11.作戦②:君は女の子!
『いや……その、男の子の手だなぁって。』
『美里ちゃんの手はちっちゃくて細っこい、女の子の手だ。』
ハッと私は意識を浮上させた。
間抜けにベッドからずり落ち、部屋には目覚ましの音が鳴り響いている。
何か、晴のこと好きだって自覚してからおかしい。
今まで普通にできていた、何てことのないことができなくなっていた。例えばハグ、例えば手を繋ぐ。最近では肩を寄り添うことさえときめいてしまう。
何をしたって晴が男の人だということを意識するきっかけになってしまうのだ。
晴は今までと変わらないけど、私を女性と見てくれていないのだろうか。
それはそれで切ない。
今まで料理とか化粧とか、嬉しいって気持ちで赤くなったのは見たことあるけど私を女として見てってことはないような気がする。部屋着ダメだったし。
うう……悲しくなってきた。
「よし!」
まずは、私を女として見てもらおう。
ベッドから飛び起きると早速取り掛かった。
「……今日って何かあったっけ?」
「何もないけど……。」
「あ、もしかしてデート?」
「今まで彼氏いたことないのは知ってるでしょ。」
あー、ごめんごめん、なんて目の前の男は笑っている。
あれから私はちょこちょこと光莉さんに化粧の仕方を教えてもらったり、ファッション誌を読んでみたりしている。そのおかげか自分でも多少なりできるようになってきたのだ。
なのに、この男。
電車の中で正面に立つ晴には全然伝わってないらしい。
そんな不満を抱えながら昼休み。
いつもの席ですでに光莉さんと百合さんが座って待っている。
「あ、来た来た! あれ? 今日はお化粧かわいいね!」
「さすが光莉さん……!」
やっぱり魅力的ってこういう女性だよねぇ。
光莉さんや百合さんには程遠いなぁ、自分。
「一昨日はありがとう。八草にもお礼伝えておいて。」
「うん。」
「そう言えば4人で出かけたんだよね! いいなぁ、私も行きたかったなぁ。」
言外に山以外なら、と聞こえた気がしたけど知らないふりをした。
写真を見せて、と言ってきたものだからスマホを使ってデータを見せる。今見返しても、綺麗な風景や心を癒すような緑が映し出されている。
「ねぇねぇ、これって誰?」
「あ、朝比奈だよ。私と晴の中学の同級生。」
「ふーん、百合ちゃん、楽しそうだね。」
「うん。いい奴だった。」
まだこっちは恋愛感情を持ってないみたい。
でも、光莉さんはこの写真の表情を見て、すぐに恋の予感を察知したらしく、隠しきれない笑みを漏らしている。
そんなことも知らず、マイペースに写真を見ていた百合さんはへぇ、と小さく声を漏らした。
「八草ってこんな笑い方できるんだ。」
「本当だ。何回か見たことあるけど、珍しいね。」
「そう?」
その写真に映る晴は悪戯っ子みたいな笑顔を見せている。
「少なくとも私と話してる時はもっと綺麗な笑顔だったよ。作り笑顔、的な意味でね。」
そうなんだ、知らなかった。
やっぱり幼馴染だけあって気を許してもらってるんだろうなぁ、なんて頷いてみる。
「あ、そう言えばね。今回のお出かけを経て考えたことがあるんだよ。」
「おっ、どうしたの?」
写真より私の話に興味を持ったらしい光莉さんは流石の嗅覚だ。食事をとっていた手を止めて前のめりで尋ねてくる。
「私は最近気づいたんだよ。晴は私のことを女として見てないって。たぶん親友……いや、妹として見ている可能性があるって。」
目の前の2人は顔を見合わせた。口を開いたのは百合さんだ。
「何でそう思ったの?」
「だって、全く照れずに私の手を引くし、距離も近い。おかしいでしょ?」
「……何を今更。」
何で百合さんは額を抑えて天を仰いでいるんだろう。
なぜか光莉さんも苦笑いしていた。
「だから、まずは晴に私が女であることを意識させようと思って!」
「具体的にはどうするの。」
百合さん、よくぞ聞いてくれました。
私は胸を張って提案した。
「前にね、私の手を見て晴が女の子の手って言ってくれたんだよ! つ、つまりは恋人繋ぎしてみる、とか?」
「そんな「それ、いいかも!」
「だよね!」
百合さんは信じられないものを見るような目で光莉さんを見た。
反対に光莉さんは鼻息を荒くして私に迫ってくる。さすがに近すぎる彼女を百合さんが引き剥がすと、呆れたように呟く。
「……この前話した印象だとカウンター食らって終わりな気がするけど。食えない奴、って感じだし。」
「でも、何もしないよりはいいんじゃない?」
「手っ取り早く告白の方がいいと思うけど。」
「「告白?!」」
「何で光莉まで驚いてるの。」
私にスマホを返して食事を再開した百合さんは呆れたように言う。
確かにそうなんだけど! でもね。
「……勝率は上げられるだけ上げたい!」
「うんうん。分かるよ。私も好きって思ってもらえるよう猛アタックしてから告白したもん。」
「……。」
百合さんはどこか納得のいかないようにしていたけど光莉さんの後押しが私を勇気づけた。
「よし、一泡吹かせるぞ!」
「がんばれ!」
「……目的が違うじゃん。」
私は鼻息を荒くして拳を高々に突き上げた。
だけど、これだけ一緒にいても意外と繋ぐ機会は来ない。
何で?! いつもなら隙だらけなのに!
