第4話・夜会の聖女
夜会は好きじゃない。アレッシオはいつも私から離れたところでたくさんの女性に囲まれているから。それでも根が真面目なのか、結婚を決めた父王のメンツを守るためかは知らないけれど、ダンスだけは必ず一回私と踊る。
王太子アレッシオの最初のダンスは妃と。
それだけは三年間守り通されていて、彼に群がる女性たちも文句は言わない。私は滑稽な習慣だと思う。ダンスを踊っている最中だってアレッシオは不機嫌な顔でよそを見ているのだから。
「そんなにイヤなら無理に踊らなくても」
一度だけ彼にそう言った。答えは不機嫌なひと睨みだけ。言葉は返ってこなかった。
彼の優しさとやんちゃさが溶け合った笑顔が好きだったのに、私にはもう向けられない。
悲しいけれどそれを伝えたところで、きっと何も変わらないだろう。
広間の一隅でご夫人の腰に手をまわして楽しそうにしているアレッシオ。彼の愛しのカリーナ様は婚約が解消になった三月後に別の国の王子と婚約をして、そちらに嫁いでしまった。夫君との仲は良好と聞いている。もし私と離婚できたとしても彼はもう、カリーナ様とは夫婦になれない。
恐らくその絶望が彼をあのような人に変えてしまったのだろう。かつてはカリーナ様一筋で、他の女性に思わせ振りな態度をとったり馴れ馴れしく触れたりするような人ではなかったのだから。
私はいつも何も気にしていないよう装う。幸い陛下とその愛妾様(アレッシオの母であるお妃は数年前に亡くなられている)は、私への配慮を欠かさないから立場がないなんてこともない。
だけどエスコートのない身の淋しさと言ったら。時々オスヴァルトがそばにいてくれるけれど、顔の広い彼は多くの人に声を掛けられ忙しい。兄に頼ってばかりいるのもいけないだろう。
リリアに言われるまで気付かなかったけれど、確かに私はオスヴァルトが唯一親しくしている異性で、兄妹といえど血の繋がりもない。いくら私たちがかけがえのない家族だと思っていても、他人がそう思っていないなら距離を置く必要があるのかもしれない。
だけど兄を頼れなくなったら、私はひとりきりでアレッシオに嫌われている現状に耐えなければならなくなる。
それはだいぶ辛い。
友人たちと歓談しながらそんなことを考えていたせいだろうか。ぶつかられた拍子に手にしていたワインをドレスにこぼしてしまった。
仕方なしに、周りに断りを入れて広間を出た。
すかさず付いてきた侍女と護衛の近衛が私の後ろを歩く。だけど侍女はリリアではないし、なんとなく話したい気分ではなかったので無言で進んだ。
今夜も兄の『思い人』についての質問を何度もされて、辟易していた。
と。
「ねえ、アレッシオ殿下がついに愛人を囲ったようよ」
どこからともなくそんな声が聞こえて、足を止めた。
「まあ、本当に?」
「ええ。ほら、三、四日前の午前中に少ないお供で予定外の外出をしたときがあったでしょう?」
「ああ、あれ。珍しいことだったわよね。まさか?」
「そうなのよ!」
三、四日前の外出というのは、私が聖女のお勤め終わりに、帰着したアレッシオと遭遇したときのことだ。確かにあれは外出の理由も目的地も明かされていなくて、珍しいことだとは思っていた。
不安で鼓動が早くなる。
「かなり大切な方のようよ。迎える準備を入念にして、ドレスや何やらを大量に買って贈っているとか」
「そう。だからここ何日か、心ここにあらずなのね」
ふたりの声は柱の陰からするようだ。
「ディートリンデ様も良い方なのに、なぜ上手くいかないのかしらね」
「私たちは楽しいけれどね」
オホン、と護衛が咳をした。女性たちの声が止み、柱の陰からふたつの顔が覗く。私を見て、しまったという表情になった。
アレッシオの取り巻きの令嬢だ。
「あ、あの、私たち」とひとりが言う。「殿下のお側にいますけど、そういうのではありませんから」
「そうです! ただ、楽しくお話しているだけで」
「今の話もただの噂です。お忘れ下さいな」
ふたりは早口で捲し立てると一礼して、パタパタと走り去った。
「与太話ですよ。そんな噂は聞いたこともない」と侍女が言う。
「あの外出は所領で起きた、緊急の問題への対応だったと聞いています」と護衛。
ふたりとも私を気遣ってくれたのだろう。
「大丈夫よ、気にしていないから。だけどありがとう」
私は彼らに笑みを向けて、また歩きだした。
だけれど胸は苦しく、必死に頑張らなければ笑みが崩れてしまいそうだった。
アレッシオはあちこちの女性と遊んでいるけれど、特定の愛人はいない。やはり心はカリーナ様の元にあるから──そう考えていたのだけど、どうやらそうではなくなったらしい。新しく大切な方ができたのだ。カリーナ様でも私でもない誰かが!
