第3話「剣と魔法と山田」
「起きて、ハインリッヒ」
電流流されたように体をビクつかせ、ハインリッヒは頭を数cm持ち上げた。
まだ視界も、思考の中も、蒸せるような焚火の中。
ようやく目の前が色濃くなってきた。机に垂れた涎も気にせず、手を支えにしてさらに頭を持ち上げていく。
普段は今が何時間目だとか、次の授業は何か、今何時だとか、寝起き直後の関心事は決まっていた。
だが、今回ばかりはそれを差し置いてなお気掛かりなのである。
この人違いをしている、丸眼鏡の少年の言動が。
「歯医者?
誰が歯医者さんだ」
「はぁ。君の名前だろ。
トルク・ハインリヒ・ブロクケン」
「ハイン、リヒ?
(何だ、そのバカが好きそうな長い名前)」
「まさか僕の名前も憶えてないのかい。
僕はヴァレリー・スティードマン」
「ヴァ、ヴァレ・・・眼鏡君」
自分がハインリッヒというのに、それがあまりにも馴染みが無い。
貴様の名前はそれと言われた所で、どうにも聞き覚えも、慣れ親しんだ着心地もしない。
それはなぜか。ここは何処か。眼鏡君と呼ばれ、そっぽを向いてふてくされる少年を再び見つめた。
この男は誰か、いや、違うのである。この男ではなく、
そもそも自分は誰か。そこに答えはあった。
ヴァレリーの服の袖をぐいぐいと引っ張る。
「眼鏡君、教えてくれ。
もしかしてここは、いや、この世界は。
なぜか魔法が使えるのに剣を使うという摩訶不思議な・・・
あの剣と魔法の世界なんじゃないか」
「剣と、魔法。
確かに言われてみれば、そうだね」
「・・・て、転生、した」
ハインリッヒ、いや山田錠は乾いた笑い声を吐き出した。
本当に現実となった。夢ではなく、あの剣と魔法という矛盾した世界に飛び込んだ。
イスを後ろに弾き飛ばし、直立不動となって周りを見渡す。
部屋に敷き詰められた長机の数々、それに添えられた年季の入った木のイス、
中央を見ると教壇、黒板、ここはどうやら教室であるらしい。
窓の外を見ると、魔法の杖のような物から火を出現させる者もいれば、
訓練用の錆びた剣を振るう者もいる。
外の太陽光ではなく、この世界という光がこの男に降り注いだのだと確かに感じた。
・・・名刺・・・
だが、錠の脳裏にふと過るのである。
記憶が蘇ってきたと同時に、ここに来る直前に緊急事態が起きていたことを。
切羽詰まったかのように、錠ことハインリッヒはヴァレリーの胸倉を力強く掴んだ。
「お、おい!
俺は魔法少女じゃないよな!?」
「えっ!?
な、何でっ!」
ヴァレリーは涙目を浮かべ、離してとか細い声で訴える。
ふと我に返り、錠は手を放した。
ヴァレリーが喉元抑えて咳き込む間、錠は自分の手で顔を、髪を触って確かめ、
胸毛を、すね毛の濃さまで確認し、終いには教室であるにも関わらず陰部に目を通した。
そう、『もの』はあった。
山田錠ことハインリッヒはまぎれもなく男なのである。
「俺は、俺は男だ。
男としてこの異世界に転生したんだ、成功したんだっ」
今の彼にとって、途中まで共にいた吉田愛のことや、奇妙な名札の件などどうでも良かった。
ここにある現実、『男として剣と魔法の異世界に転生した』ことが全て。
いや、それ以上の事実などすでに求めようもない。
感じるのである、急激に。体を駆け巡る血液の温かさが、命を稼働させる心臓の爆音が。
それはすでに止まっていることを許さなかった。
錠は駆け出し、窓の外に叫んだ。
「見たか、見たぞ
これがロマンティックかぁあああーーーーーー!!!!」
ようこそ、魔法学園都市『ウェイランド』へ