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魔女見習いと影の獣  作者: みなべゆうり
12. から騒ぎは程々に

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12-10

 ──少量の消毒液を染み込ませた手巾で、リアは訳も分からぬまま右頬を拭われた。

 そんなところを擦り剝いた覚えはないのだが、エドウィンはいつもの笑みに隠し切れない不機嫌さを滲ませつつ消毒を続けている。

 やがて乾いた布で頬を優しく押さえられたので、頃合いだろうかとリアは口を切った。


「あの……エドウィン、これ何の消毒?」

「分かりませんか?」


 拭ったばかりの頬をくすぐられ、びくりと肩を竦ませる。音を立てる心臓に従って体を仰け反らせても、いつの間にか手を掴まれていたために距離は広がらず。

 逆にエドウィンが彼女の背を引き寄せてしまったことで、リアの視線はどんどん泳ぎ始めた。こちらの羞恥を知ってか知らずか、エドウィンは色づいた右頬に指先をそっと沈ませる。


「ノルベルト殿にキスされましたよね、ここ」


 穏やかに確認され、リアは暫し沈黙した。

 されたっけ──というのが本音である。

 如何せん、エドウィンのことで頭が一杯だったので思い出せない。しかし言われてみれば確かにノルベルトに抱き締められた後、何か悪戯をされたような記憶はある。

 その後すぐアナスタシアとの婚約の噂を聞かされ、悪戯されたことへの怒りは一瞬にして消散してしまったのだろう。師匠からしばしば鳥頭と称されるだけのことはある。


「う、うーん……あんまり覚えてないわ……」

「僕はそのことで少し怒っているんですよ」

「え、そうなの?」


 まさか自分が殆ど忘れていた出来事が原因だったとは。ならば当たるはずもないかとリアは後頭部を掻いてしまったが、それで疑問が全て晴れたわけではない。


「でもどうしてエドウィンが怒る、の」


 ぎし、とソファの軋む音が大きく響いた。

 眼前に迫ったエドウィンの顔に驚く暇もなく、気付いたときには顎を引かれていた。反射的に目を瞑ってしまえば、藍白の髪が頬を撫でる。

 硬直した両手を膝の上に押さえ付けられたまま、そっと頬に触れた薄い唇。

 全身が沸騰するように熱くなり、リアはまたもや背凭れに後ろ頭をぶつけてしまった。しかし今回ばかりは喧しい悲鳴も出ず、ただ菜の花の瞳だけが大きく揺れる。

 対するエドウィンは片膝をソファに乗り上げて逃げ場を失くすと、リアの火照った頬を手のひらで優しく摩る。

 まるで今の口付けを馴染ませるかのような仕草に、更なる熱が彼女を襲った。


「……怒りますよ。当然でしょう」

「え……な、にが」

「やっとあなたに会えたのに邪魔されるわ挑発されるわ、一体何の仕打ちかと思いました」

「わ、ま、待っ」


 今度は紫水晶が彩る耳朶に口付けられたところで、リアは思い切って彼の肩を押し戻す。すんなりと距離を開けてくれたことに安堵しつつも、全く落ち着かない頭でリアは抗議の声を上げた。


「だ、駄目よエドウィン! 誰にでもそんなことしたら!!」

「誰にでも? した覚えはありませんが……」

「それに婚約っ、アナスタシア様と婚約するんじゃないの!?」

「いえ、僕にも皇女殿下にもそんな予定はありません」

「えっ」


 根も葉もない、ただの噂です。エドウィンは少し困ったように微笑みながらも断言する。

 何故か自然と「エドウィンとアナスタシアが結婚する」前提で考えていたが、ノルベルトもそれが事実だとは言っていなかった。一人で早とちりして焦っていたことに気付き、リアは顔から湯気が出そうになる。

 同時に、心底安心している自分に呆れてしまった。


「そうなんだ……ごめんなさい、ちょっと混乱してて」


 しかし婚約の噂が事実でないなら、アナスタシアは単純にエドウィンを振り向かせたいだけなのだろうか。そもそも本当に、惚れ薬を飲ませたい相手は彼で合っているのだろうか?

