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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
8. 銀騎士、山河を超えて

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8-4

 光華の塔は今より百五十年ほど前、当時のエルヴァスティ王が寵姫(ちょうき)のために建設した、いわゆる離宮のようなものだった。

 王は正妃を差し置いてまで娘に寵愛を注いでいたが、やがてその娘が精霊の愛し子であることが判明する。寵姫が精霊に喰われることを恐れたエルヴァスティ王は、メリカント寺院に無理難題を押し付けた。

 ──精霊を追い払う術を創り上げよ、と。

 元より精霊と親密な関係にある精霊術師たちに、そのような術が創れるはずもなかった。しかし王命に逆らうわけにもいかないので、彼らは片端から神話や言い伝えを漁ったという。

 史実から御伽噺(おとぎばなし)に至るまで、何百と存在する資料を読み解いた末に辿り着いたのは──ある若者の話だった。


 その者、たおりし紅き枝を手に神域へと進む。

 神々は男をおそれ、風と共に喚き、やがて姿を消した。


 史実にもならない、取るに足らぬ小咄(こばなし)。されど精霊術師たちにとってはまさしく光明であった。

 若者は精霊に供物を捧げに行く途上で紅い樹木を見つけ、その枝を持って神域へ向かった。すると何故か精霊たちが忽然と消え失せてしまい、若者は村の者たちからこっぴどく叱られたとの記述が残されている。

 メリカント寺院の精霊術師は大急ぎで詳細を調べ、騎士団も総動員して件の紅き樹木を探した。

 そして──彼らの努力は実り、光華の塔に樹木の苗が届けられる。

 みなが半信半疑で生長を見守る中、紅き樹木は見事に精霊を追い払う力を宿した。

 エルヴァスティ王はいたく喜び、光華の塔で寵姫を囲ったが──後ほどその娘が正妃の手先によって暗殺されてしまい、あまりの衝撃的な結末に誰もが絶句したとか。

 以降この城はメリカント寺院の管轄下に置かれ、精霊の愛し子のために用いられるようになったのだった。



 うずたかく盛られた樹氷が丸く垂れ下がり、本来の形が分からぬほど肥大化した木々の群れを見遣り、エドウィンはつい窓硝子に顔を近づける。

 樹氷の下から覗く濃厚な紅色。幹から枝葉に至るまで全てが深い赤に染まったその木は、エルヴァスティで弑神(ししん)の霊木と呼ばれているそうだ。


「弑神……神殺しのことか……?」


 光華の塔に勤める精霊術師から聞いた話を思い出しながら、ぽつりと呟いた直後のこと。

 ばたばたと階段を駆け下りてくる音が聞こえ、エドウィンははたと思考を止めて振り返った。

 狭い階段室に続く少しばかり小さめの扉が、がちゃがちゃと音を立てて開かれれば、そこから──いつもより丸々とした黒髪の娘が飛び出してきた。


「エドウィン!」

「リアっ?」


 暖かそうな冬の装いに身を包んだ彼女は、息を切らしたまま愛らしい笑みをこぼす。赤く火照った頬と鼻先を、白い吐息がふわりと覆った。

 たったそれだけで容易く唇がゆるんでしまい、エドウィンはだらしない表情を誤魔化すように笑顔を返してみせる。


「迎えに来てくださったのですか?」

「ええ。あなたがここまで来たって聞いて、急いで下りてきたの。大巫女様との話は終わったのね?」

「はい……もしや最上階から……?」

「ううん、隣の東塔から! さっきまでサディアス様の部屋で盤上遊戯(チェス)してたんだけど、ぜんっぜん勝てなくて降参したところ!」


 階段を駆け下りて疲れただろうに、リアはいつも通りかそれ以上に楽しそうな笑顔で語る。

 国王との会談を終えたサディアスとその護衛団は光華の塔に通され、既に各々寛いでいるらしい。そこへ特別に入室を許可されたリアは、どうやら皇太子の暇つぶしに付き合わされていたようだ。


「よし、じゃあ夕飯までエドウィンは私が案内するわ! 廊下は寒いからしっかり厚着してね」


 彼女は小脇に抱えていた濃緑色のケットを広げると、こちらを見上げて固まってしまう。それから両手を上げては下げを繰り返し、難しげに唸る。

 その仕草でおぼろげに意図を汲んだエドウィンは、逡巡の末に背を屈めてみた。今にも勢いよくケットを靡かせようとしていたリアが、すんでのところで動きを止めては笑った。


「あっ、ごめんなさい。エドウィン背が高いから、どうやって掛けようか迷ってたの。助かるわ」

「羽織るだけでは駄目なのですか?」

「ちゃんと頭を通すところもあるのよ、ほら、こうやって」


 ずぼっ、と頭からケットを被せられる。頬や額に当たる滑らかな毛布の感触は、メイスフィールドに流通しているものよりも遥かに心地よく、薄さのわりにとても温かい。

 もしやこれがエルヴァスティで有名な羊毛製品だろうかなどと考えていたら、すぐに細い指先が視界を下へと開く。

 橙色の光と共に目の前に大きく映し出されたのは、エドウィンの背中に両手を回すリアの姿だった。

 抱きつくような姿勢に彼が硬直したのも束の間、リアは後頭部で団子状になっていたケットを真っ直ぐに(なら)していく。


「冬は皆これを外套の下に着込んで出掛けるの。わあ、やっぱり何でも似合うわねエドウィン。……エドウィン?」

「は……そうですね、とても温かくて驚きました」

「でしょー? お土産に持って帰って良いわよ」


 朗らかに笑う彼女の背後、流れで抱き締めそうになった両手を辛うじて律した。

 そのとき、エドウィンはまたもや鼻腔を掠めた仄かな香りを追い、リアの手首を見遣る。

 ──彼女から自分とよく似た香りがするのは、気のせいではないだろう。

 しかしそれが何を意味するのかは理解できず、率直に尋ねてよいものか迷う。知らない男から貰った香水だなんて返答が寄越されたら、暫く立ち直れない気がしたからだ。

 例えば、彼女と妙に親しげだった騎士の青年とか。


「さ、行きましょエドウィン。あんまり時間無いから、まずはこの中央塔からね」

「……ええ、お願いします」


 香り以外はひとつも変わらないリアを見詰め、エドウィンはふと息をつく。もう少し心穏やかに再会を喜びたかったのだが、仕方あるまい。

 気を取り直して彼は笑みを浮かべ、意気揚々と歩き始めたリアの左手を掬う。

 そうすれば、菜の花色の瞳が必ずこちらを向くと知っていた。


「えっ、な、なに?」

「手が冷たくて。こうしていても構いませんか?」


 ほっそりとした手を優しく握り込むと、リアの頬に朱が滲む。

 その相変わらず初々しい反応を微笑ましく見守っていれば、やがて彼女は「じゃあ明日、手袋買わなきゃね」と少々的外れな言葉と共に頷いたのだった。



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