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やけくそとはこのことか、顔を真っ赤にして怒鳴ったアハトに驚き、ちゃんばらについて考えていたリアは尻餅をついてしまった。
暫しの沈黙を経て、リアの頭にぼんやりと記憶がよみがえってくる。確かにそんなことを言ったような気がするが──。
「お師匠様から修行の許可がなかなか下りなくて駄々こねまくって、街でたまたま会ったアハトに愚痴ったときの、あれ?」
「そう、それだ!! なのにお前、気付いたら一人で出発してたろ!?」
「あはは、お師匠様から一人で行って良いって言われて、すぐに飛び出しちゃったのよね。そういえばアハトには出発の挨拶してなかったわ。何か忙しそうにしてるって聞いて……あっ」
もしやその頃から既に入団試験の勉強をしていたのだろうか。リアの愚痴を真に受けて。
エルヴァスティでは寺院の精霊術師と王宮騎士が一緒になって働くことが多く、かつて修行を共にした二人が今もなお国のために活躍しているなんてことも珍しくない。だからこそ数年前のリアは、そんな頼もしい相棒さえいれば師匠も修行を許可してくれるのではないかと、安易な考えで発言したのだろう。
そして自分のためにアハトが騎士になるべく頑張ってくれていたことなど露知らず、許可が下りたらすぐに一人で外国へ旅立ってしまったわけだ。
ここ三か月にわたる幼馴染の不機嫌な理由をようやく知り、リアは引きつった笑みをこぼした。
「うわっ、ごめんアハト! ひとこと言ってくれれば良かったのに! そしたら少し出発も待ったかも……いや、うーん、微妙ね」
「そこは待つって言えよ」
「だってアハトが私のために騎士になるなんて考えもしなかったもの。日頃の態度からして」
「ぐっ……!」
どうやら自覚はあるようで、胸を抉られたようにアハトが呻く。そんな幼馴染に笑ったリアは、逞しくなった背中を軽く叩きながら告げた。
「でも平民から騎士になるなんて凄いわ。たくさん努力してくれたのよね? ありがとう」
帰郷してから言えていなかったことを込めて伝えると、呆気に取られた様子で彼が固まった。その視線がふとリアの耳飾りに移った直後、道端に積もっていた雪に顔面を埋めてしまう。照れ隠しにしては些か大胆な行為だ。
「……くそ、それ外して言えよ……」
「え? 何か言った? ほら、しもやけになるわよ。顔上げて」
「うるさい、自分で立てる──」
そのとき、アハトが不意に鋭い動きで体を起こし、素早く剣に手を掛けて周囲を見渡す。その最中に腰を浮かすよう促され、リアは戸惑いながらも従った。
「……どうしたの?」
「誰かいる。いつでも走れるようにしとけ」
手短に告げられた言葉にまばたきを繰り返しつつ、恐る恐る脇道を覗き込んでみたが、それらしい人影はない。だがアハトの言う通り、誰かから見られているような気配は確かにする。
いつの間に天候が変わったのか、軒によって細長く切り取られた灰色の空から、しんしんと雪が降り注ぐ。冷え込む空気にぶるりと体が震えた瞬間、視界の端できらりと何かが光った。
「わあ!?」
二人目掛けて一直線に飛んで来た矢を、アハトが咄嗟に剣で叩き落とす。突然の襲撃にリアが悲鳴を上げたのも束の間、すぐさま彼に手を引かれて細い路地を走り出した。
「何なに!? アハト怪我しなかった!?」
「大丈夫だから喋んな!」
ぴしゃりと叱られて口を閉ざしたリアは、右折すると同時に石畳を打った鏃に悲鳴をかみ殺す。さっきの矢とは違う方向から飛んで来たところを見るに、既に何人かに囲まれていると考えた方が良いだろう。
