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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
10.掴めぬ影

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10-2

 ──暗い暗い洞窟の奥へ進むと、そこには真っ白な壁が行く手を塞いでいた。


 足音も、呼吸も、胸の鼓動も、まばたく睫毛の音さえも聞こえぬ中、白亜の壁に手を伸ばす。

 ぬめりを帯びたそれが土で出来たものではなく、明らかな生物の温もりを孕んでいることに気付けば、ぞわりと全身が粟立った。

 悲鳴を漏らしていたかもしれない。しかし喉を震わせたのは掠れた吐息のみ。

 泣き出しそうな恐怖に駆られて後ずさったのなら、白い壁がおもむろに動き出す。

 ゆっくりと視界を流れていくウロコの継ぎ目。息を殺してソレが消えるのを待ったが、とうとう願いは叶わなかった。


 ──毒々しい艷めきを纏う赤い双眸が、こちらを見ている。


 巨大な蛇は獲物を見つけるなり口を開け、怯える娘を丸呑みにしたのだった。


「おいで、ヘルガ。私の元に」



 ◇◇◇



 でかでかと映し出されたブサイクなぬいぐるみに、リアは止めていた息をゆっくりと吐き出す。

 真冬だというのに、体にはびっしりと汗をかいていた。激しく脈打つ胸と息苦しさに喘ぎながら、彼女は小さなぬいぐるみをきつく抱き締める。

 ──何か嫌な夢を見た気がする。

 だが上手く思い出せない。いや、これだけ動揺しているなら思い出さない方がいいのだろうか。

 首元まで被っていた毛布を蹴飛ばし、ひんやりとした空気で全身の熱を冷ます。

 暗い天井を見詰めること数分、ようやく落ち着いてきたリアは前髪を掻き上げつつ、億劫な動作で体を起こした。


 汗だくの体を濡れタオルで拭き、湿った肌着ごと新しい衣服に着替えたところで一息つく。

 ふと視界に入った小瓶を開けて、一滴だけ手首に垂らしてみれば、爽やかな柑橘の香りがリアの鼻腔をくすぐった。


「……エドウィンの香りがする」


 心底ホッとしていたリアは、ほどなくして羞恥に襲われたので慌てて香水瓶の蓋を閉める。

 身支度を整える間に思い出したことと言えば、昨日ヨアキムが帰ったところを見計らい、手持ちの薬草だけでまじないのリースを作ったこと。大きさで言えば殆ど腕輪に近いそれは、何故だかサイドテーブルの下に落ちていた。


 ──もしかしてコレのせいで……?


「……まさかね」


 呆れ気味にかぶりを振ったリアは、小さなリースをほどく。

 羊毛のケットを頭から被り、更に厚手の外套を着込んで寮を出れば、薄ら明るい空が彼女を迎えた。


「うわ……私ったら昼まで寝てたのね」


 極夜の時期は一日中真っ暗だと思われがちだが、真昼にはちゃんと陽光が大地を照らしてくれる。

 ただその日照時間がごく短いという話で、皆が昼食を食べ終わる頃には、また深い夜がエルヴァスティを覆うことだろう。

 リアは淡い晴天と真っ白な雪景色を仰ぎながら、メリカント寺院の正殿へ向かおうとしたのだが。


「リア! おはよう」

「……イネス!」


 ぽんと肩を叩かれて振り返れば、昨日の騒動から顔を合わせていなかった友人がいた。

 空とよく似た薄氷色の瞳を細めた彼女は、リアの黒髪についた寝癖を直しつつ語りかける。


「昨日は大変だったから、ゆっくり寝かせてあげようと思ったのだけど……大丈夫? 疲れてない?」

「ん……ええ、平気よ!」


 寝起きは最悪だったが──清々しい陽射しを浴びて、イネスの落ち着いた声を聞いていたら、すっかり気分も良くなったようだ。

 リアがいつも通りの笑顔で頷けば、イネスは「そう」と安堵した様子で微笑み。


「なら準備しましょうか」

「準備? 何の」

「あなたにお誘いが来てるのよ、ほら、急いでっ」


 頭に疑問符を浮かべたまま、リアは寮の一室へと素直に連行される。幼馴染のアハトはともかく、イネスの誘いに乗って大変な目に遭ったことはないからだ。

 今日はどういった用件なのだろうと首を傾げている間に、気付けばリアは私服を脱がされていた。

 湯で顔を洗い、保湿液を丁寧に染み込まされ、慣れない化粧まで施される。短くなってからは特に何のアレンジもせずに放っている黒髪は、綺麗に編み込んだ上で一つに纏められた。


「え、んん!? おかしい、私これ大公国でも似たようなことされ……ぐぇっ」

「リア、コルセット締めるから息吐いてね」


 あの優しいイネスに腹部を締め上げられる日が来るとは思わなかった。

 リアは引き攣った悲鳴を上げながらも何とかコルセットを装着し、だらりと椅子に座り込む。

 一方のイネスはと言えば、半分ほど魂が抜けているリアを放って、どこか楽しげに衣装部屋へと向かう。そして何着かのドレスを持って来ては、うきうきと尋ねてきたのだった。


「さっ、どれがいい? 私のお下がりでごめんなさいね。サイズは問題ないと思うから」

「え、ええっ、ま、待ってよイネス、こんなの着てどこに」

「やっぱりリアは明るい黄色が良いかしら。大人っぽい赤も似合いそうね、いや、やっぱりここは紫で合わせるべき……?」

「聞いてないね?」



 結局、イネスは選んだドレスを着付けた後も「お誘い」の内容は明かしてくれず。

 わけも分からぬまま暗い夜道を馬車で進み、やがて辿り着いた賑やかな王宮を仰いだリアは、困惑を露わに立ち尽くしてしまった。


「だ、だよね、ここしかないわよね……」


 今日はアイヤラ祭の三日目。祭りの目玉イベントであるダンスパーティが開かれる日だ。

 しかしながらリアはこの催しに参加した経験がない。毎年、外の屋台を巡って美味しいものを食べて帰るという色気皆無の楽しみ方しか知らないので、どうしたものかと途方に暮れる。


「それじゃあリア、楽しんできてね」

「へ!? 一緒にいてくれないの!?」


 気分はまるで、初めて一人で買い出しに行かされる幼子のよう。

 喧騒と暖かな光を背に振り返ると、控えめな化粧で更に美しくなったイネスが、ちょっぴり申し訳なさそうに笑った。


「私、この後ユスティーナ様に呼ばれてて……」

「そんなぁ……」

「ええと、大丈夫よ、王宮は火の精霊がいてとっても温かいし、みんな自分のことで精一杯だから緊張する必要ないわ」


 それに、とイネスは王宮をちらりと一瞥し、慈しみ溢れる笑顔で告げたのだった。


「エルヴァスティに帰ってきてから、ずっと我慢ばかりだったでしょう? 危ない目にも遭ったし……警備は万全だからしっかり楽しんでおいで、リア」

「イネス……ありがとう……でも私ダンスしたことない……」

「ふふ、それは心配ないわ、きっと」


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