57.馬を乗りこなす侍女
王太子妃選抜試験が開始されてから、早半月が過ぎた頃、少々気になる事が起こり始めた。
試験を終えたルナが部屋に戻ると、バッタが部屋の中を飛び回っていたり、ミミズが床をのたくったりしているのだ。部屋の窓は閉まっているのに、と不思議に思いながらも、毎回瞬時に捕まえて王宮の庭園に放しているので、全く以て実害は無く、寧ろ多少運動になったかな、くらいの感想しかルナは持たなかったのだが。
そんな中、今日の試験は乗馬との事で、四人の令嬢達は王宮の厩舎に集められている。
「ルナ様、今日こそは負けませんわよ……!」
試験で顔を合わせる度にルナを思い切り睨み付けてくるブリアンナだが、今日はいつもよりもやけに気合が入っているように見える。そう言えばブリアンナは乗馬が得意だった筈、とルナは記憶を引っ張り出した。
試験をすればする程、ルナの成績が突出してくる為、最近では、もっともらしい言い分を付けて娘の得意分野を試験に出すよう、一部の貴族達が奏上しているとか何とか、侍女達が噂しているのを小耳に挟んだような気がする。どちらにしろ、与えられる課題に挑む事は変わらないと、ルナは歯牙にも掛けていないが。
(……どうせなら、護身術とか、縄抜けとか解錠とかを出して欲しいものだわ)
自分が希望する課題を思い浮かべてみたものの、どれも王太子妃は勿論の事、貴族令嬢の嗜みとやらには全く関係がなさそうな分野なので、ルナも端から期待などしてはいない。
「あの……! 一番大人しいのは、どの馬ですか?」
「それなら、こちらの栗毛の馬ですね」
「この中で、一番賢い馬はどれかしら?」
「そうですね……。一番となると、あちらの白毛の馬かと」
令嬢達は各自好きな馬を選び、鞍を置いて、侍従達の手を借りて馬に跨っていく。一番大人しい馬を使用人に尋ねて、真っ先に栗毛の馬を選んだのはシャーロットだ。ルナが目を付けていたのは、気性は荒いが俊足の青鹿毛だったのだが。
「私、この馬にしますわ!」
青鹿毛を選ぼうとした所で、横から突き飛ばさんばかりの勢いで向かって来たブリアンナに先を越されてしまった。
(……さて、どうしたものかしら)
聞き分けの良い白毛は既にアリシアが選んでいる。いっその事軍馬でも良いかな、と思いながら、ルナが厩舎の奥に足を進めている時だった。
ヒヒイィィーン!!
「キャアアアァッ!!」
馬の嘶きと悲鳴が聞こえてルナが振り返ると、シャーロットを乗せた栗毛の馬が勢い良く駆け出して行く所だった。遠目に蜂が飛び去って行くのが視界に入る。蜂に刺されて暴走してしまったのだろうか。
(いけない!! 確かシャーロット様は、乗馬が苦手な筈!!)
もし暴走する馬から振り落とされてしまったら、最悪命を落としかねない。咄嗟にルナは近くに居た軍馬に飛び乗り、シャーロットの後を追い掛けた。手綱も鞍も付けていない軍馬に跨って厩舎から飛び出して来たルナに、周囲が唖然としていたが、そんな事を気にしている場合ではない。本当は魔法で自分の脚力を強化して走った方が速いのだが、流石に人目がある所でそれはできない代わりに、ルナはぐんぐんとスピードを上げて栗毛を追い掛けた。
「シャーロット様、手綱を取れますか!?」
暴走を続ける馬に何とか追い付き、並走しながら声を掛けるも、シャーロットは振り落とされないように馬の首にしがみ付くだけで精一杯のようだ。ルナはできる限り軍馬を栗毛に寄せて、その背中に飛び移った。即座に手綱を掴んで引き、栗毛を止まらせて落ち着かせる。
「シャーロット様、大丈夫ですか?」
ルナが背後から尋ねると、涙目で震えながらも、シャーロットは恐る恐る振り返り、ルナを目にして漸く緊張を解いたように大きく息を吐き出した。
「ルナ様……! あの、ありがとうございました……っ!!」
余程怖かったのだろう。まだ青褪めながらも、気丈に笑顔を浮かべるシャーロットに、ルナも安心させるように微笑んで見せた。
「怖い思いをなさいましたね。もう大丈夫ですのでご安心ください。皆様の所に戻りましょう」
ルナが優しく声を掛けると、シャーロットの目が大きく見開かれ、血の気が引いていた頬に赤みが差した。シャーロットの顔色が戻り、ルナもほっと胸を撫で下ろす。
「シャーロット様!! ルナ様!! ご無事ですか!?」
「あ……は、はい! 私は大丈夫ですわ」
漸く馬を駆って追い付いて来た侍従達に、シャーロットが思いの外しっかりと返事をする。二人の無事な姿を確認して、侍従達は安堵の表情を浮かべた。
「あ……。丁度良かった。この軍馬をお願いしても良いですか?」
「はい。我々にお任せください」
タイミング良く、ちゃんと自分で引き返して来てくれた賢い軍馬を侍従達に任せて、ルナはそのまま栗毛の馬を操って厩舎まで戻った。二人を見て安堵する周囲を尻目に、ルナは誰の手も借りずにひらりと馬から飛び降りる。
(さてと、私は馬を選んでいる最中だったんだけど……、この際だから、あの軍馬にしようかな)
手綱と鞍を頼もうと顔を上げると、何故か全員の視線を一身に集めてしまっていて、ルナは首を傾げた。
「すみません、私はこの馬にしますので、鞍を用意していただけますか?」
怪訝に思いながらも、侍従達が連れ帰ってくれた軍馬の鼻先を撫でながら、ルナは試験官に頼んだのだが。
「……え、試験する必要……あります?」
「え?」
呆然とした様子の試験官の問いに、面食らったルナは目を瞬かせた。
その後、他の令嬢達と同様、ルナもきちんと試験を受けたのだが、他の令嬢達を大きく引き離して、ルナが一番だった事は言うまでもない。