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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
7. 銀雪の故郷

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7-6

 一方その頃、イネスがとても面倒くさい男に絡まれていることなど全く知らないリアは、テーブルに出された温かい紅茶をじっと凝視していた。

 ほかほかと立ち昇る湯気の向こう、苦い豆を挽いて出来た真っ黒な珈琲を啜るのは、先程リアに声を掛けてきた紳士だ。

 三十代、いや四十代だろうか。ヨアキムと同じくらいの年齢であろう彼は、されど師匠には無い渋く落ち着いた所作でカップを置いた。


「急に声を掛けたりしてすまなかったね。手首は大丈夫かい」

「あ。はい。びっくりしましたけど」


 率直に返せば、寄越された濃緑の瞳が微かな笑みを刻む。薬草を擂り潰したときの色に似ている、とまたもや職業病を発症していることにも気が付かず、リアはおずおずと紅茶に口をつけた。


「……おじさん、杖を失くしたって言ってましたよね。ここからどうするんですか?」

「少ししたら迎えの者が来る。そいつの手を借りよう」


 ちらりと見遣った先には、事故が原因で自由を失ったという右脚がある。この喫茶店に彼を連れて来る間、ずるずると荷物のようにそれを引き摺る様は、リアも既に確認済みである。

 ──この紳士は酒場の前に出来た人混みの中で、体を支えるための杖を落としてしまったそうだ。あやうく転倒しかけたところで、同じくふらついていたリアの手を咄嗟に掴み、辛うじて事なきを得た。

 しかしそれは目先の危険を回避できたというだけで、彼が凍った道を歩くことも儘ならぬのは変わらない。ゆえに迎えが来るまで、こうして閑散とした喫茶店で時間を潰しているわけだ。

 古民家を改築したという店内は狭く、それでいて生活感が失われておらず暖かい。丸太を切ったような椅子と揃いのテーブルも、そこに掛けられた色彩豊かなケットも可愛らしい。リアはともかく、この空間にしれっと馴染んでしまえる中年男性はそう多くないだろう。


「お嬢さんこそ、連れがいたのではないかな。戻らなくて平気か?」

「だっておじさんが紅茶頼んじゃったもの。これお礼のつもりなんでしょう? だったら飲まなきゃ」

「律儀だな」


 冷めないうちにもう一口飲めば、寒気に晒されていた体がじんわりと内側から温まっていく。ピリッとした辛味が舌を刺激するや否や、はちみつのまろやかな甘さが絶妙にそれを包み込んだ。


「……茶が好きなのか」

「え?」

「いや、随分と幸せそうな顔をすると思ってね」


 頬杖をつきながら、されどだらしなく見えない程度に姿勢を保った紳士は、そこで口角を上げて分かりやすく笑む。

 彼を見ていると、色気というものは年齢を重ねても失われないことがよく分かる。きっとエドウィンも将来、色気駄々洩れのまま成長してとんでもない男になるに違いない。

 そんな確信を得たリアは、今しがた告げられた言葉を改めて反芻しつつ、カップの中にある赤茶色の円を覗き込んだ。


「お茶は自分でもいろいろ淹れるんです。どの茶葉を混ぜるかとか、スパイスはどうするかとか、考えるのが楽しくて」

「茶器は?」

「よく割るから茶器は丈夫なのが良いです」


 くっと堪えるような笑い声が漏れる。見てみれば、紳士が不自然な体勢で窓の外を眺めていた。


「今おじさん笑ったでしょ」

「いやいや」

「もー、私だっておじさんぐらいの歳になれば茶器も割らないようになってるんだから」

「時間が掛かり過ぎじゃないか?」


 彼の言葉を聞き流すように、ごくごくと紅茶を飲み干したリアは、慎重にカップを置いて立ち上がる。そうして鞄と外套を抱えては、テーブルの脇に移動した。


「じゃあ私そろそろ行きますね。のんびりしてたら心配かけちゃう」

「ああ。楽しい時間をありがとう、豪快なお嬢さん」

「どういたしまして! あ、お気を付けてー!」


 ごちそうさま、と最後に挨拶をしてリアは踵を返す。外套を着込み、二重の扉を開けて外へ出れば、また凍て付くような寒さが全身を覆った。硝子越しにもう一度だけ紳士に手を振り、彼女は街路の方へと向かう。


「……気を付けるのはそちらだがね」


 静けさを取り戻した喫茶店で、紳士はゆっくりと手を下ろしたのだった。




 ──意図せず紳士とゆっくりお茶してしまったリアは、酒場へ戻る道を小走りに進む。イネスもエドウィンに負けず劣らず過保護なところがあるので、早めに顔を見せて安心させなければ。


「でも知らないおじさんに紅茶奢ってもらったー、なんて言ったら怒られそうね……ここは人助けを前面に押し出して説明しなきゃ」

「リア!!」

「わはぁ!?」


 言い訳を考えようとした矢先、後方から力一杯名前を呼ばれて飛び上がった。

 慌ただしく振り返ってみると、大通りの方から息を切らした幼馴染が駆け寄ってくる姿を見付ける。


「アハトっ? どうしたの?」

「どうしたのじゃねぇ! イネスさんに凄まれ……間違えた、頼まれて捜してたんだよ! どこ行ってた!?」

「いたた、やめてよ、ちょっと人助けしてただけ!」


 ぐりぐりと頬を手のひらで押し揉まれ、リアは勢いよく頭を後ろへ振った。痛む両頬を押さえながら(むく)れれば、ばつが悪そうな顔でアハトは溜息をつく。


「……早く戻るぞ。お前いま、精霊術使ったら駄目なんだろ? 祭り前だからか知らないけど喧嘩っ早い奴だっているんだ、一人でほいほい歩くなって」


 酒場での騒ぎを指して注意した彼は、リアの手を引こうとして逡巡。結局、袖口を引くに留めた。

 ──今日は嫌味を吐かないのだろうか。

 アハトのうなじ辺りを見上げたリアは、大人しく後を付いて歩きながら、帰郷してからずっと疑問に思っていたことを尋ねてみる。


「ねえアハト」

「何だよ」

「もしかして小さい頃から王宮騎士団に入りたかったの?」

「っはあ!?」

「え?」


 ぐるんと勢いよく後ろを振り返ったアハトの顔は、それはもう信じられないと言わんばかりの形相だった。

 一方のリアはぽかんとした笑みで固まり、小首を傾げることしか出来ず。


「いや、何か……騎士に思い入れでもあったのかなって」

「おま……それはお前が」


 目元を赤くした彼は、わなわなと震えた指を突き付けては口籠る。そしてその手で顔を覆っては、再び背を向けて蹲ってしまった。

 これは拗ねたときの仕草だ。幼い頃と変わらない後ろ姿に笑いを堪えつつ、リアはそっと隣に屈んだ。


「私が何? 騎士ごっこでもしたっけ?」

「……」

「んー、でも私、ちゃんばらはそれほど好きじゃなかったような」


「──精霊術師の修行、アハトが騎士になって付いて来てくれたら良いのにって、お前が言ったんだろ!!」



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