第2話・夫と聖女
王太子と聖女の結婚。もちろんのこと、政略以外の何物でもない。先代聖女が自由恋愛をしたあげくに国を捨ててしまったせいだ。私は『国民を安心させるため』に王命により王太子と結婚させられた。私に拒否権はなく、それはアレッシオも同様だった。
だけど陛下には私たちなら良い夫婦になれるとの考えがあり、その上で下した命令だったようだ。
というのもアレッシオと私は幼なじみなのだ。私の祖父、バイルシュミット公爵が宰相をしていた関係で、私は年の近い王子王女の遊び相手として幼少のころから王宮に出入りしていた。
昔のアレッシオは周りの大人が手を焼くほどやんちゃで、木登りや池での水泳と、とうてい王子とは思えない遊びが大好き。しかも勉強をサボるのも日常茶飯事。お付きの人たちがどんなに警戒していても、上手く抜け出してしまうのだ。私もそれによく付き合わされた。あの頃の私たちはとても仲良しだったから。
この関係は祖父が亡くなったあとも、アレッシオが隣国プレッソの姫と婚約をしたり王女が他国に嫁いでも、変わることはなかった。
平和で穏やかな日々。それが一変したのが、先代聖女の駆け落ちだった。彼女の失踪は突然で、しかも結界を張るお勤めをしていなかったらしい。聖女が出奔した翌日には結界が消え、魔物が襲来。
神官たちは結界張りを、武官たちは魔物の討伐を、それぞれに頑張ってくれたおかげで数日後に日常を取り戻すことができたけれど、国内各地に甚大な被害が出て多くの人が亡くなった。
だから、王が新しい聖女を国に繋ぎとめるため王子と結婚させようと考えたのは自然なことなのだろう。二度とあの悲劇を繰り返してはならないのだから。
昼餐会のため、聖女の礼服から王子妃らしいドレスに着替えて部屋を出る。
廊下には所在なさげな様子でアレッシオが待っていた。
彼と私は夫婦だけど書類上でしかない。だから部屋も別。彼は私が妻であることが嫌なのだ。それでも夫としての表向きの役割はきちんとこなそうとする。
表情のない顔をあらぬ方に向けたまま、私に腕を出す。私は黙ってその腕に手をかけた。
昼餐会を行う食堂の前で待っていればいいのに、こういうところは律儀なのだ。
いつも通りに無言で歩く。沈黙がむなしいけれど慣れてはいる。もう三年もこうなのだから。周りをついてくる侍女や侍従だって慣れっこだ。結婚する前は仲の良い友人同士だったのに、今では必要最低限の会話しかない。
望む相手と結婚できなかったからといってアレッシオのこの変わり様はひどいと思う。私がワガママを言って彼の妻になったわけではない。王命で、しかもあの悲劇を二度と起こさないため、国民を安心させるためなのだ。
それを理解できないアレッシオではないはずで、だとするとよほど私との結婚が嫌だったのだという結論になる。
彼の元婚約者、隣国の姫君カリーナ様はとても美しい方だ。どことなく儚げで女の私でさえ守ってあげたくなる。それでいて王女としての矜持があり、一本芯が通っている。博識で思慮深く、才色兼備という言葉は彼女のためにあると思えてしまう。
そんな彼女の姉がアレッシオの叔父に嫁いでいて、そのためカリーナ様は我が国によくお越しになる。私たちと年が近かったから共に過ごすことが多く、そんなときのアレッシオはやんちゃさを隠して紳士的に振る舞うのが常だった。
誰が見ても彼にとってカリーナ様が特別な人であることは明白で、ふたりの婚約が決まったときは盛大にお祝いをしたのだった。
だというのに前聖女の身勝手な駆け落ちのせいで、彼はカリーナ様の代わりに私と結婚しなければならなくなってしまったのだ。
相当に落ち込んだのだろう。 私への態度はガラリと代わり、やがて多くの女性を周囲に侍らすようになった。
陛下はこの結婚は失敗だったと後悔しているらしい。
ただ、私たちの内情を知らない国民たちに安心感は与えられてはいる。陛下の目的は果たされているから、離婚なんてことにはならないだろう。
アレッシオの絶望は、理解できなくもない。
◇◇
「オスヴァルト様はご結婚はなさらないのですか」
投げ掛けられた質問にカトラリーを持つ手を止め、声の主を見た。最近親交が深まりつつある異国からの客で、公爵夫人だ。
この質問は何百回もされてきたもの。私は笑みを浮かべて
「兄は理想が高すぎるのです」といつも通りの言葉で答える。
「分かりますわ」としたり顔の公爵夫人。「あれほど美しくて才に溢れるならば、そうもなりましょう。ですが公爵家の嫡男ですから後継を遺すことも考えなくてはなりませんよね。こちらの国は長男相続制なのでしょう?」
「ええ」
と私はそれだけを口にする。
我が国は完全なる長男相続制度で、親の全財産、爵位や家督も、長男が受け継ぐ決まりだ。次男以降と女子には一切相続権がない。といっても大抵の親は存命中に長男以外に財産分与をするので、あまり問題はない。
問題が出てくるのは、うちのようなケースだ。
父の再婚によりバイルシュミット公爵家の長男となったオスヴァルト。彼は公爵家の血を引いていないにも関わらず、いずれ爵位と全財産を引き継ぐことになる。父はそれを承知の上で再婚した。
だけどオスヴァルトのほうが、気にしているのだ。義母は結婚の翌年に男の子エーミールを産んだのだけど、そのエーミールが継ぐべきとの考えに凝り固まっている。
親戚連中が陰で文句を言っているせいもあるだろう。
だから彼らはもし自分が公爵家のすべてを相続しても弟に譲ることができるように、結婚せず勿論子供ももうけずにいようとしている。
「それでオスヴァルト様の理想はどんな方なのでしょう?」
夫人には年頃の娘が三人いるという。きっと縁組みを望んでいるのだろう。
「兄の理想は……」
「『理想』は口実」
私が喋ろうとしたのを遮って、そんな言葉が発せられた。アレッシオだった。
「結婚をしないための言い訳にすぎない。聞くだけ無駄」
食卓についている客たちが一斉に彼を見る。
「オスヴァルトが結婚しないのは思い人がいるからだ」
まあ、という声があちこちから上がる。
「……アレッシオ様。兄にはそのような相手はおりません。何か誤解なさっているのではありませんか」
「違うのは君が一番良く知っているではないか」アレッシオは私を見ないで答える。「いつまでも周りに期待をさせていてはいけない。ご夫人」と彼は異国の公爵夫人を見た。「お嬢様方のご結婚相手ならば……」
アレッシオはそう言って、幾人かの青年の名前を上げた。彼らはその話で盛り上がり、私の隣の客人は声を潜めて
「兄君のお話は本当で?」
なんて尋ねてくる。
「まさか。彼は勘違いをされているのでしょう」
私はそう答えながら、アレッシオを盗み見た。私には見せなくなった笑顔を客人たちに惜しみ無く振り撒いている。実に楽しそうだ。
だけど先ほどの発言は何だったのだろう。今まで一度だってアレッシオがそんなことを言ったことはなかったし、当然のこと事実でもない。オスヴァルトとはあまり親しくないし、かといって犬猿の仲ということもない。誰かに間違った情報を聞かされたのだろうか。
どうせなら、私に思い人がいると気づいてくれればいいのに。