36.背中を押すよ
「やっと片付け終わったー!」
「流石に疲れたねぇ。」
「うん、私もお腹ぺこぺこ。」
色々ありながらも、私たちは無事に同棲が始まった。
なんとか引っ越しの片付けを終わらせて、昼食につく。大学の時から住み慣れた家から離れるのは少し寂しいけど、晴も一緒にいるわけだから問題なし。
「オレ焼きそば食べたい気分かも。いい?」
「うん。いいよ?」
マイペースに晴はピカピカのキッチンに入る。
お互いの家具はなるべく持ち込んで無駄なものを買わないようにした。結局ベッドも大学から使っていたものを持ち込んだ。
まぁ、その時も同じ家具屋で買ったわけだからお揃いみたいなものなんだけど。
私は新品のソファに体を沈める。
焼きそばのいい匂いが届いてくる。
「あんまりぐだってると午後の来客対応できなくなるよ。」
「うーん、そうなんだけどね。」
「ほら、オレたち山部さんと藤島さんの仲を引き裂いちゃったんだからさ。」
「言い方。」
そう、私たちは同棲のベッド問題で藤島さんと透子に相談した。まぁ色々あって2人の意見は割れてしまい、喧嘩別れみたいになってしまった。
原因の私たちはそれこそ2人の提案のおかげであっさり仲直りしたわけなんだけど、2人は元からそんな交流が深いわけではないからそのままらしい。
藤島さんは透子に片想いしているんだけど、やっぱり最近メッセージが冷たいらしい。隣のデスクから休憩のたびにどんよりした空気を流しているようだ。
いつもならほっとけば、と言う晴もさすがに罪悪感があるみたいで、今回のことに関しては特に反対することはなかった。
というか、晴曰く「山部さんも勢いつけすぎて引っ込めなくなってるだけ。」らしい。でも、その時の晴は悪い顔してたから今日も1発くらい食らうんじゃないかなぁ。
「おっ、その顔は何か失礼なことを考えてるね?」
「今日も晴殴られそうだなって。いただきまーす。」
「オレもそんな気してる。いただきまーす。」
2人で手を合わせてご飯を食べる。
今までも当たり前だったわけだけど、これからもこの習慣が続いていく。
そういえば、私が晴のこと好きって気づいたのも何てことのない日常を独占したかったからだっけ。
「どうしたの?」
「……何でも。」
何やかんや晴のこと攻略できて良かったなぁ、なんて呑気に考えながら目の前の焼きそばを頬張る晴を見つめた。
お皿を洗って一息ついているあたりで狛柴さん夫婦が来た。定期検診のついでに来てくれたらしい。もう6ヶ月になったから光莉さんのお腹もふっくらしており、少しだけ大変そうだった。
狛柴さん夫婦が帰るタイミングで藤島さんが訪ねてきた。
実は光莉さんと藤島さん、リアルで会うのは初めてで、オンラインで妊娠していたことは知らされていたけどいざ会ってみて実感したらしい。結構驚いていた。
「そうか〜。狛柴さんもなぁ。そう言えば、九重さんの方の職場の人は来てるみたいだけど八草くんは呼ばないの?」
「そんなの呼んだら姦しい人たちも来るんで藤島さんだけで充分です。」
「……やだ、好き。」
「オレは好きじゃないです。」
相変わらずの茶番。
代わりと言ってはあれだけど、晴は大学の友だちが数人来ていた。それに私たちは共通の友だちが多い。ただいかんせん自由な人たちが多い。
そんなことを考えていると、ほら、言ったそばからチャイムが鳴る。
晴の読み通り、来客はやってきた。
「「「お邪魔しまーす!」」」
「相変わらず自由だねぇ。」
私が玄関扉を開けると、案の定高校の時の友人達、つまりは透子をはじめとした元クラスメイト達が何人か集って訪ねてきたのだ。
朝比奈もそうだけど、私たちの家を公園と勘違いしているんじゃないかな。
でも、今回は晴の手の上で踊らされているに過ぎない。
グループチャットに一緒に住むこととその引っ越しの日を敢えて送ったのだ。彼らは晴が荷物を入れる日程を厳密に調整して1日で片付けをするマメさをよく知っている。だから、翌日勝手に来ると踏んだんだけど、読み通りだった。
「約束してたんすか?」
「違いますよ。大概勝手に来るんです。」
「あれ、お客さん?」
「オレの職場の先輩だよ。ほんっと、アポ無しで来るんだね。」
たいして仲良くない人がやると晴は本気で怒るが、彼らのことは慣れており、呆れたようにため息を吐くだけだ。自分でコントロールしたくせによくやる。
「気にしないで、オレ帰るっすから。」
「急に来たアイツら帰むぐ。」
