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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
15. 闇を焚く焔

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15-7

 高く打ち上がった火球はみるみる大きくなり、限界に達したところで弾け飛ぶ。

 大量の火の粉が影獣の体躯に降り注げば、ぶちぶちと嫌な音を立てて手足が剥がれていく。分離した手足は靄へと戻り、逃げるように石室の隅へと消えた。

 しかし本体は未だ勢いが衰えず、断末魔の叫びと迫り続ける黒い巨体にリアが焦りを抱いたとき、頃合いと見たのか銀騎士が飛び出す。


「エドウィン!」


 彼は自身よりも何倍も大きな影に怯むどころか、自ら階段を飛ばし飛ばしに駆け上がっていく。携えた星涙の剣は七彩を放ち、奔星のごとく軌跡を残した。

 そして次の瞬間、黒白(こくびゃく)が激しく衝突する。あらゆる色彩を奪い明滅する視界の中、影の形が忙しく変化してはエドウィンを喰らおうと蠢く。

 危険な光景を捉えたリアは瞼の痛みを堪えつつ膝を立て、手探りにナイフを手のひらに押し当てた。


「エドウィン、そのまま踏ん張って!」


 皮膚を裂くと同時にナイフを投げ捨て、リアは思い切って階段を駆け上がる。

 次第に近付くエドウィンの背がにわかに後ろへ傾けば、それを全身で受け止めて押し返す。はっと寄越された菫色の瞳は、すぐに目の前の影獣へ戻された。

 彼が階段の下へ押し込まれないようぎりぎりで支えながら、リアは唸り声と共に左手を伸ばしていく。そうして、エドウィンが握る星涙の剣をしかと掴んだ。



「──天より舞い降りし審判の隕星よ! 地の底より這い出す暗黒を()き払え!」



 精霊術師の呪文が大きく木霊した。

 刹那、白き剣が閃光を放ち、影獣の巨躯を切り裂く。

 急に手ごたえを失ったエドウィンがよろめくのに併せ、リアも階段に倒れ込む。その後、二人の視界は白一色に塗りつぶされてしまった。




 その光は、暖かな陽射しとは違っていた。

 月明かりをたっぷりと含んだ清流が、頭から爪先に優しく注がれるような。

 恐ろしく凪いだ心と共に目を覚ましたリアは、微動だにせず眠る細面を認め、そっと頬を撫ぜる。口元から微かな呼気を感じ取っては安堵の息をつき、億劫な動きで周囲を探った。

 気を失ってもなお、リアを庇って回された彼の両腕は固い。仕方なしに肩越しで薄暗い空間を見渡してみれば、階段を三段ほど下りたところに星涙の剣が落ちていた。

 リアの呪文に応じた瞬間のような、凄まじい光は既に鳴りを潜めている。


「……ダグラスは……」


 首をひねり、後ろを振り返ったリアは、祭壇の頂上を見て言葉を失う。

 逡巡の末にエドウィンの両腕から脱出し、くらくらと揺れる頭を押さえつつ階段を上った。

 大きな蛇が見下ろす先、懺悔の姿勢で蹲る男。

 否、それは懺悔ではなく、叶わぬ願いに縋る姿だったのだろう。力なく伸ばされた右手は、祭壇に打ち捨てられたモーセルの杖へ向かっていた。


「……もう無理よ」


 ダグラスの体は黒く染まったままだった。おぞましい化物の姿からは解放されても、彼の肉体と魂は──神域の向こうへ渡ろうとしている。

 多くの人々を騙した末に聖遺物を奪い、身の丈に合わぬ力で影の精霊を使役し、果てには潰えた命を復活させんとした罪。その報いを受ける時が来たのだ。

 リアは哀れな男を追い越し、行く手に立ち塞がる。モーセルの杖に触れさせぬよう手を広げれば、朦朧とした濃緑の瞳がゆっくりと彼女を見上げた。


「邪魔を……しないでくれ。いくら君でも……こればかりは譲れない……」

「死者は帰って来ないわ。この世界の在り方そのものを変えなければ、絶対に叶わない夢よ。そしてそれは……私たち人間では成し遂げられない」

「分かっている」


 分かっている。ダグラスは小さく繰り返した。

 二頭蛇の杖を虚ろに見詰めていた彼は、影に侵食された手を広げる。


「だが……君に会いたい。そこを退いてくれ、()()()


