を限りに叫ぶが、何の反応もない。
マリーは諦めずに、何度も叩き叫び続ける。近くを通りかかった人に気付いてもらえば、ここから出してもらえるかもしれないのだ。
カレンやメルと一緒に、絶対に隣国へ行く! その強い思いだけで、マリーは扉を叩き叫び続けた。
◇
どのくらい時間が経ったのだろうか。
マリーは部屋の隅に座り込み、ボーっと小窓から見える空を眺めていた。
日は頂上に昇っているので、もう王子ら一行はこの国を発ち、隣国へ行ってしまっただろう。
扉を叩いていた両手は腫れ、声は枯れて泣き叫ぶこともできない。
ただ絶望だけが、今の彼女を支配していた。
コツコツと人がこちらへ歩いてくる音がしたが、マリーは動かなかった。
もう今さら助け出されても、隣国へ行くことは叶わない。自分は一生エリスに虐げられて生きていくしかないのだ。
――それなら、いっそここで死んだほうがましね……
扉が開き、中に入ってきたのは侍女を連れたエリスだった。
「あらあら、可哀想に……カレンに置いていかれたのね」
あざけるように自分を見下ろすエリスを、マリーは睨みつけた。
「なぜ…こん…な仕打ち…を…」
「ああ、醜い声ね。フフフ、そんなの決まってるじゃない……あんたが、あの女の娘だからよ!」
エリスがマリーを執拗に虐める理由はただ一つ。侍女の中で唯一自分に逆らい、カレンを助けた母への逆恨みだったのだ。
マリーの母がカレンを庇ってからというもの、エリスの嫌がらせ行為はどれも失敗するようになった。まるで、見えない力がエリスからカレンを守るかのように。
もちろん、エリスが嫌がらせの矛先をマリー親子へ向けても、それは同じだった。
「お父様は、選ばれなかったわたくしを家臣へ下賜すると言ったのよ。この第一王女であるわたくしを差し置いて、カレンだけでなくマリーまで隣国へ行くことは絶対に許さない。あの女とカレンの代わりに、あんたを一生苛め抜いてやるから覚悟することね!」
⦅ふざけるな! 覚悟するのは、おまえのほうだ!!⦆
どこからともなくメルの声が聞こえた。マリーが小窓を見上げると、彼が窓に体当たりしようとしている。
『メル…やめ…て…』
この窓は嵌め込み式になっており更に鉄の格子が付いているため、使い魔であるメルでも簡単に破ることはできないだろう。
何度も何度も体当たりを繰り返すメルを止めさせようと、マリーは必死になった。
メルの言葉もマリーの隣国の言葉も理解できないエリスと侍女の二人は、窓にぶち当たっては跳ね返される黒い鳥と、それを必死になって止めようとするマリーを、異様なものを見る目で見ていた。
⦅このままでは、埒が明かないな。マリー、危ないから窓から離れて!⦆
『メ…ル…何をす…る…』
⦅ごめん、ちょっと失礼するね!⦆
メルの姿が窓からふっと消えた。と思ったら、ドーン!と大きな音が鳴り響き、マリーから離れた壁に大きな穴が空いた。その爆風でエリスたちは吹き飛ばされ、彼女の自慢の髪もドレスも埃まみれになっている。
砂埃が舞う中に姿を現したのは、黒っぽいローブを纏った人物。
――メルの……御主人様?
