59.自覚する侍女
アリシアの部屋に招かれたルナは、勧められたソファーに腰掛け、出された紅茶を口に含んだ。一応妙な香りも味もしない事を確認して、僅かに警戒心を緩める。
「とても香りが高くて、美味しい紅茶ですね。これは隣国ゴールディー王国から輸入された物ですか?」
「あら、お分かりになりますの? 流石ですわね、ルナ様」
ルナの問い掛けに、目を丸くしたアリシアが微笑んだ。
「ルーカス殿下のご厚意で、一度飲ませていただいた事があります。最近出回り始めたばかりの、香りが良い紅茶があるとご紹介くださいました」
「そうでしたの。ルナ様はルーカス殿下ととても仲が良いのですね。何よりですわ」
会話の中にルーカスの名が挙がっても、変わらぬ微笑みを見せるアリシアに、やはり敵対心は見当たらない。お互いに王太子妃候補であるにもかかわらず、ヴァイスロイヤル国ではまだ希少で高価な紅茶で持て成してくれた所を見ると、ブリアンナのように、目の上のたんこぶだと嫌われてはいないのだろうか、と思いながら、ルナはアリシアを観察する。
「それで、お話というのは、どのような事なのでしょうか?」
ルナが尋ねると、アリシアは口元に柔らかく笑みを浮かべた。
「ルナ様は、ルーカス殿下をお慕いなさっているのでしょう?」
「!?」
目を見開いたルナは、返事に詰まりながらも口を開く。
「ル……ルーカス殿下の事は、心から尊敬し、忠誠を誓っておりますが、お慕いするなどと大それた事は……」
「あら、違いますの? 先程のブリアンナ様へのお怒りからして、てっきりそうなのかと思ったのですが」
アリシアに指摘されて、ルナは口を噤んだ。
王太子妃の座に固執するブリアンナ。ルーカスを心から愛し、彼の隣に立つに相応しい努力を惜しまず、彼を支え、一生を添い遂げる覚悟がある令嬢ならば、自分は大人しく身を引く心積もりはあった。だがブリアンナは、ルーカス個人を見るのではなく、王太子妃や王妃という地位しか見ていなかったのだ。その事が腹立たしくて許せない。何故あんな人がルーカスの正妃候補に挙げられているのか、彼女を推薦した人々諸共、ルーカスを馬鹿にしているのかと思うと、今も腸が煮えくり返る思いがする。
そして……悔しかった。自分がもし、生粋の貴族令嬢でありさえすれば。ルーカスと釣り合う身分だったならば。何の憂いも無くルーカスのプロポーズを受けられるのに。欲に目が眩んだ人々が介在してくる余地など、決して与えないのに、と。
そう思った所で、ルナは目を見張る。
(……これって、ルーカス殿下をお慕いしている事になるのかしら?)
そう考えた途端、ルナの顔が一気に朱に染まった。アリシアに返すべき言葉が分からず、ルナは狼狽える。
「……違うと仰るのならば、ルナ様は、私やブリアンナ様がルーカス殿下の正妃になっても平気なんですの?」
「それはっ……!」
思わず青褪めて声を上げた自分に、ルナは愕然とした。
何故自分はこんなにも動揺しているのだろう。ルーカスに相応しい令嬢が居たならば、大人しく身を引くつもりではなかったのか。
だけど、ルーカスの隣に他の女性が並び立つ所を想像しただけで、胸が痛くなる。もしも、許されるのならば……、本当は、今までのように、自分こそがルーカスの一番近くに居たい。ルーカスが辛い時、苦しい時は、誰よりも真っ先に自分が彼の盾になりたい。嬉しい事があったならば、彼と共に分かち合って喜びたい。
そんなルナの思いを見抜いたかのように、アリシアが口元を綻ばせた。
「安心致しましたわ。ルナ様も、ちゃんとルーカス殿下をお慕いなさっているのですね」
「……っ」
(私が、ルーカス殿下を、お慕い申し上げている……?)
アリシアの言葉を脳内で復唱したルナは、耳の先まで真っ赤になった。
ルナにとって、ルーカスはずっと仕えるべき主君だった。自分が失っていた心を取り戻させてくれたルーカスを尊敬し、忠義を尽くしてきたその気持ちに、一体何時から特別な感情が混じるようになったのだろうか。身の程知らずにも、何時の間にかルーカスを想ってしまっていた事に居た堪れなくなる。
暗殺を生業としてきた一族の出身であり、自らも人を傷付けてしまった事があるという、後ろ暗い過去を持つ自分が、ルーカスを想っても許されるのだろうか。以前当の本人に訊いた所、『気にしない』と一蹴してくれたが、過去の事が無くても、王太子の正妃候補が元平民と言うだけで、やはり周囲は面白く思ってはいないだろう。
そんな不安を抱きつつも、そっと顔を上げてアリシアの様子を窺うと、アリシアは言葉通り嬉しそうにニコニコとしていて、ルナは戸惑った。
アリシアもルーカスの正妃候補だ。それなのに、自分がルーカスを慕っていると知って、何故喜ぶのか、ルナには理解できなかった。
「……私がルーカス殿下をお慕いしていると、何故アリシア様が安心なさるのですか?」
赤面しながらも、ルナは尋ねる。
「その方が私にとって、都合が良いからですわ」
「都合、ですか?」
怪訝な顔で問い返したルナに、優雅な所作で紅茶を一口飲んだアリシアは、にっこりと笑って頷いた。