20.護ること
はっきり述べよう。
不気味なくらい平和な4日間だった。
晴は仕事が少し溜まっているらしく何度か朝残業には付き合わされたけど、そこはお互い様。
時々揶揄われたけど、晴は天才的に恋人のフリが上手かった。ほんのちょっとだけ甘くなる、その感じ。罪な男だ。
きっと数々の女性が落とされたに違いない。
それと百合さんのことで新たに知った事実があった。
なぜ、今の今までストーカーやしつこい男が現れなかったのか。それは大学の時は雑賀親衛隊たるものがあったからだそうだ。
あくまでも彼女はアイドル的な存在、抜け駆けしようものなら断罪を受けていたらしい。晴は知っていたそうで、私に教えながら思い出したのかずっと笑っていた。
狛柴さん夫婦は百合さんとの同居生活を楽しんでるみたい。
光莉さんは言わずもがな、狛さんは百合さんと光莉さんが楽しげにキッチンに並ぶ様子や過ごす様子を見て、これまた嬉しそうに話してくれた。
2人は寝室が一緒らしいけど、今は光莉さんが狛さんの、百合さんが光莉さんのベッドを使っているみたいで狛さんは客間に追い出されたらしい。まぁ、百合さんの非通知のこともあるし。
あと、朝比奈。
朝比奈はちょこちょこ捜査にも顔を出しているらしい。初日と水曜は頑張って帰り道迎えに来てくれていた。光莉さんには、百合さんの恋人候補ってロックオンされてたけど。そうだよね、公務員としか言ってないから。
百合さんははじめは恐縮そうにしてたけど、朝比奈の表情を見て割り切っていると安堵したのか、気を許しているように見えた。
会社内では部署が違うからどうしようもなかったんだけど、百合さんは何とか食欲も取り戻したみたい。
それに夜の非通知の電話も狛さんが1回出てから来なくなったらしい。
「聞いてよ美里ちゃん、百合ちゃん昨日すっごく可愛かったんだよ?」
「ちょ、やめてよ光莉……。」
「昨日朝比奈くんから連絡があったんだけど、ずっとスマホ見てにやにやしててね。」
「やめてってば!」
真っ赤になって否定するあたり、かなり気持ちが傾いているみたい。でも、今回ばかりは朝比奈はそんなこと度外視してるんだろうな。
「私のことはいいから……。それより、そっちはどうなわけ?」
「どうって?」
「アンタと八草だよ。恋人、してるんでしょ?」
「いやぁ、そんな変わらないよ。」
厳密には変わってるけど、変わってない。
確かに時々目が違う気もするけどやっていることはそんなに変わらないし。
「ふぅん、というか冷静になって気づいたけど、私が連絡した時2人でいた?」
「えっ、何で分かるの?!」
「やっぱり。最初に電話出たの、八草だよね?」
「ええっ、どういうこと?!」
「どうもないって……。」
光莉さんはずっと気になるを連呼するマシーンになってしまった。AIの方がよっぽどよく話すよってくらいに。百合さんは相変わらずクールフェイスだけどどこか楽しそうだ。
でも、百合さんのせいで思い出してしまった。
私はあの時ーー。
「何かあって電話に出られなかった?」
「何があったの?」
「何もないよ!」
百合さん、勘が鋭すぎる!
