幼馴染の距離
「──おいアハト。非番だってのに、お前マジで寮に籠ってるつもりか?」
王宮騎士に与えられた寮の一室で、アハトは死んだ魚のような目で同僚を見上げた。
彼の表情で全てを察したのか、同僚の青年はハッと口を手で覆う。備え付けのベッドでだらしなく寝転がっているアハトに歩み寄り、そっと肩を叩いた。
「……幼馴染ちゃん、誘えなかったんだな」
「さっさと出てけよ」
「まぁまぁそう落ち込むなって! 人生長いんだから次行けよ次!」
既に恋人持ちの青年からしたら、高みの見物といったところだろう。確かメリカント寺院のカティヤとかいう、やたらと派手な娘と交際しているのだったか。
余裕綽綽な同僚を半目で睨み上げ、アハトはとうとう堪え切れずに溜息をつく。
──この惨めな状況は、他でもない自分が作り出したものだと理解はしている。
幼馴染のリアが、あろうことか一人で国を飛び出した衝撃的な日から約二年。まさか彼女の師が単独での修行を許すとは思っていなかったアハトは、もぬけの殻となった丘の家を見て唖然となったことを覚えている。
そんな幼馴染が最近になってひょっこりと帰って来たと聞いて、勤務の合間に寺院へ向かった。何故一人で修行へ行ったのか、怪我はしなかったのか、危ない輩に付きまとわれなかったのか、いろいろと聞きたいことがあった。
しかし。
『あ……もしかしてアハト? 久しぶりね!』
ばっさりと肩口で切り揃えられた黒髪。何だか高価そうな、されど品のある紫水晶の耳飾り。二年前よりもいくらか女性らしく、大人びた顔立ち。
正直に言うと、知らない女だと思った。それぐらい旅立つ前とは違った。
何がそこまで幼馴染を変えたのかと、たった二年でこれほどまでに人は変わるのかと、不思議と彼女の変化を受け入れられなかった。
そしてその奇妙な違和感は、幼馴染の口から頻繁に語られる名前で確信に変わったのだ。
『エドウィンから返事が来た!』
──待て、誰だその男は。
うっきうきで手紙を抱き締めては図書館に直行するリアを、アハトは呆然と見送る。目の前を通り過ぎる横顔は、心底嬉しそうで。あんな顔、師から新しいぬいぐるみを貰ったとき以外に見たことがなかった。
それが妙に悔しくて、腹立たしくて、二年前と同様また刺々しい言葉を吐いてしまった。髪型も耳飾りも似合っていない、どうせ文通相手にも遊ばれているだけなどと。案の定リアから頬を抓られた。
そこではたと気付く。
最後にリアが心からの笑顔を向けてくれたのはいつだったか。何かにつけて嫌味やからかいをぶつけて、彼女から笑顔を奪っていたのは誰だったかと。
そんな下らない言動でしか、好きな相手ひとり振り向かせられない男は誰だったかと。
『リア』
実際に二人のやり取りを見て、アハトは横っ面をぶたれたような気分になった。
リアの仕草ひとつひとつを丁寧に汲み取り、おしゃべり好きな彼女の話を遮ることなく聞き、愛しくて堪らないとばかりに微笑みかけるエドウィンの姿は──自分とまるで違ったから。
しかして抜け目なく、何でもないような顔でリアの手に口付けたのは、同性だからこそ分かる明らかな牽制だった。
ここ最近のことを思い返してはまた気分が悪くなったところで、アハトは体を起こす。彼が不貞寝をしている間に、同僚はとっくに恋人の元へ行ったようだ。
今頃、王宮ではダンスパーティが開かれていることだろう。色気より食い気のリアが珍しく参加しているらしいが、エドウィンから誘いがあったことは明白なので死んでも王宮には近付かない。
未練がましい己に嫌気が差し、アハトが気分転換に外へ行こうとした時だった。
「うわっ」
扉を開けると、廊下に見覚えのある小柄な少年がうずくまっていた。
