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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
14.残された者
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14-3

 ヘルガが精霊に喰われ、彼女の産み落とした赤子だけが残されたことを伝えたとき、ダグラスは何も聞こえていないようだった。

 父の付き添いでエルヴァスティ王宮に赴いていたダグラスは、逸る気持ちのまま寺院へ戻ってくると同時に、最愛の妻の訃報を突き付けられてしまったのだ。


「ヘルガが……」

「夜が明ける頃にはもう……すまない。ヘルガの異変に気付いてやれなかった」


 ユスティーナは謝罪した後、「でも」とすぐに声の調子を上げる。重苦しい静寂に包まれた廊下の突き当り、今もリアが眠っている部屋を指して言葉を重ねた。


「娘は、リアは無事に生まれた。どうか……自棄にはならないでくれ、ダグラス」


 そのとき、計ったように赤子の甲高い泣き声が扉の奥から響く。どうやらリアは母親と同様、随分と元気な娘らしい。ユスティーナが騒がしい部屋を見て安堵を滲ませる傍ら、ダグラスは──やはり何も反応を示さなかった。

 ヘルガの遺言をそっと伝えてみても、濃緑の瞳は虚ろなまま。



 暫くは気持ちを整理する時間が必要だろうと、医師の薦めによりダグラスは子爵家の元で過ごすこととなった。

 その間、ユスティーナを始めとした寺院の精霊術師がリアの世話を担当し、嫌々ながらヨアキムも依頼のない日は姪の様子を見に来るようになった。


「……で? あいつはまだ塞ぎ込んでんのかよ」


 使用人たちがリアを沐浴させている間のこと。なかなか顔を見せないダグラスに痺れを切らし、ヨアキムが苛立ちを隠そうともせずに言う。


「励ましてやれと言われたではないか。義弟だろう?」

「知るか。最初っからなよなよしてて気に食わなかったが、自分のガキに会おうともしねぇクソ野郎だとはな」

「……ダグラスは我々とは違う文化に育った。そう簡単に受け入れられんよ」

「何年もヘルガと暮らしていたくせにか?」


 大切な友人の夫ということもあり、ユスティーナは無意識のうちにダグラスを庇うような言葉を並べていた。しかしヨアキムの言う通り、立ち直りに些か時間が掛かり過ぎているのは事実で。

 このままではリアを娘として受け入れてくれないのではと、案ずる気持ちがあるのも確かだった。


「……俺たちの親も、どうせ似たような理由で消えたんだ。ヴィレンの血なんぞ途絶えさせちまった方が良かったろ」

「ヨアキム……!」

「あいつがこのまま顔を見せなかったとして、俺はオーレリアの面倒を見ねぇぞ。寺院で何とかしてくれ」


 彼が投げやりに言い放ったとき、ふと廊下から悲鳴が上がる。

 二人は怪訝な表情で固まり、すぐに部屋の外へ出た。


「どうした」

「ユスティーナ様、あ、あの……! ダグラス様が赤ちゃんを……」


 ちょうど沐浴から戻ってきたであろう少女らの足元には、赤子を包んでいた布が落ちている。中には突き飛ばされたのか、尻餅をついて腰を摩る者もいた。

 ただごとではない雰囲気を感じ取ったユスティーナは、ヨアキムと共にダグラスの後を追いかけた。

 そして──辿り着いた寺院の地下室で、怪しげな術を行使するダグラスを見つける。彼の傍には、無造作に転がされて泣き叫ぶリアの姿もあった。


「ダグラス!!」


 そこには通常の精霊術には感じられない、禍々しく重い空気が充満していた。薄闇に潜む影が、まるで意思を持って動いているかのような錯覚に陥り、ユスティーナは無我夢中で呪文を口にする。

 黒い泥がリアの体を包み込もうとした瞬間、眩い光がそれを打ちはらう。一歩遅れて地下室へ踏み込んだヨアキムが、隙を突いて赤子を奪い取った。


「てめぇ、一体何の術をっ……!?」


 怒りの形相で彼が振り返ったとき、ダグラスは既に意識を失っていた。

 不自然に曲がった右脚は、彼が禁術を行使した罪で投獄されてからも、決して完治することはなく。



 ◇◇◇



「……それが、十八年前の出来事ですか」


 精霊の贄となってしまった母と、それを受け入れられず禁術に手を出した父。

 ユスティーナとヨアキムが事件の顛末を今日まで隠していたのは、ひとえにリアを「可哀想な子ども」にしたくなかったからだろう。

 父母に関わる情報を一切伏せたのも、そのためにヨアキムが自身を()()()()として偽ったのも、全て。


「愚かだった。……ダグラスもきっといつかヴィレンの血を、己の過ちを理解してくれると信じて……父親としての務めを果たしてくれると思って、私はあの場で止めを刺さなかった」


 その結果、ヨアキムは命を落としかけ、リアは再び禁術の贄として利用されそうになっている。ユスティーナは伏せた瞳に、苦悩を色濃く宿した。

 大罪人の烙印を押されたダグラス・カーヴェルはその後、恐らくは子爵家の手を借りてエルヴァスティから逃亡したという。それきり実家とは絶縁し、絶望に苛まれたまま彼は一人大陸を彷徨い歩き──やがてバザロフの遺跡に辿り着いたのだろう。

 影の精霊の封印を解けば、今度こそ禁術が成功するかもしれない。そんな妄執に囚われて、ダグラスは今日のために時間を掛けて準備を進めた。

 遺跡にあった星涙の剣を引き抜くことで影の力を増幅させ、遺跡をよく知っているであろうキーシンの民に取り入り……ようやくモーセルの杖を入手したというわけだ。


「ゼルフォード卿」


 ユスティーナは腹を決めた様子で顎を上げると、毅然とした態度でエドウィンに告げる。


「私は今も、リアに全てを打ち明けてやるべきだったのか、それが正解だったのかは分からん。だが……あの子がこれから自分の人生を歩むためには、必ずダグラスを止めねばならんだろう。……あの子を想ってくれるのなら、どうか力を貸してくれ」


 言い終えるや否や、大巫女は苦笑をこぼす。エドウィンの表情を見れば、聞かずとも返答が分かったのだろう。

 改めて言葉にする必要はなかったかもしれないが、けじめをつけるつもりでエドウィンは静かに首肯した。


「エルヴァスティで貴女に忠告を受けたときから、僕の考えは変わっていません」


 精霊の愛し子を伴侶として迎えたダグラスの末路は、エドウィンにとって他人事ではない。

 ダグラスを覚悟なき者として一方的に罵倒することなど、彼には出来やしなかった。

 だからこそ、ここで今一度己に問うべきなのかもしれない。

 ──リアと共に生きる覚悟はあるのかと。


「話は終わったか?」

「……!」


 そこで不意に、聞き覚えのある声が掛けられた。

 振り返ると、城郭の門前に体格の良い騎士が一人、こちらを窺うように立っている。エドウィンは少しばかり呆けてから、菫色の瞳を大きく開いたのだった。


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