私があうあう言っていると、いつのまにか昼休みも終わりの時間。仕方ないと、2人は諦めてくれた。
去り際に光莉さんが何かを思い出したかのように手を叩いた。
「そういえばウチの部署、今日会議があるから遅くなるかも。」
「私と狛さんも。あ、でも晴が来るし、今日は朝比奈も早上がり、って言ってたよ。」
「ふぅん、じゃあロビーで待ってようかな。」
警察からも犯人が特定できたという連絡があった。
今日逮捕に踏み込むそうだ。やっと来週から平穏が訪れる。といっても、近々引っ越しはするそうだけど。
ただ、この数時間後思い知らされることになるのだ。
遠足は、家に帰るまでが遠足、その言葉がいかに的を射た言葉であったかと。
「ごめん、九重さん。僕まだ仕事終わらないんだ!」
「さっき班長と語り合ってましたもんねぇ。」
「譲れなかったんだよ!」
そう言いながらも狛さんの手は止めどなく動いている。
先程あるシステムの構築に関して班長と何やら揉めていた。珍しくないことではあるんだけど、それが時間内に終わらないという事案が発生した。
まぁ週明け締め切りだし、今日終わらせたい案件だよね。
「なら、私ロビー行ってますね。」
「もし八草くんや朝比奈くんが着いてるようだったら先に帰っててもいいよって伝えておいて! その時は、」
「朝比奈に家に残らせるので安心してください。」
そう伝えると、作業の一瞬の合間に親指を立てた。
妙なところ器用だよね。あと動きが光莉さんとそっくり。やっぱり夫婦なんだなぁ、ってつい私は1人で笑ってしまった。
ロビーに行くと、百合さんはもちろん晴もすでに来ていた。
珍しい組み合わせだな。ちょっとだけどんな話をしているのか気になる。2人から見えない場所、ギリギリのところから盗み聞く。
どうやら時事の話をしているらしい。頭よ。
どっちにしろ入れない話題だな、なんて思っていると百合さんがふと思い出したように聞いてきた。
「そういえば、どう? 美里との恋人。」
「えー、それ聞く? 正直普段とそんなに変わらないですよ?」
「まぁ、アンタら普段から距離感おかしいからね。」
「そう?」
それに関しては私も首を捻った。近いのか?
思案をしていると、晴は真剣な表情で答えた。
「でも、今回ので改めて思いました。やっぱりあくまでもふりはふり。……やっぱり好きな人とはちゃんと恋人にならなきゃなって。」
頭を殴られたような衝撃。
晴に好きな人がいるっていうこと、知らなかった。
文脈からして、私? でも、それならもっと早く言われていてもおかしくないかも。
なら、違う人? でも、でも、それなら私は邪魔だったってことだよね。
その後の2人の会話なんて耳に入らない。
いつもなら聞けることが聞けなくなる。
怖い。
その感情がぐるぐると私の中を蠢く。
と、とにかく狛さんより遅れて合流っていうのは不自然だから出ていかなきゃ。
私がふらりと立ち上がった時だった。
2人が座っているベンチに、ふらふらと近づく男に気づいた。なんだろう、酔っているみたいな歩きだ。
そして、その右手に握られているものに気づく。
きらりと光る銀色の細長い、ナイフ?
「晴、百合さん!」
人って驚いた時、声が出ないって聞いたけど人生で1、2位を争う大声が出た。
百合さんは明らかに体を強張らせたけど、晴は咄嗟にナイフを持つ手を受け止めた。でも、相手は180cm以上あるし、体格もいい。
さすがの晴でも負けーー。
あ、やっぱり大丈夫だ。
「こんな大勢の前でいい度胸してんな、このクソ野郎!」
ロビーにものすごい勢いで駆け込んできた朝比奈は男を後ろから羽交い締めにして晴から引き離すと、そのまま一度投げ飛ばし、拘束してしまう。見事な体捌きだ。
「クソ、クソ! 百合ちゃんが好きなだけだった、彼女もオレの事好きだった、なのに何で警察の奴らはオレを悪者扱いするんだよ!」
震える百合さんに駆け寄ると、あ、と小さく呟いた。
「この人、1回地方の支社から研修に来た……。」
「そう、覚えててくれたんだね! あの時、君に色々と教えてもらったのをきっかけに、君はオレに恋したんだ!」
