35.一緒に暮らす、未来のこと
「はぁ〜? これだから美里ちゃんは!」
「そう言われたって譲れないものは譲れないんだから!」
同棲準備中、滅多に起きない事件が発生した。
それは大喧嘩、しかもどちらも冷静さを欠いて怒鳴り合うというもの。私たちの喧嘩はどちらかが怒ったり拗ねたりして、一方は困るとか落ち込むが大概なのだが、今回ばかりは違った。
「どう思う、山部さん!」
「どう思う、透子!」
「……話が全く見えないんですが。」
「大丈夫、オレも。」
到着したばかりの透子は戸惑っており、藤島さんは呆れたように酒を煽っていた。
「聞いてよ! 実は……!」
話は数日前に遡る。
無事互いの両親に同棲のことを報告して、年明けすぐに不動産屋へ行って新居を決めた。
家具選びも何事もなく進んでいた。
だけどあるものを選んでいる時に2人の間の齟齬を知ることになる。
「ベッドはダブルならこのサイズかなぁ。」
「え、ダブル?」
「……まぁ美里ちゃんは小さいからセミでもいいかもしれないけど。」
「いや、小さいけどさ。そういうことじゃなくて。シングル2つなら買わなくていいんじゃない?」
「え?」
「えっ?」
私たちは家具屋のある一角で見つめ合う。
そして、2人並んで店の外に出た。お互いに言いたいことがあったため、店の中で話すと長くなりそうだと察したからだ。こういう時の幼馴染パワーだ。
「……ちょっと、オレ話が見えないんだけど。」
「いや、見えるも何も、私はシングル2つを同じ部屋に並べればいいって言ったんだけど。」
「同じ部屋ならダブルでいいじゃん? いつも泊まりに来た時フツーにオレのベッドで寝てるのに。」
「一時的な泊まりと同棲は違うんだよ?」
「それは分かるけど……。」
納得いかなそうに晴は私のことを睨んでくる。
そして、周りに聞こえないようにこっそりと耳打ちしてくる。
「オレは一緒に寝たいんだけど。」
「なっ、なななな何言ってるの!」
「だから耳打ちにしたんじゃん?」
「そういうことじゃなくて……!」
一気に顔に集まってきた熱を冷ますように手で仰ぎながら私は目の前でバツを作った。
「寝室一緒ならいいじゃん! その、一緒に寝たいだけなら、どっちかのベッド行けばいいし。」
「オレは毎日一緒に寝たいの。何で同じ部屋にいてバラバラにならなきゃいけないわけ? 正直寝相は君の方が悪いんだし。」
「そうだけども……! 時々晴も暴れるじゃん!」
実は酒を飲んだ日の寝相はすこぶる悪い。
眠りが浅いせいか、晴は身に覚えがあるらしく頭を掻いている。まあ、普段から攻撃喰らわせてるのは私なんだけどね。
「理由は寝相だけ?」
「……。」
「じゃないみたいだね、で?」
これは言えない。
私が押し黙ると晴もムッとした顔になった。
この場ではとりあえず寝具については保留になったが、この話に関しては平行線。
「で、さっき藤島さんが準備どうっすか〜って聞いてきたから蒸し返しちゃったの。」
「それは藤島さんが悪いですね。」
「絶対にオレの味方にはならないんすね。それで、オレだけじゃどうしようもないんで職場の近い山部さんも呼んじゃいました。」
「美里ちゃんの味方がいないのはアンフェアだろって。偶数じゃ決着つかないのに。」
不満そうに呟く晴はちゃっかり透子のお酒ついでに自分のお代わりも頼んでいる。
今回も結構ハイペースだけど、連れて帰るの私なんだからね……!
どうしたものかと思っていると意外なところから援護射撃がやってきた。
「でも、九重さんの気持ち分かるかな〜。寝相は分からないけど、こう自分のベッドっていうのが存在する安心感というか。というか、部屋一緒なんだからそれくらい妥協したら? オレだったらそもそも寝室一緒も考えるかも。」
「藤島さん……!」
思わぬ擁護に私は内心ガッツポーズをする。
透子は敵に回らないから3対1、多数決でも勝ったと私は自分の意見が通ることを確信した。
だが、それも一瞬。今度は別のところから意見が飛び出た。
「まぁ、私も藤島さんみたいな人だったら部屋を別々にする気持ちはよくわかります。でも、ちゃんとした理由も説明なしに、っていうのはいささか理不尽では?