 ──よくよく考えると何だか違うような気がしてきたわ。誰なんだろう、直接聞いてみた方がいいかしら。

 皇女との話をきっかけにいろいろと勘違いを起こしていたリアは、そこでようやく冷静な思考を取り戻し、自分の体勢も忘れて意識を他所に飛ばしていた。

 無論、彼女が別のことに気を取られていることを見抜いたエドウィンが、それをそのまま許すわけもない。


「リア?」

「何……あ、はい何ですか!?」


 額に唇を寄せてから優しく呼び掛けられ、リアは裏返った声で返事をする。

 心なしか先程よりも距離が近く、馴染み深い柑橘系の香りがほんの少し濃くなっていた。


「聞きたいことはそれだけ?」

「そう、ね……多分……?」

「なら僕からも一つお聞きしても?」

「い、いいけど」


 まるで視線を逸らすことは許さないとばかりに、エドウィンは互いの鼻先が触れ合いそうなほど近付く。その拍子に、するりと藍白の髪が彼の肩を伝い落ち、リアの腕を掠めた。


「先程は何故、何も言わずに立ち去ってしまわれたのですか」

「……え」

「ノルベルト殿から僕の噂を聞いたからでしょうか。それとも──見ていて不愉快だったから?」


 問いの区切りごとに、ずるずると背中が滑り落ちる。

 彼が何を聞いているのか、何を知りたがっているのか、何を言わせたいのか、嫌でも察してしまった。もうこれ以上ないくらいに真っ赤な顔で、リアはそれでも言い淀む。

 ──自分が女性に囲まれている様を見て、嫉妬を覚えたかと聞いているのだ。

 彼にしては随分と意地悪な質問ではなかろうか。どうしてそんなことを尋ねるのかと言外に訴えてみれば、見下ろす菫色の瞳が苦笑する。


「僕は不愉快でしたよ。ノルベルト殿があなたに触れているところを見て、思わず剣を抜きそうになりました」

「ひえ!? 私の首を刎ねるつもりで!?」

「何故そうなるんです」


 そこでがくっと肩を落としたエドウィンだったが、やがて可笑しげに笑っては宥めるようにリアの頭を撫でた。


「違いますよ。今のはただの例えですが……リアが他の男と一緒にいる姿を見ると、どうしたって妬いてしまいます」

「やいて……へ」


 頭の中が真っ白になり、リアはつい呆けてしまう。彼女の体をゆっくりと抱き起こしたエドウィンは、自らもソファに腰を下ろすと、改めて尋ねたのだった。


「リア。どうして立ち去ったのか、教えてくれませんか?」

「…………そ、それは、ぁぅ!?」


 意を決して打ち明けようかと思った瞬間、またもや頬に唇が押し付けられる。今度こそ潰れた悲鳴を上げたリアが反対側に逃げようにも、肩を抱く腕に阻まれてしまった。

 何だ何だとエドウィンの唇を防御しても、彼は目許だけを細めて笑う。


「何、なに、どうしちゃったのエドウィン」

「こうすれば早く答えてくれるかなと」

「逆に答えづらいぃっ、ひゃ、待って」


 ひょいと両手を下ろされ、額に軽いキスを落とされる。以前、伯爵邸でも額に口付けられたが、あのときよりも段違いに恥ずかしい。エドウィンへの気持ちを自覚している状態だからか、どうしても上擦った声が洩れてしまう。

 ──ここまで明らかな言動をされたらさすがに期待してしまうぞと、リアは目を回した。

 しかし相手は大公国の伯爵、そう簡単に平民が想いを寄せて良いはずが……と浮かれそうな自分の心を引っ叩いても、エドウィンから与えられる甘やかなキスが彼女を絶えず誘惑する。



「──教えて、リア。……僕を、どう思っているか」



 真っ直ぐにこちらを瞳を見据える菫色に、答えてしまいたくなる。

 愛し子であることを理由に、勝手に諦めて想いを捨てるのは──愚か以外の何物でもない。大巫女の言葉に背を押され、リアは彼の手を強く握り締めた。


「あの、エドウィン」

「はい」

「わ、私ね」


 声が震える。涙がにじむ。心臓が痛い。吐きそうだ。

 見ない振りをしてきたばかりに、リアの気持ちは知らぬ間にこれほど大きくなっていたらしい。体が壊れそうな緊張に耐え兼ね、ついにその言葉を口にしようとしたときだった。



「おいオーレリア、戻って来てたなら言え……」



 がちゃっと奥の寝所から姿を現したのは、師匠のヨアキムだった。

 リアとエドウィンがソファで向かい合ったまま硬直する傍ら、状況を徐々に理解し始めたであろう保護者(ヨアキム)のこめかみに青筋が浮く。


「こ……っの、やっぱり油断ならねぇな都会育ちの坊主はよ! 嫁入り前の弟子に何やってんだァ!」

「あっ、ええと、す、すみません、お弟子さんがあまりにも可愛い反応をするので調子に乗りました」

「正直に言えば良いと思ってんのか炙るぞ!」

「な、何この地獄!? ちょっと二人とも黙ってぇ!!」


 怒号と悲鳴に加えて陶器類の割れる音までもが立て続けに起こり、客間の外に待機していた二人の護衛騎士が慌てて飛び込んできたのは言うまでもない。



※ここまで読んでいただきありがとうございます※

先日、本作に初レビューを頂きました!嬉しい!ありがとうございます!

今後もレビューや感想などは常時お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。


そして次の13章に関して、ちょっと執筆が滞り気味なので更新頻度が下がるかもしれません。あまり間が開かないよう気を付けますが、ご了承ください。

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