 額を擦りつけ、懇願する。

 リアは否定の言葉を掛けようとして、喉の奥へと引っ込めた。代わりにその場に屈んでは、感触の定かでない彼の手を掬い上げて尋ねる。


「会って、どうするの?」


 しばし掠れた呼吸を繰り返したダグラスは、やがてきつく手を握り締めた。


「謝らなければ……君に、何もしてやれなかった。何も分かってやれなかった。私は覚悟をしたつもりでいただけだった」

「……」

「精霊に喰われて消えてしまうと言う君を、救おうともしなかった。そのくせ、未練がましく君を追いかけて──」


 彼はそこで言葉を詰まらせると、握った細い手に額をすり寄せて呟く。



「自分の娘も、愛せなくて」



 嗚咽交じりに告げられた言葉に、リアは何も答えなかった。

 ただじっと、痛いほどに握られた手を見詰めていた。


「……君とそっくりなんだ。大きな目も、笑う声も、紅茶を飲む姿でさえ。それでも……それでも憎む気持ちは消えなかった。消えるのはこの子で、君じゃなかったはずだと」


 ぽつぽつと語られる苦しみが、靄となって溶け落ちていく。

 人の形を失いつつある男は、なおも罪の告白をやめなかった。


「私と()は同じなんかじゃあない……君を普通の人間と並べて、現実から目を背けていた私とは、違う」


 湧き出る靄に浮かぶのは、己への底知れぬ嫌悪。夫として、親としての務めを果たさなかった自分への。

 そのまま果てのない沼へと沈んでいくかに思われたダグラスを、リアは辛うじて引き留めた。ぐっと手を掴み寄せて、閊えた喉で声を絞り出す。



「──オーレリアは、あなたが考えた名前でしょう」



 オーレリア・カーヴェル。いつだったか、イヴァンがそのような名前でリアを呼んだ。

 エルヴァスティで育つ間、何度か不思議に思ったことはある。何故、自分の名前は故郷の皆と少しばかり違う響きなのかと。

 髪も顔つきも東方の民族で間違いないのに、どうして西方諸国で主流な名前を付けられたのだろうかと。

 ゆえにダグラスの素性を知ったとき、そんな些細な疑問がようやく解かれた。


「娘と三人で暮らす未来を、想像してくれてたんでしょう? ……それだけでいい。私、この名前好きよ」


 右手をかぶせ、影の五指を包み込む。錆びついた動きで寄越された濃緑の瞳を迎え、リアは微かな笑みをそこに刻んだ。

 男は眩しげに目を眇め、静かに手を引き抜いてしまう。

 ゆるく首を振ったダグラスは、次第にその姿を崩していきながら、最後に唇を小さく動かした。



「……幸運を。リア」



 衝き動かされるように伸ばした手は、虚しく空を切った。

 大量の靄が空振った指をすり抜け、暗闇へと吸い込まれる。祭壇の朽ちた石畳が見える頃には、男の姿は跡形もなく消え去っていた。


 ──引き戻したリアの手に、銀の指輪だけを残して。


「リア」


 小さな環を呆然と見詰めていたリアは、その声で我に返る。

 はっと顔を上げてみれば、星涙の剣を携えたエドウィンがそこに立っていた。どこにもないダグラスの姿に疑問を抱く余地はなかったのか、彼はゆっくりと息を吐き、何も言わずに手を差し出したのだった。



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