八草さんは元々美里さんに限っては甘えたになってしまう人間なんですから。」
「……端々から多方面への棘を感じるねぇ。」
晴も透子の援護は予想してなかったらしく、目を丸くしていたが、ポツリと本音をこぼす。透子には聞こえてなくても正面の私には聞こえてるんだからね。
そこで反応したのはなぜか藤島さんだった。
「一緒に住むったってプライベートもあるし、言いたくないことだってあるんすから、詮索するのも野暮なんじゃ? それに帰ってくる時間が違かったらその気配で起きたりとか。」
「それなら美里さんははじめから部屋を別々にするって言いますよ。これに関しては私たちが首を突っ込むことではありません。2人が話し合うのみです。」
「話し合いじゃ解決しないからこういう場があるんでしょう。」
「お2人とも聡明な方です。必要なのは時間ですよ。」
なぜか透子と藤島さんが睨み合う。
その場の空気の悪さに晴も気づいているらしく、先程から目でどうしようと訴えてくる。
こういう場を納めるのは晴の得意技でしょう。
お互いにテーブルの下で足をどつき合う。
まだ静かに言い合っているのを認めて、晴がやっと口を開いた。
「いやー……何か2人の意見聞いてたら、オレも冷静じゃなかったなぁって。だから、そんなに熱くならなくても。」
「あれだけ片想い長かったんだから我慢しちゃダメだろ! ちゃんとここで聞いとかないとズルズル後回しになるよ!」
藤島さん、どっちの味方なの。
詰め寄られる晴がつま先で私を突いてくる。
「わ、私も黙ってることなんてなかった……のかな?」
「言いたくなかったらいいんですよ! ゆっくり時間をかけて考えればいいんです!」
透子もか!
晴も大きくため息をつく。2人は未だ言い争っている。何で喧嘩している2人が頭を抱えて付き合ってもいない他人同士が喧嘩してるんだろう。
「わかった、分かりました! ちゃんと話し合いますし、美里ちゃんにも意見を言うように強制しません!」
「そうですね! 八草さんにしてはいい考えです!」
「そうだよ、言ったれ!」
何だろう、すっごく同情する。
「美里ちゃん。」
「はい。」
酒のせいか話題のせいか、晴の頬が少しだけ赤い気がして私にもその熱が移る。
「……オレは、その、今までの反動のせいかできれば少しでも近くにいたいわけですよ。」
「元から近いのにねぇ。」
藤島さんが余計なことを言って、正面の透子に蹴られ、横の晴から脇腹の肘鉄を喰らっていた。
でも、晴の言いたいことは十分。
とりあえず喧嘩している2人を離すことと、自分の意見はとてもここでは言えないと判断して、私は解散を提案した。
まず、帰路についた私たちはどちらかともなくため息をついた。
まさか2人があれほどに対立するとは思わなかったのだ。途中から敵味方関係もぐちゃぐちゃになっていたし。
「はぁ〜。喧嘩なんてするもんじゃないね。ごめんね、美里ちゃん。オレも大人気なかったよ。山部さんが言うみたいに時間おけば良かったよ。」
「ううん、私も藤島さんの言う通り、はじめから理由を話せば良かったね。意固地になってたよ。ごめんなさい。」
帰り道に2人で謝り合う。
なんだかその会話がシュールに感じて、私は小さく笑みをこぼしてしまう。
「でも、これから一緒にいるってなるとこういうの、何回も経験するんだろうねぇ。」
「……そうだね。」
晴は私を見て穏やかに目を細めた。
何だか、その表情がどうしようもなく愛おしくて。
私は晴の腕を取って抱きついた。一瞬、身体が強張った気がしたけど、無視。
「あのさ、晴。」
「なぁに、美里ちゃん。ベッドのこと?」
「うん。理由、聞いてくれる?」
晴は小さく頷いた。
私は気恥ずかしくて顔を見られなかったけど。お構いなしにそのまま話した。
「その、晴って寝てる時いつもくっついてくるでしょ?」
「ああ、そうなの?」
自覚なかったんだ。
というかそれ故に私が無意識のうちに暴れている気がするんだけどお互い様なのかなぁ。
「嫌ってわけじゃないんだよ? 嬉しいんだけどね?
でも、その、これから出張で1人で寝なきゃいけない時に広いベッドで寝るなんてできなくなっちゃいそうだし。それに……その、色々我慢だってしなきゃでしょ? できるの?」
晴は目をまん丸にしていた。
うう、恥ずかしい。
「美里ちゃん。」
「ナンデスカ……。」
「返す言葉が全く浮かばないのでシングル2つでお願いします。」
「……はい。」
ちなみにこの話を光莉さんと百合さんに話したら、ただの痴話喧嘩だと呆れられた。




