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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
8. 銀騎士、山河を超えて

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8-6

 それはリアが初めて光華の塔に入った日の夜だった。

 当時の彼女は精霊に好かれやすい体質や、愛し子という呼び名さえまだ知らなかった。訳も分からず師匠の腕に抱かれ、ひたすらに長い石橋の上から、雪化粧を纏う峰をじっと見詰めていたことは覚えている。

 やがて到着した古びた城。そこで待ち受けていた見知らぬ大人たちは、師匠の元へ忙しなく駆け寄るなり、緊迫した様子で言葉を交わす。やがてリアは彼らに引き渡され、師匠はその小さな頭を撫でては背を向けた。


「どこいくの?」

「すぐ戻る。今日はここで飯食って寝ろ」


 そこではたと歩みを止めた師匠は、外套の内側からブサイクなぬいぐるみを引き抜いて、リアの腕にしっかりと抱かせる。その場にいた全員から意外そうな視線を注がれた師匠は、凶悪な目付きでそれらを跳ね返しつつリアへ告げた。


「そいつがいりゃ寝れるな?」

「みどりのがよかった!」

「うるせぇ文句言うな」


 いつもと変わらないやり取りの後、師匠は今度こそ石橋を引き返していった。吹雪の奥へ消えていく背中を見送る最中、城門がゆっくりと閉ざされる。

 狭くごちゃごちゃとした家とは違い、光華の塔はとにかく広かった。知らない大人ばかりの空間はひどく落ち着かず、かと言って付いて行かなければ迷子になってしまう。ぬいぐるみを抱き締めて渋々と後を追い、通された部屋で食事をとり、これまた広いベッドに寝かされた。

 ──そこで初めて、捨てられたのだろうかと怖くなった。

 誰もいない部屋を見渡す勇気はなく、リアは毛布の中に沈んだ。

 その晩はひたすら泣いていた。ぬいぐるみは涙でびしょびしょになり、こすった瞼は赤く腫れてしまった。

 泣き疲れて眠りに落ちたリアが次に目を覚ましたとき、喉も頭も痛くて気分は最悪だった。それでも天窓から覗く澄んだ青空には、星々の名残が未だ輝いていて。


「……?」


 いつの間にか退けられた毛布の代わりに、立ち去ったはずの師匠がリアを抱き締めて眠りこけていた。

 唖然とその寝顔を凝視していれば、やがて彼が目を覚ます。大人しい少女を見てか、彼は顰め面で小さな鼻をつまむ。


「しばらくここで寝泊まりすんだぞ。初日から泣くな」

「おうちかえれるの?」

「ああ。取り敢えず俺はまだ眠いから寝る」

「……リアも寝る!」


 二度寝の姿勢に入った師匠の胸に飛び込めば、大きな手が緩慢な動きで背中を摩ってくれた。落ち着く木材の香りに包まれたリアは、ほどなくして穏やかなまどろみに意識を委ねたのだった。



 ◇◇◇



 ──懐かしい夢から醒め、リアは真っ暗な部屋でむくりと体を起こす。

 そろそろエドウィンが来る頃だろうかと、凭れていた大きなクッションを横に押しやった。仮眠用にしては大きすぎるベッドの上を、四つん這いになって端まで移動した彼女は、天井から垂れている金糸の紐をくいと引く。

 多角形の天井を覆っていた分厚いカーテンが、するすると左右に開かれる。青白い斜光は徐々にその幅を広くし、やがて部屋を隈なく照らすまでに至った。

 天井から壁まで地続きになった硝子。そこに映し出されたのは満天の星空と、たなびく色鮮やかな極光(オーロラ)だった。気が遠くなるほど美しい空の裾野には白き山脈が連なり、明るい夜に更なる静寂を添える。

 塔から大きく()り出したこの部屋は星見(ほしみ)の間と呼ばれ、この通りカーテンを全て開けてしまえば、あっという間に見る者をエルヴァスティの夜空に放り込んでしまう。

 初めて光華の塔へ来た夜は、まさか天井がこんなことになっているとは知らなかったが──恐らくこれも、かつて囲われていたという寵姫のために設計されたのだろう。


「今日は綺麗に見えるわねー……」


 そこかしこに積まれたクッションを背に、リアは暫し星空の中で深呼吸をした。

 昔のような絶望的な孤独感はないものの、やはりここは静かすぎる。

 精霊はもちろん人の気配すらしない星見の間で過ごしていると、まるで自分の肉体が俗世から完全に切り離されてしまったかのような感覚に陥るのだ。

 ──お嬢さんは人の域から片足分はみ出たような、独特な匂いがする。

 メイスフィールド大公宮の国立図書館で、ノルベルトから言われた言葉が頭を過る。あのときは失礼な人だと憤慨したが、彼の感覚はいたって正常だったのかもしれない。

 

「あの人大丈夫だったかな。お友達の遺品、見付かってると良いけど……」


 謹慎が解けたらべドナーシュに足を運んでみようかと考えたところで、リアは溜息をつく。

 自由に国外へ出られるようになるのは、当分先の話だろう。エルヴァスティから追放されたはずの罪人が、何の因果かリアのことを狙っていると言うのだから。

 何かの間違いであれば良いのにと思う反面、愛し子を使って精霊の力を悪用しようと企てる輩が、過去に幾人も存在したのは既知の事実。おいそれと一人で外出すれば、今日のような危険な目に遭うに違いない。


「……だめだめ、楽しいこと考えよ!」


 手近なクッションを放り投げ、リアは勢いをつけてベッドから立ち上がった。

 わざわざ長い階段を上がって来てくれるエドウィンのために、温かいお茶でも淹れておこう。食後は熱めの方が良いだろうか。睡眠を妨害しないよう紅茶は避けて──。


「…………エドウィン、早く来ないかな」


 棚の茶器を選びながら、こぼれた独り言は小さかった。

 結局、まだ自分はこの空間が苦手なようだ。

 ──出来ることなら明日の夜も、孤独を和らげる星々の光がありますように。

 リアはいくつか茶葉を見繕うと、丸テーブルを明るい場所へと移したのだった。



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