56.笑う王子
翌日から、王太子妃を選ぶ本格的な試験が始まった。
教養では国内外の情勢を中心に詳細な部分までもが問われ、難しいステップのダンス、一挙手一投足まで注視されるマナー、等厳しい試験が課せられた。
……が、それらはルナにとっては、造作も無い事だった。
教養に関しては、帝王学を受けるルーカスに常に付き添っていた上に、仕事の補佐もしていた為、国内外問わず最新情報の詳細までも把握済みである。難しいステップのダンスもお手の物で、軽々とこなしてしまう上に、続けて何曲踊ろうとも息一つ乱さない。マナーも王宮侍女としても伯爵令嬢としても完璧に会得済みだし、元々感情の起伏が乏しい表情に淑女の笑みを貼り付けてしまえば、僅かな動揺すら垣間見せる事は無かった。
ブリアンナとシャーロットも王太子妃候補に推薦されただけの事はあって、十分に優秀な成績を挙げており、中でもアリシアに至っては、国外情勢にも一段と詳しく、ダンスも講師を唸らせる程の腕前ではあったものの、ルナの成績は更にそれを上回るものだった。試験を進めれば進める程、突出してくるルナの成績に、ルナに反対していた貴族達も、一人また一人と口を噤んでいくのだった。
「ルナとの結婚に反対していた貴族達も、ルナの実力を目の当たりにしたのか、最近は鳴りを潜めているらしい。流石はルナだな。この調子で頑張ってくれ」
「ありがとうございます」
相性の観察を目的とした、ルーカスと二人でのお茶会で、笑顔を見せる上機嫌なルーカスに、淑女の笑みを返すルナ。
「はぁ……。王太子妃選抜試験なんて、面倒臭いし時間の無駄以外の何ものでもなかったけれど、こうしてルナと一緒にゆっくりお茶が飲めるっていう点だけは良いな。最高に癒される」
王宮の庭園にある東屋で、深緑の木々や美しく咲き誇る花々に囲まれながら、紅茶を一口飲み、心底幸せそうに一息ついて笑顔を向けてくるルーカスに、ルナは微笑みながらも眉尻を下げた。
「……ルーカス殿下。私を応援してくださるのは大変有り難いのですが、私の他には気になる方はいらっしゃらないのですか? 特にアリシア様は、教養も人格も兼ね備えておられて、私の目から見ても、王太子妃に相応しい御方かと思いましたが……」
ルーカスと二人でのお茶会は、アリシアから順番に行われ、ルナの順番は最後だった。他の令嬢とはどうだったのか、心惹かれる令嬢は居なかったのだろうかと、胸が締め付けられるような痛みを感じながらも、ルナが質問すると、ルーカスは眉根を寄せる。
「俺の心はルナに決まっているって言っただろ。確かにアリシアも公爵令嬢なだけの事はあって、立ち居振る舞いは文句の付けようが無かったが、俺が心惹かれるのは、本当に結婚したいと思うのは、この世でたった一人、ルナだけだ」
力強く即答され、ルナは目を丸くする。
「因みに、他の令嬢達とのお茶会でも既に釘を刺している。俺はルナを正室にして、生涯側室を持たずにルナだけを愛するつもりだし、万が一、何かの間違いで、ルナ以外の令嬢を正室に迎える事になっても、俺はすぐにルナを側室にして、ルナとだけしか関係を持たないってな」
真剣な表情できっぱりと言い切った、意思の強さを感じさせるルーカスの発言に、ルナは顔を赤らめながら閉口した。
ヴァイスロイヤル国では基本的に一夫一妻制だが、王族だけは後継者を残す為に、側室が認められている。その観点からすれば、ここはルーカスを窘めなければいけない所である筈だが、一途に自分だけを想ってくれているルーカスに、ルナは嬉しさを感じて何も言えなくなってしまうのだった。
「あーあ。こんな茶番はさっさと終わらせて、早くルナと結婚したい。そうすれば、人目を気にせず四六時中ずっと一緒に居られるし、毎日こうして二人でゆっくりお茶を楽しめるのにな」
文句を言いつつも、意味深な微笑みを浮かべて熱のこもった目でじっと見つめてくるルーカスに、頬を染めたルナは視線を泳がせる。
あれからルーカスは毎晩のように、人目を忍んでルナの部屋を訪れて来るのだ。もし見付かったらどうするつもりなのだとルナも小言を重ねてはいるのだが、部屋に入れてくれるまで帰らないと主張するルーカスに、夜風で身体を冷やさないかと気が気でなくて、結局毎回入室を許してしまっている。今この場で再度忠告をしたい所ではあるのだが、遠くから自分達を観察している試験官達の視線を感じている以上、下手な事は口にできなかった。
「……まあ、早く試験を終わらせて欲しい、と言う所は私も同感ですね」
「……と言うと?」
珍しく自分の要望を口にするルナに、ルーカスは首を傾げて続きを促す。
「侍女をしていた時と違って、毎日ずっと淑女の笑みとやらを顔に貼り付けていなければいけないので、意外と疲れるんですよ」
「そこかよ!?」
ブッと噴き出したルーカスは、そのまま声を上げて笑う。屈託のないその笑い声は、ルナ以外の王太子妃候補の令嬢達は勿論の事、他のどの貴族達にも見せた事の無い、ルーカスの自然な姿そのものだった。