精霊術を使えば、少しは射手の目くらましが出来るのだが──師匠や大巫女からの叱責を覚悟で、リアは外套の内側からナイフを引き抜いた。もしもアハトが矢を受けて、怪我でもしたら大変だ。たとえ謹慎生活に逆戻りになっても、ここを無事に切り抜けられるのならと。
「えっ」
だが彼女が走りながらナイフを持ち上げると、まだ召喚の呼びかけすら口にしていないと言うのに、何処からか光が近付いてきた。
言わずもがな、精霊だ。
リアが髪を切る瞬間を今か今かと待ち侘びる姿に、つい唾を飲み込む。
「おい、術は使うなって!」
「ま、まだ使ってないわよ! 勝手に寄って……」
脇道の前を通り過ぎようとしたとき、二人はそこに立つ大柄な男を二度見してしまった。
顔面に傷跡をこしらえた男は、唖然としている二人──否、アハトを狙って斧を振りかぶる。「危ない」と声を発するより先に、リアは幼馴染の背を突き飛ばしていた。
容赦なく斧が打ち下ろされ、がつんと石畳を抉る。危機一髪、頭をかち割られるところだったアハトは体勢を立て直そうとして、青褪めた。
「リア!!」
彼が声を荒げたときには既に、リアは右腕を掴まれていた。抵抗する隙も与えず、後ろにいる男は掴んだ腕を背中で捻り上げてしまう。あまりの痛みに崩れ落ちれば、彼女の呻き声を聞き捉えたアハトが怒りの形相で地を蹴った。
「お前、何して──……!」
「アハト!?」
しかし、間に立ち塞がった大柄な男が斧を振り抜き、彼を敢えなく弾き飛ばしてしまった。鈍い音と共に彼が積雪へ突っ込めば、用は済んだとばかりに二人の暴客が踵を返す。
勿論そのうちの一人に拘束されているリアも否応なしに引き摺られることになり、慌ててその場に踏ん張ってみるも効果はなく。段々と遠ざかっていく幼馴染の姿に、混乱と焦りが頂点に達したリアは──しくしく泣くような質ではなかったので、腹の底から大声を上げた。
「はっ、放せぇー!! 誰よあなたたち!? アハト生きてる!? 返事して!」
「おい、猿轡を。やかましすぎる」
予想以上にリアが騒いだせいか、心なしか早口で痩身の男が言う。その後すぐに手拭いを噛まされてしまい、思うように声が出なくなった。
──何がどうなってるの? どこに連れて行く気?
はやる気持ちのまま、せめてこの場から動いてなるものかと、リアが前かがみになった直後のこと。
「──ぐぉっ」
何かが叩き折られる音。ついで聞こえた、低く苦しげな声。
眇めた瞳で周囲を窺ってみれば、大柄な男が真っ二つに折られた斧を手放し、よろめく姿がそこにあった。しかし男が膝をつくことは許されず、脇腹に重い蹴りが放たれる。狭い路地の壁に衝突した男は、そこでようやくずるずると蹲った。
開けた視界に舞う藍白の髪と、曇天の下であっても美しさを損なわない菫色を認めたリアは、零れ落ちそうなほど目を見開いたのだった。
「え……エドウィンわああ!?」
鞘に納めたままの剣が、リアの頭上で勢いよく振られる。背後にいた男は横っ面を殴られ、一回転しながら積雪に倒れてしまった。
その拍子にパッと解放されたリアがたたらを踏めば、すかさず正面から抱き止められる。
「リア……! 大丈夫ですか!?」
視界に大きく映し出された麗しい心配顔に、リアは無数の疑問符を浮かべながらも小刻みに頷く。
何故彼がここにいるのだろう、幻覚だろうかと疑ってみたが、体を抱き寄せる力強い腕も、額に当たる吐息も本物のようだ。それとエドウィンの向こう、鬼気迫る表情で駆け寄るイネスと──金髪のへらり顔も。
※ここまで読んでいただきありがとうございます※
宣言通りしれっと第2部を始めました。
調子に乗って1日2話投稿とかしましたが、面白いくらいストックが溶けていくので程々にします。
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よろしくお願い致します。




