29.作戦⑦:誘惑
晴と付き合い始めて数週間。
変わったことといえば金曜はお互いの家に泊まるようになったこと、少しだけ距離が近くなったこと、キスをするようになったこと、出かけるときに指を絡ませるようになったこと。あとは目が良く合うようになったこと。
幼馴染でも良かったけど、それ以上に嬉しい気持ちがたくさんで戸惑うこともありつつも幸せだった。
あ、あとはなぜか告白されることが増えた。
百合さん曰く、人のものは魅力的に感じるし、晴と付き合って綺麗になったと言われた。
でも、それを1番感じてほしい人は一向にアクションをかけてこない。
鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、私が攻略作戦を継続して落とすしかないのだ。
私の様子に呆れながらも百合さんは教えてくれた。
「……八草もいっぱいいっぱいだと思うから。」
「そんなことないよ、いっつも余裕そうだもん。」
「それはたぶん必死に取り繕ってるんだと思うよ。私だったら何十年来の恋が叶ったら頭おかしくなる。」
おかしくなった百合さんも見てみたいけど。
「もちろん、百合さん達とのお出かけも忘れてないから安心してね。今回は筋トレしてるから!」
「筋トレ?」
「腹筋とか!」
まぁほとんどできなくて晴に爆笑されたけど。
何なら笑っていた晴の方が腹筋鍛えられてそうだ。
その話を聞いた百合さんもふっと笑っていた。
そんな話をしていると、少し遅れて光莉さんもやってきた。珍しくコンビニ弁当だから、私も百合さんも一瞬だけそっちを見てしまった。
でも、光莉さんは笑顔で。
何だろう、このちぐはぐな感じ。
「お待たせ、今日お弁当忘れちゃって! 何の話してたの?」
「……ホトトギスの話?」
「え、どういうこと?」
光莉さんは不思議そうに首をかしげた。
それから、私はランジェリーショップにも行った。
正直、私の知らない世界が広がっていた。スペースニャンコの気持ちがよく分かったよ。
今日は晴が家に泊まりにくるのは何回目になるだろう。準備は万端、動揺する姿を見せてもらおう。
「何1人で笑ってんの。ヤバい人じゃん。」
「う、うるさい!」
んん、クールだ。
私の決意を知ってか知らずか、夕飯を準備しながら晴は思い出したように言う。
「そう言えばさっき藤島さんがゲームしよってメッセージ送ってきてたんだけど。」
「じゃあ私がパソコンでやるよ、ゲーム機持ってきてるんでしょ。音声は私の後ろで喋ってれば問題ないし。」
「オッケー。」
2人で過ごす時間とゲームは別腹。
晴も期間限定のクエストやりたいって言ってたし、そっち優先だよね。
ちなみに藤島さんと繋いだら全然OKじゃないんすけど! と凄まじい口撃を食らった。
ただ、いざ始まるといつも通りのプレイだから少し笑った。
『にしても、今日狛柴さん来ないの珍しいよね。2人が付き合って初だし絶対食いついてくると思ったけど。」
「あー、自分で言うのもアレだけど恰好の餌ですもんね。来ないにしても返信さえないですし。職場で会った?」
「会ったけど……。」
確かに今週はあんまり生暖かい目で見られなかった。
狛さんが父なら、光莉さんは母……いや姉。たぶん私のことを妹のように思っている気がする。妹いるって言ってたもんね。
「あ、そう言えば今週はお弁当じゃなかった。」
『「お弁当じゃなかった?」』
狛柴家のお弁当は狛さんが担当だ。
でも、お隣の席の狛さんはお弁当を持ってきていた。んん……どういうこと? でも、1週間近く忘れるなんてこともあり得るのかな。
「……個別でメッセージ送ってみます。」
『そうっすね。確かに女の子同士の方が話せることもあるかもしれないし。はー、オレも色々聞いてほしいよ。ねぇ、八草くん?」
「あー、借りはいつか。」
「借り?」
「オヤスミナサイ。」
『あ、ちょ、』
まだ早めの時間なのに晴は容赦なく通信を切った。
いや、この後のことを考えたら早めの方がいいのかな?
「何1人でにやにやしてるの?」
「えっ、してた?」
「してなかったけど。何、やらしーことでも考えてるの。」
たぶん晴はちょっとした意地悪のつもりで言ったんだと思う。でも、私には図星で一気に身体が真っ赤になった気がした。
晴はその答えが予想外だったらしく、え、と固まった。
「お、お風呂先に入ります!」
「あ……どうぞ、ごゆっくり。」
普段なら絶対しないやりとりをして私は浴室に逃げた。
私が上がった後、なんでか疲れ切った顔で晴は浴室に入って行った。
珍しく晴がなかなか上がってこないから髪も乾かし終わってしまった。
大丈夫か、大丈夫なのか自分。
扉や足音だけで身体がビクッと震えた。
「ちょっと、自分で誘っといて、そんな露骨に身構えないでよ。」
「うう……だってぇ。」
進みたい気持ちと怖い気持ちと、それとある気持ちが自分の中にあるのだ。
「もしかしてさ、オレの告白スルーしたこととか、長ーい片想いに気を遣ってる?」
図星。
私が指を弄り始めるとそれを察した晴はくすくす笑っていた。どうにも居心地が悪く私は視線を逸らすことしかできなかった。
「……晴、ずっと私のこと、好きでいてくれたんでしょ? なら、その、たくさん恋人っぽいことしたいっていうか、たくさん返してあげたいっていうか。」
「ふーん、まぁ珍しく殊勝な姿見れて面白いけど。」
「こっちは真面目に考えてるのに!」
「まぁまぁ。」
まぁまぁ、じゃないよ!