「晴海のことは置いておいて、えーと、先輩さんが良ければ一緒に引っ越し祝いやりません?」
もちろんわざとなんだけど、晴が帰らせようとする言動をとるのを思惑通りに友だちが止めた。そして、自然な流れで藤島さんを呼び止める。
「えー、いいんすか?」
「いいんすよ!」
「じゃあお言葉に甘えて……。」
そう、藤島さんは断らない。
参加する、そんな空気になってから彼はあることに気づく。でも、もう遅い。
その高校の友人達の中に透子がおり、最後尾から何でいるのだと晴を睨みつけていることに。
藤島さんははじめこそ遠慮していた。
だけど、珍しく晴が自ら招いた先輩であり、黙っていればイケメンの彼が私たちの友達に放っておかれるわけがなかった。
「えぇ、晴海職場でもそんな感じなんすか!」
「よく女の子の誘いを跳ね除けてるよ。」
「頭いいけど相変わらずだなー。」
「うるさいよ、君ら。」
晴は絡まれながらも不機嫌そうに呟く。
ちなみに私の隣はばっちり透子がキープしている。みんなはいつものことだと気にしてないけど、透子の藤島さんへの視線が鋭すぎて私はそちらに向き直った。
「透子……。」
「気にしないでください。お2人が仲直りしてくれたことは何よりですし。それに今回のことも私が意固地になっている自覚はあります。」
おや? 思ったより殊勝な反応だ。
そこでやっと私は気づいた。透子の様子が今までと違うことに。
「仲直りしたいの?」
「……う、はい。でも、許してくれるかどうか。」
珍しい。透子は基本的に反省はするも謝るまで至れないことが多い。しかし、藤島さんを目の前にまごついている。
これは背中を押すしか!
私が内心でガッツポーズをしている間にも後ろで晴達の俗な話は進んでいた。
基本的に私たちの友達はイケメンだからと言って不躾に距離を詰めようとはしない。そもそもそんな人だったら、すでに晴に迫っているだろうし、晴がブチ切れているに違いない。
でも、まぁ酒が入ったせいか話題は恋愛のことだ。
「藤島さんって彼女とかいるんですか?」
「まぁ、前までは。今思い返してみると、何やかんやと八草くんとかとゲームしていることが多い気もしますけど。前の写真見ます?」
「えっ、見たいです!」
藤島さんはスマホを弄ると画面をみんなに見せた。
今は派手なのはつけてないけど、彼の耳たぶには未だガラスピアスは付いている。画面に映る派手な髪の藤島さんの姿に色んな声が飛び交う。
意外とか、かっこいいとか。
「結構遊んでたんですか?」
「この人想像よりヤバい人だよ。」
「ちょっと八草くん! 今は全く遊んでないんすから。」
「へぇ、何でですか?」
「……好きな人がいるんですよ。」
私たちの友人は目を丸くした。
晴が一瞬こちらを見た気がしたけど気にしないこととする。
「じゃあ何、もしかして好きな人のために見かけ変えて彼女も作ってないんですか?」
「……まぁ、そういうことにしておいてください。」
「「わぁーー!!」」
純愛が響いたのだろう、何故か歓声に包まれる。
こんな空気にいたたまれないのではないかと心配になってちらりと横を見てみると驚いた。
初めて透子の赤面を見たからだ。
私が声をかけようとすると同時、藤島さんが席を立った。
「さて、盛り上がってきたところ申し訳ないんですけど、オレ明日用事があるんでこの辺でお暇させてもらいますね。」
「えぇー! でも、仕方ないですよね。」
「引き止めちゃってすみません。また良ければ。」
「はい、機会があれば。というか、この2人の結婚式とか?」
酒が入っているせいか、藤島さんと友人達が力強くハイタッチをしていた。どういうことなの。
私が呆れてその光景を見ているとどこからか視線を感じた。それは勿論晴で、目が合うと頷かれた。
なるほどね、長年の付き合いで言いたいことなんてすぐにわかった。
私は透子に向き合うとあたかも今思い出したかのように手を叩いた。
「あ、そう言えば透子も明日用あるって言ってたよね?」
「なら、藤島さんに送ってもらえばー?」
晴が口を開く前に酔いの回った友人が勧めてくる。晴は自分が勧めずに済んだと、こっそりガッツポーズをしている。私にはバレバレだぞ。
藤島さんは明らかに笑顔が強張るも、あくまでも私たちにわかる程度だ。でも、藤島さんの性格上断れるわけがない。
「あーと、えと、山部さん? ……どうします?」
断れる前提で聞く藤島さん。ビビりすぎでは?
