小さな部屋
幼い頃からずっと変わらない、何もない日々を過ごしてきた。
決まった時間に起きて、決まった時間に食事をとり決まった時間に勉強をし、そして何かしらの娯楽を取って就寝する。その繰り返し。そんな不変な日常であっても,近頃の私は心を浮つかせて会いたいと思う人がいる。きっと私はその人に、好意というものを抱いているのだと思う。
彼とは最近出会った訳ではなく、物心がついたときから知っていた。ただ毎日会えるのに心から近づくことは出来ないのだ。そんな一室に、私は閉じ込められているのだから。
彼女と出会ったのはもうかれこれ十数年も前のことになる。
その時の彼女は5歳にしてかなりませた少女だった。初めはあまり、心を開いてくれなかったが顔を合わせる日々が続き、しだいに笑顔を見せてくれるようになった。今ではどんな会話でもしてくれる、妹のような存在と言ってもいいだろうか。
彼女の笑った顔は心の奥を突かれるようなどこか儚さが残るやさしいものだ。成長して大人の姿になった今も、その雰囲気は変わらない。
会うと自分のどこかを浄化してくれるような、そんな魅力を持っている。
あと10分で当番の時間となる。今日も彼女に会いに行くとする。
「先生、こんにちは」
ドアから顔を覗かせた瞬間、彼女の明るく柔らかな声が聞こえた。そこには色素の薄い透明感のある少女がにこやかな表情で迎えてくれていた。背丈は160cm程で細身な腕足をもち落ち着いた雰囲気が年齢の割に大人びて見える。
「こんにちは奈那ちゃん、調子はどうだ?」
いつものように挨拶を返す。
「平気です。いきなり動くと少しふらっとするくらい」
少し冗談めいて眉を下げながら明るく答えてくれた。
「そうか。無理しないで。じゃあ検診を始めるよ」
ガラス張りに張られた壁の右側には彼女の小さな一室に繋がるドアがある。指紋と4桁の数字を入力してロックを解除し、その奥へと入る。
扉を開くとちょこんと大人しくベットの縁に座った彼女がいた。自分も向かいの小さな椅子に座り、その間に台を挟む。
「じゃあ、腕だして」
まずは脈を測る。差し出された細く白い彼女の腕を掴む、繊細で強く握ると壊れてしまいそうだ。
手首の動脈に指を当て、とくとくと数を数えていく。検診用紙に脈数を記入し、次に採血をする。5分丈程の質素な衣類をまくりあげ、二の腕近くにチューブをまく。腕の中心を確認し、いつも通りその白い肌に針を刺す。赤黒い血液を採取し終え針を抜くと、プツリと鮮明な血が浮き出てきた。肌の白さが相まってそのコントラストが美しくも生々しく思える。すぐに酒精綿でその口を塞いだ。
「はい、採血終わり。大丈夫?」
「平気です。慣れたもんですよ」
くしゃっと崩れた笑顔でそう返してくれた。
彼女が幼い頃は眉間にしわを寄せぐっと目を瞑っていた。採血を終えると安堵した表情で平気と返してくれたのを思い出す。心配かけまいと我慢していたのだろうが、もう現在ではそんな必要もなく平気な様子だ。
一通り問診や検診を終えると器具を片付け部屋を出る準備をする。
「先生…」
か細い声で自分を呼び止め、白衣を引っ張ってきた。
「どうした?」
しばしの沈黙に、彼女が真顔で見つめ返してくる。少し間を開けると、
「何でもない」
またふっと笑みを浮かべてそう返し、片手につかんだ白衣を離した。
「じゃあ今日の分のお薬ここに置いておくから、ちゃんと忘れず飲むんだよ。」
そう言い伝えて、その小さな部屋を出た。
整った容姿を持った多感なお年頃である彼女だ。この小さな一室に閉じ込めておくにはもったいないと毎度のごとく思う。きっと世間一般の少女たちのようにごく普通の高校生活が送れていたら楽しく充実した日々が送れていただろう。
彼女のか細い片腕に取り付けられた装置、小さな空間の片隅に設置されている監視カメラ、首元に小さく刻まれた記号。
彼女の存在は、普通ではない。