私が頬を膨らませるとぷす、と空気が抜ける。
「オレもね、いっぱいいっぱいなんだよ? だから、ゆっくりでいいじゃん。」
「うん……。」
そっか、私は1人で焦りすぎていたのか。
横に寄り添う晴に身を預ける。
なら、急に私たちの関係性が進むわけではない、焦らずにいこう。
しかし、この時の横の晴の表情が一変していることには気づかなかった。
「ただ、貰えるものは貰うけどね。」
「え。」
「ほらほらベッドに乗って!」
乗ってというか、乗るような逃げ道しか無い。
ひいい、と悲鳴をあげながらベッドの方に抜けたが、あっさりと組み敷かれた。知ってます、男女以前に圧倒的な運動神経の差があることに!
見上げた晴の表情は悪いこと!
「ちょ、ゆっくりて言った! この前手も出さないって言った!」
「手を出さないのはこの前だけだし、今日誘ってきたのは美里ちゃんでしょ? それに練習で慣れておくのもアリじゃない?」
「練習?」
「そ、練習。」
確かにいきなりっていうよりは慣れておく方が……。
って!
「なんで服の下に手を入れてるの?!」
「ほら、据え膳食わぬは男の恥っていうでしょ。」
「いうけどもー!」
「まぁ、そろそろ流されちゃってよ。」
首元にキスをされ、小さく声を漏らした。
このままいくと最後まで流されちゃうから問題なんだってば!
私が抵抗を止めると服の中に手が滑り込んでくる。どうしようもなく襲ってくる知らない感覚に振り回されながらも、何とか晴を見ると熱っぽい視線が私を捉える。
「……いいよね?」
「……!」
私は首を縦に振るしかできない。
怖い、けど晴となら大丈夫な気がする。でも、何か変な感覚になってきた。
「晴、あの、」
ブーッ。
私たちの動きがぴたりと止まった。
聞き覚えのあるバイブ音、この覚えのあるシチュエーション。
「……。」
「美里ちゃん、今度からスマホ切っとこうね。」
「……はい。」
晴は何でか少し困った顔をすると、ため息をつきながら私のスマホを取った。
正直今電話とか無理……。
はだけた部分を直していると晴は画面を確認し、通話を始めてしまった。
「もしも〜し、現在この電話番号は使われておりませ〜ん。ピーっという電子音のあとーー。」
「ちょ、何やってるの!」
慌ててスマホを奪い取ると、連絡してきたのは狛さんだったらしい。
「もしもし!」
『あー、ごめん。八草くん怒ってるよね。』
「怒ってないです! 何もないです!」
「逆に何かあるって言ってるようなもんじゃん。」
『あれ、僕何か変なことに付き合わされてる?』
「付き合わせてません!」
とてもいじめられている。
いじめるために連絡をしてきたのかとあらぬ嫌疑をかけてしまう。
「とにかく、用件は!」
『ああ……その、ううん。』
「はっきりしませんね、光莉さんと何かありました?」
晴が腰を折ってスマホに向けて言い放つと、向こう側で言葉に詰まる。どうやら晴は言い当てたらしく、ふむ、と小さく呟いた。
ここまで来れば私にもわかる。私は晴と顔を見合わせた。
「……狛さん、夫婦喧嘩で光莉さんに家出されました?」
『ぐ、何でそれを。』
「だって光莉さんならともかく狛さんが私に電話って初めてじゃないですか?」
いつもは冷静沈着って感じのくせに光莉さんのことになると分かりやすいものだ。
晴もまた電話をしながら外に出て行く。
狛さんのえっとあのそのの言い訳を聞き流しながら、晴の動向を見ていると、晴は玄関を開けて驚いたように見えた。
何やら手招きをしてくるため、狛さんに断って一度電話を切ると、玄関先にはしゃがみ込む光莉さんがいた。
「光莉さん?」
「わ、美里ちゃん。ごめん、2人きりでゆっくりしてるところ。その……。」
「いいですよ、上がっていただいて。寝るところでしたし。」
この男、平然と嘘をついた。
しかし、光莉さんは明らかに安堵すると笑ってみせた。
まぁ、乗りかかった船だ。どうせならちゃんと理由も聞かなきゃ納得できない。
先ほどまでの甘い空気を振り払うように首を横に振り、3人で部屋の中に戻った。