でも、透子はあっさりと。本当にあっさりと言ってのけた。
「ならお願いします。せっかくなので。」
「はーい……。え?」
藤島さんは目を丸くして晴を見た。
晴が頷くと、藤島さんは玄関に向かう透子を慌てて追いかけた。仕方ないから私がホールまで見送ってあげよう。私も席を立った。
「……あれ、そう言えば何で2人話してないのに山部の名前知ってたんだ?」
「藤島さん、耳いいからね。」
「へー。」
ちなみに私たちが去った後の部屋ではそんな会話をしていたらしい。
気まずい。
一言で言えば3人の空間はそんな感じだった。やっぱり弁達者な晴に送らせればよかった。
私がそんなことを後悔していると、不意に透子が口を開いた。
「あの、藤島さん。」
「はい?!」
情けないほどに声が裏返った。本人も情けなかったのか少しだけ肩を落としていたけど、透子はお構い無しにすすめた。
「その、今回のことはすみませんでした。2人の仲直りの経緯は聞いて、私の意見も藤島さんの意見もそれぞれ合っていたと聞きました。」
「まぁ……それは人それぞれだし、そんな気にしてませんけど。」
「……っ、何であなたはいつも!」
不意に顔を上げた透子に藤島さんが分かりやすく驚く。晴が殴られるパターンが頭をよぎったのか、目をぎゅっと瞑った。
しかし、一向に何も来ないため、藤島さんはそのまま。側から見ているとなかなか滑稽なんだけどね。
「……藤島さん。あなたは優しすぎです。私が理不尽に怒っても笑顔で許してしまう。」
「許すも何も。まぁ、確かに苛烈な所はあるかもしれないけど、山部さんが人としてしっかりしていることは知ってますからね。」
「あなたがそう言ってくれるなら。」
透子は頭を下げた。
「ごめんなさい、藤島さん。今回も私が過剰に責めてしまいました。藤島さんが言っていることも間違っていないのに意見も聞かず。」
「……まぁ、あの時はオレも冷静じゃなかったです。ごめんね。」
居心地悪そうに藤島さんが笑うと、透子もまた笑顔をこぼした。
藤島さん、初めてそんな笑顔を向けられたせいか明らかに固まっているけど。
「では、美里さん。今日は急に押しかけてすみませんでした。というか、八草さんと謀りましたよね?」
「さぁ。」
「……たまたまということにしておきましょうか。」
私がわかりやすく誤魔化すと、透子は仕方なさそうに笑う。
「さて、藤島さん。帰りますよ!」
「え、2人きりになるけどいいんすか?」
「いいんすよ。私は藤島さんのことを知らないから理不尽に怒ってしまうんです。なら、知らないと。そこの2人みたいに。」
では、と言うと透子は小さく礼を述べ、颯爽と去っていく。
一方で、藤島さんは信じられないものを見るような目で口を唖然と開いている。
「藤島さん! 早く行かないと!」
「あ、あぁ……、うん! 八草くんにお礼言っといて! 九重さんもありがとう! 仲良くやるんだよ!」
「はーい。」
じゃ、というと彼もまた勢いよく走って行った。
まだまだ時間はかかりそうだけどいつかいい知らせを聞くことができればと願ってしまう。私は追いついた藤島さんを認めると、にやける顔を抑えられないまま、自分の部屋に帰ることにした。




