52.混乱する侍女
ルーカスの部屋を退出したルナは、まだ混乱していた。
(やっぱり、あれ夢じゃなかったんだ……)
パーティーから一夜が明けて朝になっても、まるで現実感が無かったので、ルナは取り敢えず平常心を意識して普段通り振る舞う事にしたのだった。だが先程、ルーカスに再度告白されてしまい、ルナは漸く、ルーカスからの求婚が現実だと認識し始めたばかりなのである。
(ルーカス殿下は、私を好きと言ってくださって、ずっと側に居て欲しいって言ってくださったけど……)
モルス一族の事を引き摺っていたルナを解き放ち、意思と感情を取り戻す事に一役買ってくれたルーカスを、ルナは尊敬し、忠誠を誓っている。だが、恋愛感情を持っているのか、と訊かれると、良く分からない。そもそも恋愛感情ってどんなものなのだろう、と首を傾げるレベルなのである。なので、ルーカスに好きだ、と言われても、どう答えたら良いのか分からない。
(……そう言えば、何だかさっきからずっと身体が熱いし、動悸がするけど、風邪の引き始めなのかな? 体力だけは自信があるけど、昨夜はパーティーでの出来事が頭の中をグルグルと回っていて、良く眠れなかったからかも……気を付けなくちゃ。……それとも、これが知恵熱とか言うものなんだろうか?)
そんな事を考えながら、ルナは空になった食器を乗せたカートを押して、厨房へと運ぶのだった。
***
一方、貴族達の反応は、真っ二つに割れていた。
「ゴードン総帥。この度は、誠におめでとうございます」
「……何の事ですかな?」
「またまた。昨夜のパーティーで、ルーカス殿下がルナ嬢に求婚された事、知らぬ者など居りませんぞ!」
「……まだ当家では、お受けすると決めた訳ではありませんが」
「いやいや! 王家からのおめでたいお話を、まさかお断りするおつもりではありますまい! 国王陛下と王太子殿下からの覚えもめでたいゴードン伯爵家も、これでまた一段と栄華を迎えられますな! いや実にめでたい!」
「……」
パーティーでの劇的なプロポーズに興奮し、早くもゴードン伯爵家に祝いの言葉を掛ける者達。こちらは騎士団員達と縁がある家が多く、ルーカスに良い影響を与えたルナの人柄を伝え聞いている者が大半だったが、中には今のうちに媚びを売り、あわよくばゴードン伯爵家と親交を持とうとする者も少なくなかった。ルナを嫁に出すのはまだ早い、と考えているオースティンにとって、このような輩は鬱陶しい以外の何者でもなかったのだが。
そして。
「陛下。昨夜の件ですが、ルーカス殿下は本気であの小娘……ゴホンッ、ルナ嬢を望まれておられるのですか? 幾ら名門伯爵家の養女とは言え、平民の血を王家に入れるのは如何なものかと……」
「側室ならばいざ知らず、やはり正妃となると、もっと上の爵位のある家のご令嬢を選ぶべきかと……。その点、我がランドール侯爵家の娘であれば、身分も釣り合いますし、年齢的にも丁度良いかと思いますが、如何でしょうか?」
「いやいや、それを言うなら、我がモラレス公爵家の娘アリシアの方がより相応しいのでは? これでも、幼い頃より厳しく教育しており、王妃としても十分に振る舞えるかと存じますが」
ルーカスとルナの結婚に反対する者達。こちらは伯爵家の養女とは言え、平民出身であるルナを遠回しに蔑みつつ、さり気なく自分達の娘を王太子妃に推薦しようとするモラレス公爵とランドール侯爵が中心だった。
「ルナ嬢は確かに平民の出ではあるが、既にゴードン伯爵家の養女となっておるし、身分としても何の問題もあるまい。余としては、ルナ・ゴードン伯爵令嬢が、王太子妃、そして行く行くは王妃になる事について、何の憂いも無いのだがな」
アーサーは威厳たっぷりに反対派の貴族達を睨め回す。
ヴァイスロイヤル国では、身分や血統を気にする貴族も一部居るとは言え、身分云々よりも恋愛結婚の方が持て囃されているのが実情だ。現に歴代の国王達の中には、下位貴族や平民出身の娘を、高位貴族の養女にして娶った前例も僅かだがある。アーサーが言っている事は正論であり、自分達は言い掛かりを付けているだけに過ぎない、という自覚があるのか、アーサーに睨まれて、不興を買いたくないと怯えて縮こまる者が殆どだった。だが中には、まだ娘を王太子妃にするという夢を諦め切れない者達も居るようである。
「で……ですが、ルナ嬢は王太子殿下付きの侍女。ルーカス殿下に一番近しい女性でありますが故に、ルーカス殿下の一時の気の迷いではないかと、皆心配しているのです」
「ルーカス殿下は、幼少の頃よりお身体が弱く、あまり同年代の令嬢達と交流をされておられませんでした。お身体がご丈夫になった今、他の令嬢達とも交流を持てば、ルナ嬢以上に心惹かれる令嬢も現れるかも知れませぬ」
往生際の悪い貴族達に、アーサーは嘆息する。
「……まあ良い。ならば、其方達が納得できる道を探すのも、余の務めであろう。ルナ嬢と、其方達が推薦する令嬢達も含め、誰が一番王太子妃に相応しいのか、見極めるのも良いかも知れぬな」
「おお……流石は国王陛下」
「有り難きお言葉、痛み入ります」
自分達の娘にも王太子妃、そして将来の王妃となる機会を与えられ、畏まって頭を下げつつも、内心でほくそ笑んでいるであろう面々。彼らを冷めた目で眺めながらも、それでもルナに勝る令嬢などいないだろう、とアーサーは密かに笑みを浮かべた。
そして、公平を期す為に侍女を退職させたルナと、数人の令嬢達を含めた、王太子妃選抜試験が行われる事になったのである。