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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
14.残された者
118/135

14-2

 ヘルガ・ヴィレン。

 彼女はリアと同じ濡羽色の髪と、菜の花を彷彿とさせる不思議な瞳を持つ娘だった。

 メリカント寺院で精霊術師としてではなく、一使用人として長閑な暮らしを送っていたヘルガは、口癖のように外国へ行ってみたいと毎日ぼやいていたそうな。自身の体質を思えば致し方ないとは言え、ずっと寺院の周辺で生きていかねばならない人生は少々窮屈だったのだろう。

 しかし、それをひたすらに悲観するような質ではなく。

 定期的に光華の塔で過ごすことを余儀なくされ、その度に暇だからと友人のユスティーナを部屋へ連れ込むような、気儘な性格の持ち主だった。


 そんな生活の中で、ヘルガは帝国から訪れたカーヴェル子爵の長男──ダグラスと出会うことになる。


 当時はまだ帝国内で魔女狩りが横行している時期だったが、子爵家は以前からエルヴァスティと交流を持っていたがゆえに、特別に入国を許可されていた。

 帝国の息苦しい空気に病んでしまった長男の療養を優先し、カーヴェル子爵は密かに王宮を訪ねることにしたのだ。エルヴァスティの清澄な風に身を任せれば、心の陰りも晴れてくれると信じて。


「聞いてユスティーナ、彼、帝国から来たんですって!」


 寺院の一室に滞在が決まったダグラスに、ヘルガは興味津々だった。仕事の合間にダグラスの元へ向かい、外国の話をしてくれと執拗にせがむ彼女の姿に、ユスティーナは呆れを表しながらも止めはしなかった。

 相手は一応療養のために来ているのだから程々にしておけとは言っておいたが、楽しそうなヘルガを見て安心したのも事実だったから。

 それにあの元気な娘と話せば、ダグラスも自然と──半強制的に快復させられることだろうと。


「愛し子……彼女が?」


 ただ、少しばかり話す順序は良くなかった。

 ヘルガが長く生きられない体であると彼が知ったのは、その淡い恋心が確かな輪郭を持ち始めた頃だった。ほぼ毎日と言っていいほど会話を交わしながら、ヘルガは自身について全く彼に打ち明けていなかったのだ。


「え? ううん、別に隠してたわけじゃ……そうね、でも言ってみるのも良いかしら。そしたら彼がお情けで帝国に連れて行ってくれたり……しないかな?」


 ユスティーナはどこまでも楽観的なヘルガに改めて呆れたが、のちにダグラスが迷い気味に承諾したことにはもっと呆れた。

 エルヴァスティ王家ならびにメリカント寺院は、基本的に愛し子の意思を尊重する。光華の塔で一生を終えたいという願いは勿論のこと、死を覚悟の上で外国で生きたいという願いも最終的には許可するしかない。


 ヘルガの兄──ヨアキムが短い人生を全うすべく、若くして征服戦争に参加したことも、また然り。


 彼は無事に帰国し、今も精霊術師として難なく生活を送っているが、親しい友を亡くしたせいか少しやさぐれている。唯一の肉親であるヘルガが外国へ行くという話を聞いて、更に口が悪くならないことを祈るばかりだったが。


「後悔すんのは目に見えてんだろ。馬鹿じゃねぇのか。悪い、昔から馬鹿だったな」

「バカバカ言わないでよ。後悔しないようにやりたいことやってるだけじゃない、ヨアキムと一緒!」

「お前は自分以外の人間も巻き込んでるだろうが! あの陰気臭ぇ男が地の底まで落ち込んでも知らねぇからな!」

「ええ!? そこは励ましなさいよ! もしかしたら義弟になるかもしれな……」

「やめろ気色悪い!!」


 戦争を経て、以前よりも更に他者と深い関わりを避けるようになったヨアキムは、ヘルガとダグラスに人並みの幸せなど得られるはずないと吐き捨てたのだった。

 それが、兄妹の最期の会話になってしまうとは誰も予期していなかっただろう。

 いや、もしかするとあの兄妹だけは、薄々と別れを感じ取っていたのかもしれないけれど。


 ──ヘルガはその数年後、オーレリアという名の赤子を産んだ日に、命を落としてしまった。



 嵐の夜だった。

 クルサード帝国で晴れて夫婦になったヘルガとダグラスは、未だ収束しない魔女狩りの余波を受けぬよう、子を産む間だけエルヴァスティへ戻って来た。

 いよいよ陣痛の間隔が狭まり、玉のような汗を浮かべて痛みに耐えるヘルガを、ユスティーナは懸命に励ましていた。


「はあ……全く、夫も兄も仕事でいないとは。帰ってきたら一発ずつ殴った方が良いぞ、ヘルガ」

「……ふふ、それはあなたに任せるわね……とっても痛そうだし。……ねぇユスティーナ」

「うん?」


 汗を拭ってやりながら話を促すと、ヘルガはゆっくりと呼吸を整えて、菜の花の瞳をこちらに向けた。


「あなたは、子ども産まないの?」

「……予定はないな。父上がうるさいから、適当に養子でも取るかもしれんが」

「そっか……なら、それまで」


 ──リアのこと頼んでもいい?


 ユスティーナは目を見開き、どういうことだと視線で訴える。

 大きく膨らんだ腹を一瞥したヘルガは、再来する痛みに備えて力みつつ、微かな笑みを浮かべた。


「ダグラスにも言ってね。私たちの子ども、目一杯甘やかしてねって」

「ヘルガ、何を」

「……っお願いね、約束」


 結局、ヘルガに訳を尋ねることは出来なかった。困惑しているうちにヘルガが再び呻き始め、ユスティーナは赤子を取り出すことに集中しなければならなかったのだ。

 長丁場を終えて、ヘルガはついに赤子を産んだ。

 幸せそうな笑顔で娘を抱く姿に、先程の不穏な空気は見えなかった。

 きっと、終わりの見えない痛みで少しだけ弱気になっていたのだろう。そうに違いない。

 ユスティーナは疲れ果てた母子を寝かせた後、全くもって使えない旦那と兄を早急に呼び戻すべく、リアが無事に生まれた旨を添えて風の精霊を遣わしたのだが──。


 翌朝、ヘルガの姿はどこにも見当たらなかった。

 残されたのは、何も知らずに眠る小さな娘だけ。


「──……ほら見ろ。結局こうなるだろ」


 背後から聞こえた声に、咎めるつもりで振り返った。

 だが、生気のない顔で立ち尽くすヨアキムを見て、ユスティーナの怒りも困惑もすぐに消え去った。ヘルガの身に何が起きたのか、これから何をすべきか──彼の態度で、嫌でも理解させられたのだった。



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