42.頭を抱える王子
ルナの怪我は、全身の打撲に無数の傷、数ヶ所の骨折だった。
急いで呼び寄せた魔術師に治癒魔法をかけてもらって、無事に回復したとは言え、怪我の内容を聞いたルーカスとオースティンは、改めてレイヴンへの怒りを露にした。
……のだが。
「これくらいで済んで良かったです。本来ならば殺されている所でしたので」
幸運だ、とでも言わんばかりに、当の本人があまりにもあっけらかんとしているもので、ルーカス達はすっかり脱力してしまったのだった。
既に夜更けという事もあり、魔力切れを起こしかけていたルナをそのまま医務室に寝かせて、ルーカス達は解散したのだったが。
「おはようございます、ルーカス殿下」
一夜明け、いつも通り侍女のお仕着せに身を包んで入室して来たルナに、ルーカスは開いた口が塞がらなかった。
「昨夜は夜遅くにお手を煩わしてしまい、大変申し訳ありませんでした。助けていただき、誠にありがとうございました」
「……お前なあ! 仕事熱心なのも大概にしろよ!? 昨夜あれだけ酷い怪我をしていたじゃないか! 魔力だってまだ回復していないんだろう!? 今日くらいは休んで寝ていろ!」
「問題ありません。確かに魔力は回復しておりませんが、体力は人並み程度には戻っておりますので」
「その台詞前にも言ってなかったか!? 良いから休め! お前、休みらしい休みをまともに取った事無かったよな!?」
ルーカスの言葉に、ルナは小首を傾げる。
「……そう言えばそうですね。では本日はお休みを頂いて、騎士団の訓練所にお邪魔させてもらい、父か兄を相手に、久々に本気で鍛練する事にします。昨夜はレイヴン様相手に、手も足も出ませんでしたので」
「ちょっと待てお前それ休みの意味が無いだろうが!!」
休まずに侍女としての仕事をするか、休んで騎士団で鍛練するかのどちらかだ、と主張するルナに、ルーカスは頭を抱えながら、昨日の今日で厳しい鍛練をされるよりはましだろう、と渋々仕事の許可を出したのだった。
やれやれ、と溜息をつきながら、ルナが準備してくれた朝食を終える。視察の間に溜まっていた書類に目を通し終えたルーカスは、午後から魔法訓練に取り組んだ。昨日できた結界魔法の応用を練習し、更に精度を高める為だ。
「ほほう! これは素晴らしいですね! しかし……」
ルーカスが結界魔法の応用を見せると、アルフレッドは目を輝かせて褒めながらも、先を尖らせた氷の塊を作り出して結界を攻撃する。すると、普段は防いでいる攻撃の筈なのに、結界は脆くも壊れてしまった。
「形を変える事によって、結界の強度が一定になりづらくなっていますね。所々、弱くなっている箇所が見受けられます。今後は結界の形を自在に変えつつも、強度を安定して保つ練習が必要ですね」
という訳で、何処か楽しげなアルフレッドに、直々に特訓される事になった。安定した強度の維持に苦戦しつつも、少しずつ自分の思い通りに結界を変えられるようになってきて、ルーカスは手応えを感じる。
「ふう……疲れた」
集中力が途切れてきた頃合いで、アルフレッドに休憩を提案され、ルーカスは日陰に腰を下ろして、ルナが用意してくれたレモネードを呷った。
「結界魔法は、あのような応用ができるのですね。身を守りながら攻撃もできる、とても素晴らしい魔法だと思います」
ルナに褒められ、頬を染めたルーカスは、嬉しそうに口元を緩める。
「昨夜は咄嗟だったけど、何とか使えて良かったよ。魔石も早速役に立ったし。って言っても、レイヴンに太刀打ちできたのは、殆どオースティンのお蔭だけどな」
「その父は、ルーカス殿下のお蔭で、命拾いしたと申しておりました。大変感謝しているとも」
「俺の方こそ、オースティンに助けられたけどな」
苦笑するルーカスにレモネードのお代わりを差し出したルナは、僅かに俯いた。
自分はとてもレイヴンには敵わなかったが、ルーカスとオースティンは、自分が気絶している間に、レイヴンと一戦交え、退却させていたのだ。熱心に訓練を重ね、日々強くなっていくルーカスに改めて感心しつつも、自分ももっと頑張って、レイヴン相手でもルーカスを護衛できるようにならないと、と決意を新たにする。
「ルーカス殿下。私、たとえレイヴン様が相手でも、きちんとルーカス殿下をお守りできるよう、もっと精進します」
顔を上げたルナが宣言すると、何故かルーカスがレモネードを噴き出した。
「い、いや、ルナは十分強いんだから、別にそれ以上強くならなくても良いぞ?」
ルナが素早く渡してくれたタオルで口元を拭いながら、ルーカスが慌てたように言う。
「何故ですか? 私は昨夜、レイヴン様に全く歯が立ちませんでした。今の私では、ルーカス殿下をお守りする事ができません」
(これ以上強くなられたら、俺がお前を守れないだろうが!)
喉元まで出掛かった台詞は、恥ずかしさが先に立って、音になる事は無かった。
「……ルーカス殿下?」
顔を赤くして黙り込んでしまったルーカスに、ルナが小首を傾げる。
「え、っと、精進するのは良いが、絶対に無理のない範囲で、程々にしておいてくれ……。そ、そうだ、昨夜レイヴンから聞いてからずっと気になっていたんだけど、レイヴンがお前の許嫁って言うのは、本当なのか?」
あまり掘り下げられないうちに話題を変えようとしたルーカスは、思わず訊いてしまってから後悔した。
ルナに肯定されてしまったら、きっと立ち直れない。
「はい、そうですが」
あっさりと肯定されてしまったルーカスは、青褪めて唇を戦慄かせながら、がっくりと肩を落としてしまった。
「……そ、そう……なのか……」
「ですが正直、許嫁と言っても名ばかりのものでした。偶々私がレイヴン様と同年代の少女達の中で、一番強いという理由だけで、頭領が決められたものでしたから」
ルナの言葉に、ルーカスはパッと顔を上げた。
「じゃ、じゃあ、お前自身は、レイヴンの事を好きだとか、そういう気持ちは無いんだな!?」
「はい。恐らくレイヴン様も同じかと」
「な……何だ、そうかそうか!」
急に上機嫌になったルーカスに、ルナは目を瞬かせる。ルナの言葉に、大いに胸を撫で下ろしたルーカスだったが、昨夜のレイヴンの言葉を思い出して、顔を顰めた。
『そうか……。ルナはお前達二人と、国王に恩があって裏切れないんだったな。ならば一族の復讐も兼ねて、お前達全員を葬れば、心残りが無くなったルナは、俺の元に戻って来るに違いない……!!』
(ルナは、レイヴンも同じだろうと言ったけれども、レイヴンはルナに執着していそうだったな……。本来ならば殺される筈だった、とルナが言っていたのも気になる。ルナを殺そうと思えばできた筈なのに、気絶させるだけで止めを刺さなかったのは、本当は刺したくなかったからなんじゃ……!? もしかしてあいつ、ルナの事を……!?)
嫌な考えに苛まれ、頭を抱えるルーカスを見守りながら、何を思ってそんなにころころと表情を変えているのだろうと、ルナは首を傾げていた。