倒れている二人には目もくれず、彼は真っすぐにマリーの方へやって来ると彼女を優しく抱き上げた。
『あ…ありがと…う…ござい…ます…』
ほとんど出ていない声で礼を述べると、彼は大きく頷きマリーへ手をかざした。
体が温かい光に包まれ、マリーは眠気に襲われる。
疲労困憊だった彼女はそれに抵抗できず、ゆっくりと目を閉じた。
◇
再び目を開けたマリーは、自分が天蓋付きベッドに寝かされていることに気づく。
しかも、ここは王城内のカレンの私室だった場所だ。
慌てて飛び起きた彼女の周りには、三人の人物と一羽がいた。
この部屋の主だったカレンと婚約者の王子。それに、籠に入れられたメルと主人である魔法使いだ。
「マリー、無事で良かった……」
目の赤いカレンがマリーに抱きつき、涙を流す。その様子を、隣で王子が優しい笑みを浮かべながら眺めている。
「カレン殿下、ご心配をおかけしまして大変申し訳ございません」
枯れていた声が、普通に出せるようになっている。
泣きはらして腫れぼったかった目も、両手の痛みも何もかもが癒されていた。
「何を言ってるの、あなたは何も悪くないわ。全て、エリスがやったことですもの……」
憤りを隠しもせず、険しい表情でカレンは言い切った。
王子の前でそんな姿を見せていいのかとマリーがあわあわしていると、カレンはクスッと笑う。
「殿下が、『他の貴族がいないところでは、取り繕う必要はない。あなたの素の表情も見てみたい』と言ってくださったの。だから、お言葉に甘えてね……」
「そうでしたか」
幸せそうなカレンの表情を見ていると、この婚約が彼女にとって義務だけではないことがわかる。
――カレン殿下が選ばれて、本当に良かった……
マリーは、自分のことのように嬉しくなった。
「まずは、被害者であるマリーへ報告しておくわね。エリスは、この度の一件で修道院へ送られることが正式に決まったの」
「あの……エリス殿下は、家臣の方へ下賜されると仰っていましたが」
「父…国王陛下は、最初はそのように考えていたのだけれど、今回のことで考えを改めたの。エリスがこれ以上醜態を晒す前にね。行き先は、規律の厳しい北の修道院よ」
「えっ!?」
「しかも、王族としての身分を剥奪された上に新たに爵位を与えないから、エリスは平民になるの。派手で贅沢好きの彼女に、あちらでの生活が耐えられるとは思わないけど、まあ……自業自得だから」
「…………」
カレンも長年エリスに苦しめられてきた被害者の一人だからか、むしろ清々しているように見えた。
「わたくしからの話は、これでおしまいよ。次は彼から話があるそうなので、代わるわね」
カレンが立った席に座ったのは、魔法使いだった。
「マリー嬢、ご気分はいかがでしょうか?」
「先ほどは助けていただいたにもかかわらず、十分にお礼を申し上げることができず申し訳ございませんでした。本当に、ありがとうございました」
「ハッハッハ、礼には及びません。メルがあなたを助けに行くと言って騒ぎ暴れましてね、私は『確たる証拠を掴むまでは、我慢して待て!』と命じたのですが言うことを聞かなくて……結局、壁を壊す羽目になりました」
魔法使いの話によると、朝マリーが姿を見せなかったことで、異変にいち早く気づいたメルが『エリスが何かした!』と訴えた。
マリーが閉じ込められていたのは王城内の庭園の隅にあった今は全く使用されていない物置小屋で、監禁場所はすぐに特定できたが、エリスの関与を示す肝心の証拠がなかった。
エリスを断罪するには、言い逃れのできない証拠を突きつけることが重要。そのため、彼女を油断させようと王子たちは隣国へ帰国したフリをしたのだ。
ただ、いくら使用されていないとはいえ王城内の物を破壊したことに違いはなく、現在メルはその罰を受けている最中だという。
自由に飛び回っていた彼が籠に入れられているのは、その罰の一環なのだろう。
「あの……おそれながら、申し上げます! メルは、私を助けようと必死に頑張ってくれただけです。彼は悪くありません! 悪いのは私です!! 私が代わりにどんな罰でも受けますので、彼を……メルを、どうかお許しください。お願いいたします」
掛け布団に擦りつける勢いで頭を下げるマリーを、カレンと王子はハラハラした様子で見守っている。
魔法使いはフードを目深に被っているため表情を窺うことはできないが、口角は上がっているので、どうやら微笑んでいるようだ。
「メルは、ご覧の通り使い魔……鳥の魔物です。それでも、あなたは彼の代わりに罰を受けると言うのですか?」
「メルが、魔物だろうと人間だろうと関係ありません。彼は私の大切な友人なのです!」
「彼が、魔物だろうと人間だろうと関係ないか……良かったな、メル。いや、『メルヴィン』」
魔法使いが隣に座る王子へ視線を向けると、彼は嬉しそうに破顔した。
『もう、喋ってもいいぞ』
『ありがとうございます。そして、マリー……そんな風に思ってくれて、本当にありがとう! とても嬉しいよ』
『えっ……メルなの?』