アハトの声に気付いたのか、のろのろと顔を上げた少年は、くしゃみをして道を開ける。
「待て待て待て、お前──大巫女様が拾ってきたっていうアレだよな? ええと」
「……」
「リュリュだ」
記憶の端から引っ張り出した名前に、リュリュはこくりと頷いた。
何故この少年が騎士の寮にいるのだろう。しかも見たところ思い切り風邪を引いているのに。
「迷子か?」
「……本、借りてたから。返しにきた」
がらがらに枯れた声で答えつつリュリュが指差したのは、同僚の中でも博識な男の部屋だった。精霊術にも造詣が深いと聞いたので、もしかしたら知人なのかもしれない。
──何せこの少年、弱冠六歳にして大巫女候補に上がるような天才だ。
普段はぼうっとしているし無口だしで目立たないが、知識欲が強く覚えも早い。持ち前の冷静さで精霊を従える力も直に強くなっていくだろう、というのが寺院の見解らしい。
まあ、それが事実なのか単なる噂なのかは知らないが。
「熱出てんだろ。寺院まで送ってやる」
「……ひまなの?」
「ひ……そーだよ暇だよ、だから遠慮せずに甘えとけ」
直球な問いに思わず頬が引き攣ったが、アハトは投げやりに肯定した。軽々と少年を抱きかかえれば、小さな手が素直に肩にしがみついてくる。
アハトは出来るだけ屋内を経由しながら、少年を寺院まで運ぶことにした。
「……そういえばお前、リアと一緒に攫われかけたって聞いたぞ。怪我とかしなかったのか?」
リュリュが気怠い動きで瞼を擦りながら、無言で頷く。屈強なキーシンの戦士を前にしても、特に恐怖を感じなかったのだろうか。眠そうな顔を一瞥したアハトは、そこでふと別の疑問が湧く。
「んぁ……? そもそも何で光華の塔に? 謹慎なんて不要じゃあ──」
天才と噂される少年が、術の使い過ぎで謹慎を言い渡されたことなど今まで一度もなかったはず。しかし完璧な人間というものは存在しない。今回ばかりは下手を打ったのかと首を傾げたとき、視界にふわりと燐が浮かぶ。
ぎょっとして顎を下げれば、ぷちりと髪の毛を一本だけ抜くリュリュの姿が。
「…………おい」
「……」
「お前、謹慎って嘘ついて光華の塔にいたのか」
大きな猫目がちらりと寄越され、すぐさま逸らされる。図星なのだろう。わけが分からない。
「何でそんな無意味な」
「ユスティーナ様がピリピリしてたから。オーレリアの近くにいた」
リュリュは髪の毛を宙に放り、火の精霊に喰わせる。
つまり何か。少年はリアの身に迫る危機を、あらかじめ想定して動いていたというのか。話に聞くと少年は無抵抗でイヴァン王子に捕らわれたが、それは別に懐いていたとかそういうわけではなくて──。
──弑神の霊木から遠ざかった瞬間、王子に精霊術を浴びせるつもりだったのかもしれない。
そんな憶測が脳裏を過って、思わずぞっとしてしまう。愛らしい顔をした少年から一転、火薬でも腕に抱えているような気分になった。
しかしリュリュはこちらの気など知りもせず、くるくると舞う火の精霊と遊んでいる。時折ちらっと様子を窺ってくるので、一体何をしているのかと思えば。
「げんき?」
──気を遣われていた。
皆がダンスパーティで楽しく極夜を過ごしている中、一人で寮に籠っていたことを思い出し、アハトは虚しさでいっぱいになる。しかもこんな幼い子どもにまで心配された。
いや、もうこうなったらヤケだ。リュリュをがばりと抱え直し、アハトは歩幅を大きくする。
「まっっったく元気じゃない! お前ちょっと付き合え!」
「えー……」
「外で菓子でも買ってやるから」
「うん」
渋々と頷いた風邪引き小僧と一緒に、一日中うじうじしてばかりいたアハトはようやく鬱憤晴らしに踏み切ったのだった。