道すがらだと、晴は思ったより身振り手振りを交えて話したりポケットに手を突っ込んでしまっている。それに電車はこういう時に限って、2人分の席が空いていない。
時々一緒になる帰りの電車さえも被らない。しかもこういう時に限って金曜も向こうが残業で遅くなるそうで夕食会は無しになった。
でも、近々学会もあるって言ってたし、仕方ないか。
私は肩を落としてため息をついた。
どうやら最近は休日出勤もしているみたいで大変みたい。今まで学業は効率よくをモットーにしてきた人だからそこまで追い込まれているイメージないなぁ。
私はというと、ゲームをしつつ、狛さんに教えてもらった料理を作ってみたり、練習をしてみたりしている。
切り口は不揃いだけど、それなりに味は美味しくできるようになってきた、気がする。
朝の電車だけは欠かさず一緒に行くけど、この前はついに立ち寝していた。
席を譲ろうとしたら断固として拒否するものだからもうどうしようもない。
それが2週間も続くとさすがの晴でもやつれてきた気がする。
学会が終わるという日曜日。
スーツケースを引き摺る音と隣の部屋が開く音がした。
この2週間で、過去干物女と多方面から言われ続けてきた私は常備菜が作れるようになっていた。自画自賛になるけど、私天才だと思う。
早速差し入れしてあげようと思い、少ししてから扉を開けると不用心にも鍵がかかっていなかった。あれだけ人に言っているくせに。
「晴ー? 鍵開けっ放しなんて不用心……。」
部屋に入るとそこにいるはずの人物がいない。
スーツケースはあるのに。
え、なんで?
「晴? はーるー?」
「何さ、美里ちゃん。」
声がした方を振り向くとシャワーを浴びたらしく、髪の濡れた上裸の晴がひょっこりと顔を出した。
「びぇっ!」
「なにその奇声。」
はは、と笑う晴はどこか力なく、照れより先に心配が出てきた。
あんまり疲れを顔に出さない晴が目元にクマを作っている。相当無理をしたんだろう。私は思わず駆け寄って手で頬を擦る。
「晴、あんまり寝てないんでしょ? おかず、持ってきたから食べて。」
「えぇ?! また指切ったりは……?」
わざとらしく大袈裟に言われた。
心配半分からかい半分だろうけどリアクションする元気があるなら心配すまい。
私は頬を膨らませながら反論を唱えた。
「してないよ! 大体アレは狛さん夫婦が私の前でイチャイチャするから気が散ったの!」
「あ、そうなの?」
やっぱり、と言わんばかりにケタケタ笑う。
あの2人は隙あらばイチャついてくる。先日狛さんと連絡先を交換した晴はアプリで時々光莉さんが出てきたとぼやいていた。また、オンラインでもゲームをしている時に光莉さんの後ろに狛さんがいたりと見せつけてくるものだから、身をもって体感しているようだ。
「あー、でもご飯もないんだよね。」
「じゃあウチから持ってくるよ。」
「いや、それならオレが行くよ。」
私が帰ろうとすると、晴はそのまま外に出ようとする。
え、上裸で?
「ちょ、ストップ! 服着て!」
「ああ、忘れてた。」
本当に疲れてるんだな。
部屋から適当にTシャツを引っ張ってきた晴を見守りつつ呆れる。しかも、何もないところで転びそうになってるし。
「もう、今日の晴ダメダメだね。」
「あはは。」
私は空いた手で晴を引っ張りながら家の中に招く。
全く、世話が焼ける。
でも、こんな風に晴のフォローをするなんて年に1回あるかないかだからちょっとだけ楽しいかも。
「晴!」
「何さ。」
「今日の晴はダメダメだから、私に何でも言ってね! 面倒見てあげる!」
「2回もダメダメって言ったね?」
だけど、そう言う晴は全く怒っていないようでむしろ何かを楽しそうに企んでいる顔をしている。
そこで私は気づいた。
ハッ、今私手を握っている。最大のチャンスなのでは? と。
よし、一度手を離して、繋ぎ直せば。
それを実行しかけた時。
気づけば手は離れて、晴に抱き締められていた。
「ハグするとストレス解消にいいんだって。美里ちゃんは女の子だから抱き心地抜群だね〜。」
「……!」
たぶん、私頭から湯気が出ている。
突然のイベントにパニックになっている。どうしよう、今までハグなんていくらでもしてきたけど、いざされるとどうすればいいのか分からない。
でも、そんな中でも過ったのは、晴の疲れ切った顔だった。
もしハグで本当に疲れがとれるなら。
私は晴の背中に手を回す。
一度ぴく、と晴が動いた気がしたけど離す気配はない。なら、このままでいっかと身を預ける。
「お疲れ様。頑張ったね。」
「……うん。」
手は繋げなかったけど女の子って認識してくれてるみたいだしいっか。
嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いに包まれながら、私はふふ、と小さく微笑んだ。




