37.驚愕する侍女
西の地方の視察には、精鋭の騎士達を選りすぐり、騎士団総帥であるオースティンも同行する事になった。
「……何だか、随分と物々しい警備だな」
屈強な騎士達がずらりと並ぶ光景に、ルーカスが気圧されながら口にする。
「万が一の事を考えれば、これでも手薄です」
オースティンの言葉に、ルナも頷く。
長兄ブレイクの事件を知る者からすれば、無理もない事だった。当時、騎士団の中でも指折りの騎士達がブレイクを護衛していたのにもかかわらず、暗殺者達に全滅させられたのだから。
だが、その実行犯であるモルス一族が既に滅んでいる以上、ここまで過剰な警備にする必要は無いんじゃないか、と思いながらも、ルーカスは口には出さずに、用意された馬車に乗り込んだ。
王都から二日程で西の地方の領主邸に到着し、歓待を受けたルーカスは、翌日には早速、鉄鉱石の加工所に赴いた。北の山々で取れる鉄鉱石の加工所は、年々増設され、最近では鉄鉱石以外にも、金や銅や鉛等の鉱石も扱うようになってきているという話だ。年々増える生産量やその質を確認しながら、ルーカスはしっかりとメモを取る。
領主曰く、技術支援政策のお蔭で雇用が増え、国民の生活も次第に豊かになってきているらしい。王都や他の地方と比べるとまだ若干劣るものの、物価も年々安定してきていると言う。最近では金細工を始めとする土産物を取り扱い始め、市場も活性化してきていると聞いたルーカスは、是非とも自分の目でそれを確認してみたくなった。
「なあオースティン、明日は最寄りの市場を見に行きたいんだが……、警備の面から考えると、やっぱり止めておいた方が良いか?」
「……ルーカス殿下の御身の安全を考えますと、賛成はできかねますが……、お望みとあらば、尽力致します」
「ありがとう!」
オースティンとルナには渋い顔をされたものの、何とか了承を取る事ができて、ルーカスは目を輝かせた。
翌日、ルーカスは平民に扮して、同じく平民服を身に纏ったルナを連れ、市場に足を運んだ。私服を着た騎士達が視界に見え隠れする中、ルーカスは賑わいを見せる店を覗き、価格を聞いて冷やかしつつ、脳内では数年前の物価や王都の相場と比較する。領主の説明通り、活気付いている市場を肌で感じる事ができて、ルーカスは有意義な時間を過ごした。
「そこの兄ちゃん、可愛い彼女連れとるやんか! この金細工の髪飾りなんか、彼女の綺麗な黒髪にピッタリやで! どや? 今やったら負けといたるで!」
「か、彼女……」
ルナを一瞥して頬を赤く染めたルーカスは、次の瞬間真顔になり、小声で店主に耳打ちする。
「おい店主、この髪飾り、どれくらい負けてくれるんだ?」
「これは五千ヴァイスやけど、四千八百に負けといたるわ。どや、良心的なお手頃価格やろ?」
「四千八百ヴァイス……ちょっと高いな」
「殺生やな兄ちゃん。手作りの一点物やで。しゃーない、四千七百でどや?」
「うーん」
「くっ……負けに負けて四千六百!」
「もう一声!」
「兄ちゃんも上手いな。しゃーない、四千五百や。これ以上は負けられへん」
「よし買った!」
店主との遣り取りを楽しんだルーカスは、手にした髪飾りに目を落とす。月をモチーフにした金細工の髪飾りは、シンプルだが上品に見えて、値段以上の価値があるように思えた。
……のは良いのだが、つい衝動買いしてしまった髪飾りで、果たしてルナは喜んでくれるのだろうか?
「ルナ、その……これ、やるよ」
「私に、ですか?」
ルーカスからおずおずと髪飾りを手渡され、ルナは目を丸くした。
「て、店主との遣り取りが楽しくて、つい買ってしまったけれども、女性用の髪飾りなんて、俺が持っていても仕方ないだろ?」
「だったらせめてルーカス殿下がお使いになられる物を買われれば良かったのではと思うのですが」
半ば呆れた顔をしたルナの言う事はもっともである。
「と、兎に角、お前に貰って欲しいんだけど……、嫌か?」
「あ、いえ……。まあ、そう言う事でしたら、折角ですので、有り難く頂戴致します」
ルナは戸惑ったように手にした髪飾りを見つめていたが、やがて満更でもない表情を浮かべながら大切そうに懐に入れる姿を見て、ルーカスは思わず頬を緩めるのだった。
視察は極めて順調に進み、数日に渡る視察日程は、全て終了した。
「今回は、何も起こらないみたいだな」
王都へと帰る馬車に乗り込んだルーカスは、緊張の糸を解き、安堵の溜息を漏らした。ルナやオースティンが居るから大丈夫だと思っていたとは言え、やはり知らず知らずのうちに緊張していたようだ。
「無事王宮に着くまでは、まだ安心できません」
馬車に同乗しているルナは、周囲への警戒を怠らない。
「そうだな。だけど、後は帰るだけだから、何とかなるだろう」
「だと良いのですが」
ルーカス達を乗せた馬車は、周囲を護衛に守られながら、軽快に進んでいく。窓の外に見えてきた林は、黄色や赤に色付いていて、ルーカスの目を楽しませた。命を狙われているこんな時でなかったら、小休止して外に出て、ルナと一緒に紅葉を愛でたくなってしまうくらいだ。真紅や橙、緑から赤へのグラデーション等、少しずつ違う色を見せる葉が舞い散る美しい景色の中、ルナが笑顔を見せてくれたら、それだけで幸せな気分になれるに違いない。
「ルナも見てみろよ。綺麗だぞ」
せめて馬車の中から楽しもうと、ルーカスは窓を全開にして、ルナを促した。
「ルーカス殿下、窓は開けない方が……。ですが、確かにとても綺麗ですね」
ルナが微笑みを浮かべた、その時。
ルナは覚えのある気配を感じて総毛立った。その気配が何なのか、頭で理解するよりも先に、即座に身体が反応する。物凄い速さで近付いて来るその気配とルーカスの間に身を滑り込ませながら、懐から短剣を取り出した。
バアァァン!!
爆音と共に馬車の扉が吹っ飛び、瞬時に現れた黒い影から伸ばされた、鋭い刃がルーカスを襲う。その切っ先を短剣で受け止めたルナは、黒い影を認識して、驚愕に目を見開いた。
「レイヴン様……!?」
「ルナ……!?」
全身黒ずくめの服に身を包み、黒いマントに付いたフードを深く被った人影。そのフードの隙間から垣間見える、黒髪黒目の若い男は、最後に会った時はまだ少年だったが、その面影が残る顔は見間違える訳が無い。
モルス一族の頭領の嫡男で、次期頭領となる筈だった、ルナの三歳年上の幼馴染、レイヴンもまた、幽霊でも見たかのように、愕然とした表情でルナを見つめていた。