私はアレッシオに嫌われているだけでなく、邪魔な存在になってしまった……。
◇◇
気を緩めると涙がこぼれそうだったけれど私が広間に戻らなければ、先ほどの令嬢たちがあることないこと噂をするかもしれない。
そう考えて着替えを済ますと夜会に戻った。
顔には笑みを張り付けて、客人たちに対応する。
そこへ
「ああ、参ったよ」
と、愚痴をこぼしながらオスヴァルトがやって来た。昼間に私室で会って以来だ。
「一歩進むたびに呼び止められる。『思い人は?』ってね」
「困ったわね」
「みなが噂に飽きるのを待つしかないな」そう言ったオスヴァルトは私の手を取り、「僕の妹は今夜も可愛らしい」と微笑む。
しばらくの間みんなで歓談し、それから兄に促されてふたりでその場を離れた。
「アレッシオ殿下にも挨拶をしてきたけどね」と兄は顔をしかめる。「なぜ僕の前でも堂々と他の女性の腰を抱けるのだか」
「……お兄様。何かお話があるのでしょう?」
彼もアレッシオの噂を聞いたのだろうか。
「ああ。大切な話だよ」
彼はそう言って、広間を出てひとけのない廊下の一角に私を連れ出した。柱と柱の間にある椅子に並んで座ると、兄の従者が見張りをするかのようにそばに立った。
「実は以前から、義父上が陛下に奏上していた。アレッシオ殿下の態度が改善されないならば、離婚をして君を解放してほしい、とね。」
オスヴァルトはそう言って笑みを浮かべた。
どうやら噂のことではないらしい。だけどこの流れはもしかして……。
「君が聖女である責任をしかと理解して軽率な行いをしないことは、この三年で証明できている。国民ももう君を信頼しているから、彼らに向けたアピールも必要ない。
だから陛下もついに認めて下さった」
「……離婚を?」
「そう」
「アレッシオ殿下も?」
「いや、彼は知らない。決めるのは君だ。離婚後、君が聖女の勤めを怠らない限り、誰と再婚しようと構わないと陛下は仰ってくれたそうだ。ただし、来月の結婚記念日を過ぎるまで待ってほしいとの条件付きだ」
「なぜ?」
「陛下は殿下を説得したいようだ。君は王子妃としても素晴らしいから、失いたくないらしい」
兄から目を離し、広間のほうに目をやった。彼も陛下もまだ噂を知らないようだ。
国王陛下は私をずっと気に掛けてくれている。ただ、息子をかばいたい気持ちもあるのだろう、『君のほうからも歩み寄ってくれないか』と幾度となく頼まれていた。
その度に、歩み寄るも何もアレッシオはとりつくしまもないのだ、どうにもならないではないかと心の中で思ってきた。
彼のことを相談したくても、王宮に私の話を聞いて仲立ちしてくれる人はいない。陛下はお妃を亡くして久しく、愛妾はいるけれど控えめな方で私たちとは距離を置いている。
「……失いたくないだなんて、光栄なことだわ」
「だからといって、君が彼を耐える理由にはならないよ」
「そうね」兄に笑みを向け、安心をさせる。「ありがとうお兄様。お父様にも伝えて下さいな」
「離婚をするかい?」
「期限まで待ってから決めるわ」
「分かった。僕から殿下に何か進言することはあるかな?」
「ないわ」
「そうか」
オスヴァルトは私の頭を撫でた。
「君は強い子だ。だけどもっと他人を頼っていいんだよ」