彼は紛れもなく王子のはずなのに、どうしてメルの声が聞こえるのか。
『あなたは、王子殿下ではないのですか?』
『ううん…僕の名はメルヴィンといって、『王子殿下』でも『使い魔』でもなく、本当は魔法使いなんだ』
『魔法使い……それでは、こちらにいらっしゃる方は?』
マリーが魔法使いへ視線を戻すと、彼はおもむろにフードを外した。
そこにいたのは、メルと全く同じ顔をした人物……金髪に金色の瞳を持つ、本物の王子だった。
『僕の御主人様は人使いが荒くてね……たまに、こうして身代わりをさせられていたんだ』
苦笑交じりに愚痴をこぼしたメルは、自分の顔に手をかざす。一瞬にして艶やかな金髪が漆黒の髪に変化したが、瞳は金色のまま。
王子の優しげな大人の雰囲気はなくなり、活発そうな男の子が姿を現した。
『今まで、黙っててごめんね。僕は自分の使い魔に意識を移して、活動することができるんだ』
◇
メルは、道で行き倒れていた孤児だった。
視察でたまたま通りかかった王子に拾われて『メルヴィン』と名付けられ、魔法の才能を見出され、以後、主従関係を続けてきた。
初めてマリーとメルが出会った日は、いつものように彼が仕事の息抜きに使い魔の姿を借りて散歩をしているときだった。
木の枝にとまってボーっとしていたメルは、建物から出てきた美しい女性に目を奪われる。
上からじっと観察していると、彼女は綺麗な声で隣国の歌を歌い始めた。
それはメルもよく知っている『黒い髪を持つ人物は、様々な能力を持っている』と褒め称える歌だ。
嬉しくなり、つい大きなひとりごとを呟いてしまったが、まさかそれをマリーに聞き取られるとは思ってもいなかった。
鳥の言葉も自国の言葉も理解して彼女が声をかけてきたことに驚き、返事をしたことで墓穴を掘ったメルは、焦った末に『自分は使い魔である』と嘘をついてしまったのだ。
自分と同じように主に振り回されているマリーが気になったメルは、別れ際に彼女へ自分の魔力をマーキングし後で様子を見に行くことにした。
女性の部屋を訪ねるには非常識な時間だったにもかかわらず、マリーはメルを快く迎え入れてくれたが、自分を使い魔だと信じている彼女を騙していることに胸が痛んだ。
マリーと交流を深めていくうちに彼女がエリスから虐げられていることを知り、メルは主である王子へ告げ口をするが、優秀な主はすでに彼女の裏の顔を見破っていた。
マリーが初めて侍女として参加したお茶会は、たまたまメルが王子と入れ替わっているときだった。
見た目はそっくりでも声までは似せることはできないメルは、ただ笑顔で彼女たちの話に相槌を打つことしかできない。
それなのに、メルはついマリーの姿を目で追ってしまい、それに気づいたエリスから彼女が嫌がらせを受けてしまう。
メルがこっそり魔法を発動させ事なきを得たが、あとで主からしっかりお説教をされてしまった。
マリーの能力を知った主は、自国で魔法の勉強を受けさせるために彼女も必ず連れていくと約束をしてくれた。
メルは安堵したが、一つ大きな問題が残っていた。それは、いつ自分の正体をマリーへ打ち明けるかということ。
意を決し話を始めたメルだったが、邪魔をされた上にマリーが行方不明となり、彼は取り乱した。
あの時ついて行かなかった自分を責め、犯人と確信しているエリスを憎み暴れたのだ。
すぐにマーキングした魔力を頼りにマリーの居場所を突き止め、しばらくはじっとおとなしく様子を見ていたが、どうしてもエリスに我慢ができず主の制止を振り切って助けに行き、最後は本来の姿を晒して壁を吹き飛ばすという暴挙に出た。
マリー救出後は、主から『私の許可が出るまで、喋ることは一切禁止だ!』とメルにとってはとても厳しい罰を受けることになってしまったが、それでも彼は満足だった。
◇
カレンと隣国へ渡ってから一か月、マリーは今日も侍女としての仕事の合間に魔法の勉強をしていた。
教える講師は、もちろんメルだ。
この国へ来てマリーが一番驚いたこと、それはメルが宮廷内筆頭の魔法使いで、見た目も言動も子供っぽい彼が、実はマリーよりも年上の十九歳だったことだ。
「では、今日の講義はここまでにしようか」
「ありがとうございました。メル先生」
「ふふふ、マリーに先生なんて呼ばれると、照れちゃうよ……」
恥ずかしそうに顔を覆うメルを見ていると、マリーは年上なのに可愛いなとつい思ってしまう。
以前と同じく『メル』『マリー』と呼び合い気軽に話をしている二人だが、他の人の前では、マリーはこの国の筆頭魔法使いであるメルを『メルヴィン様』と呼び、メルはカレン付きの侍女であるマリーを『マリー嬢』と呼んでいる。
慣れるまでは気恥ずかしかった二人だが、さすがに最近は取り澄ました顔でやり取りできるようになってきた。
「私、この間初めて猫と会話ができたの! それが嬉しくて、もっと頑張ろうと思ったわ」
「良かったね。マリーは自分の声に上手く魔力を乗せることさえできれば、どんな動物とも会話ができる能力を持っているんだ。そして、君のお母さんも別の能力を持っていた」