何を言ってるんだこの人。
先ほどまで肩で息をしていた晴も少し落ち着いたみたいで、ナイフを拾いながら、うわ、と小さく声を漏らした。
周りも冷静になり始めたのか、警察に連絡をし始めたようだ。
「クールな君が時々見せる笑顔、それはオレにだけ見せてくれるものだったのに! なのに君はこんなチビと楽しそうに話しているなんて、許せない!」
「オイ。」
黙って聞いていた朝比奈が低い声で男に呼びかけた。
「黙って聞いてりゃ好き勝手に。お前は一言でも、彼女から好きって言葉を貰ったのかよ!」
「そ、それは……彼女は照れ屋だから。」
「よかったぜ、まだ耳は正常で。なら、はっきり言う。お前が一言も付き合っただとか、好きだとか、そういう言葉をもらってねーなら全部独りよがりだ!」
「そんな、はず、ねぇ、百合ちゃん!」
男の目がこちらに向く。
明らかに異常だ。でも、どこかで懇願しているような、まだ引き返せる気もして。
私は震える百合さんの手を握った。
百合さんは目を丸くすると、私の手を握り返して真っ直ぐに男の人を見つめた。
「ごめんなさい。私はあなたのことを知らない。名前も、もう朧げ。好きでもないし、絶対付き合いたいとも思わない。」
「そんな……。」
「お前なぁ。」
脱力した男の上に乗ったまま、朝比奈はため息をついた。
「……少なくとも、本当に好きなら怖がらせて泣かせんなよ。しかも、彼女の友人たちを傷つけて。」
たぶん、それがトドメになった。
男はいよいよ項垂れてしまい、警察に連れて行かれるまでは大人しくしていた。
それから狛さんや光莉さんも合流した。
私たちは簡単に事情聴取を受けた後、帰路についた。
週末早々に百合さんは引っ越しの準備をするらしい。1週間追加でいることになった百合さんに光莉さんは喜び、狛さんも安堵したように了承していた。
帰り際、百合さんと朝比奈が言葉を交わしていた。
「朝比奈、今回はありがとう。」
「いえいえ、無事でよかったです。それに今回は晴海がいなきゃオレも間に合ってなかったし。」
「うん、八草もありがとう。」
「いいえ〜。」
少し上ずっていたけど大丈夫かな。
それを横目に朝比奈を見るとどこか照れ臭そうに百合さんに向けて言い放った。
「今度はちゃんと頼ってください。心配しました。」
「ああ……うん。早めに相談するね。」
「それに、オレ、雑賀さんだけには公的にも、私的にも、頼られる男になりたいんで。」
「は?」
同僚に呼ばれた朝比奈は失礼します! と大声で挨拶すると駆け足でその場を去っていった。真っ赤になって固まってる百合さんは狛柴夫婦に呼ばれるまで微動だにしなかった。
それから私たちも帰ることになったんだけど。
今日の出来事でお腹いっぱい。テキトーに外食して2人でふらふら帰った。
私の中でもやもやする疑問は解消されない、けど。
それよりも今は優先することがある。
家に帰るといつもより猫背気味の春は笑顔を見せた。
へったくそな作り笑顔だ。
「じゃあ、美里ちゃんおやすーー「待って。」
呼び止められたのが意外だったのか、晴は不思議そうな顔をした。
「……今日だけ、泊まっていい?」
「……何で?」
「晴が無理してる気がする。」
何度か瞬かせると、ふっと小さく笑った。
確かに晴は喧嘩も強いし、他人との勝負に負けることはないだろう。
でも、ナイフを向けられて平常にいられるものか。そもそも咄嗟に動けたことだって奇跡に近いだろう。
「……敵わないなぁ。」
「ん。」
晴が玄関に招き入れてくれたから素直に入る。
すると、珍しく弱ったように抱きしめられたから、私も晴の背中に腕を回した。身体は小さく震えていて。
「なーんでバレちゃうんだろうね。結構上手く繕ってたはずなんだけどね?」
「幼馴染だもん、分かるよ。」
「……そっか。」
本当に晴が甘えたい相手は私でないのかもしれないけど。でも、幼馴染なんだからこれくらい許してほしい。
こんな時でも下心が出てしまう自分に嫌気がさしつつも、私は彼から腕を解くことはできなかった。