マリーの母は、おそらく守りに特化した能力を持っていただろうとメルは考えている。だから、母娘二人でも平穏無事に暮らすことができていたし、カレンもその恩恵を受けていた……と。
しかし、その守りがなくなったことでマリーは辛い経験をすることになった。でも、メルと出会い、今はとても幸せに過ごすことができている。
講義を受けていた部屋から、二人は一緒に出た。
「メルヴィン様、ありがとうございました。わたくしは、ここで失礼いたします」
「お疲れ様でした。また、お会いできるのを楽しみにしております……マリー嬢」
扉の前でメルと別れ近道になる庭園を歩いていたマリーに、通りかかった騎士が声をかけてきた。
「やあ! マリー、君を探していたんだ。今日仕事が終わったら、一緒に食事でもどう?」
彼は侯爵家の次男で、王子がカレンに付けた護衛騎士の一人であるハントだ。
平民のマリーに対し偉ぶることもなく気さくに話しかけてくれる気の良い人物なのだが、高位貴族らしい少々強引な一面もある。
「ハント様、申し訳ございません。今日は、その……別の約束がありまして」
実はさっき、メルに食事に誘われて快諾したマリー。だが、それをハントへ口外することが憚られた。
これまでにも、彼から何度も食事に誘われていたが、マリーは全て断っていたのだ。
「その相手が誰か、聞いてもいい?」
約束の相手が女性なら、今回は諦めて今度また誘うよ。でも、男性なら……
そう言って貴族らしい微笑みを浮かべるハントを前に、マリーは困り果てていた。
「……ハント殿、あまり女性を困らせるものではありませんよ」
マリーを庇うように前へ出てきたのは、別れたはずのメルだった。
「これは、筆頭殿」
ハントは頭を下げ、礼を尽くす。
身分からいえば、平民のメルより侯爵家のハントの方が上。だが、役職ならばメルの方が上位になるのだ。
「彼女と食事を共にしたいのですが、なかなか色よい返事がもらえず、お見苦しいところを……」
「そうでしたか……しかし、今後も彼女から色よい返事はもらえませんよ」
「それは、なぜでしょうか?」
「まだ公にはしておりませんが……マリー嬢は、私の婚約者ですので」
「!?」
メルの発言に驚き固まっているハントへ「この件は、まだ口外しないでください」と伝え、彼はマリーの手を取り歩き出す。
人気のないベンチへ彼女を座らせると、自分も隣に腰をおろした。
「メル、さっきはありがとう。私を助けるためにあんな嘘まで吐かせてしまって、本当にごめんなさい」
「どうして、マリーが謝るの?」
「ハント様はむやみに口外されないとは思うけど、もし私とのことで噂が立ったら、メルに迷惑をかけてしまうわ」
同じ王城内で働いていればわかるが、メルはとても人気がある。
王子の覚えがめでたい筆頭魔法使いであり、見目も良いので彼を狙っている女性は多い。
他国から来たマリーがメルから講義を受けていることを、快く思っていない彼女たちから鋭い視線を向けられることもあるのだ。
「…………」
「メル、どうしたの?」
急に無言になったメルの顔を、隣からマリーが心配そうに覗き込む。
「マリーは……嘘を、本当にする気はない?」
「えっ?」
メルは懐から四角い箱を取り出すと、マリーの目の前で蓋を開く。
中に入っていたのは、金の台座に黒瑪瑙が嵌め込まれた指輪だった。
「本当は、今夜申し込むつもりだったんだけど……」
顔を赤らめたメルが、マリーの手を握りしめる。
「マリー、君が傍にいるだけで、僕はとても幸せな気持ちになれるんだ。君とお喋りをしていると、時が経つのを忘れてしまう。君の歌を聴いているだけで、僕の心は洗われる。君ともっともっと一緒にいたいんだ……だから、僕と結婚してください」
伝えたいことを一気に言い終えたメルは、フーッと息を吐く。
マリーの返答を黙って待つ間、彼の金色の瞳が不安げに揺れていた。
「……私でいいの? メルは、その地位に相応しい人を選ぶべきじゃ…」
「僕は、マリーじゃなきゃ嫌だ!」
握りしめていた手を引き、メルはマリーを抱き寄せる。
大きな腕に包み込まれると、その温かさと安心感にマリーはホッとしてしまう。
メルと出会ってからまだ二か月くらいしか経っていないが、二人はいろんな話をしてきたので、ずっと昔からの知り合いのようにお互いのことをよく理解していた。
――私も、メルと一緒にいたい……
「こんな私でよければ、よろしくお願いします」
「うん、一緒に幸せになろうね!」
◇
メルが指に嵌めてくれた指輪は、マリーの指にぴったりの大きさだった。
黒瑪瑙には、魔除けの他に縁切りという意味もあるんだ…とメルが言う。
「これを、肌身離さず着けていてほしい。マリーにとって『不必要な縁を切る』つまり……『虫除け』ってことだから」
大真面目な顔でさらりと独占欲の片鱗を見せたメルは、少し恥ずかしそうに笑った。
ご覧いただき、ありがとうございました。
この作品に登場した『メル』と『隣国の王子』の出会いの話、短編『メルヴィンとご主人様』もよろしくお願いします。