35.強くなりたい王子
「……まさか、あんな事になるとはな……」
残りの現場検証をオースティンに任せ、地下牢を後にしたルーカスとルナは、一旦ルーカスの私室に戻って来ていた。
「はい……。ですが、今は私達に任せていただいた捜査に集中しましょう。五年前の事件の黒幕を暴く事が、今回の事件の黒幕を暴く事にも繋がります。ルーカス殿下のお兄様方だけでなく、料理人と、その奥様の無念を晴らす為にも、必ず黒幕を突き止めて、罪を償わせましょう」
「ああ」
しっかりと頷いたルーカスは、心配そうな表情を浮かべてルナを見つめる。
「だけどお前、本当に体調は大丈夫なのか? 昨日の今日なんだから、あまり無理はせずに、明日にしても良いんだぞ?」
「問題ありません。魔力が無いだけなので、調べ物をするには何の支障もありません。寧ろ今日中に調べ物を終えておけば、明日にはある程度魔力も回復して、捜査も可能になると思いますので、その方が効率も良いでしょう」
「……分かった。行こう」
ルナに押し切られる形で、ルーカスはルナとの約束を果たすべく、王宮の図書館を訪れた。
昨日あんな事があったばかりなので、まさかこんなに早く約束を果たせるとは思わなかった、と少々感慨深くなりながら、ルーカスは本棚を物色するルナを横目で盗み見る。昨日の面影を微塵も見せないルナは、傍から見れば健康そのものだ。昨日は生死の境を彷徨い苦しんでいた、と言っても、きっと誰も信じないだろう。
「ありました」
すぐに目当ての物をルナが見付けて、ルーカスは我に返る。最新のものと過去数冊分の分厚い貴族名鑑を本棚から抜き出した二人は、近くのテーブルに着いて開いた。
先日の王宮主催のパーティーで、ルナが気になったという人物の血縁者を、一人一人調べていく。顔立ちが似ている子爵、仕草が共通している男爵夫人、身体的特徴の一部が一致する子爵令息……。貴族名鑑に記載されている家族構成を頼りに、数冊分を遡って調べ、彼らと血縁関係にあり、爵位を持たない中年男性をリスト化していく。
「ふう……これで全部か? 思ったより数が多いな……」
びっしりと名を書き連ねたリストを見ながら、ルーカスが溜息をついた。
「そうですね。ですが、今は地道に調べていくしか方法がありません」
「何か、俺ができそうな事はあるか?」
ルーカスの申し出に、ルナは柔らかく微笑んだ。
「こちらのリストを作っていただけただけで十分です。ルーカス殿下は犯人に狙われているのですから、あまり目立つような行動はお控えください。後は私一人で大丈夫ですので」
「……分かった」
もっと捜査に関わりたかったルーカスだったが、不本意ながらも大人しく引き下がった。ルナの言う通り、ルーカスが犯人に狙われている以上、ルーカスが下手な行動に出れば、すぐに再捜査の件を犯人に気付かれてしまう恐れがある。
「それと、これからは絶対にお一人にはならないようにしてください。私も捜査を行う時は、ルーカス殿下の御身が確実に安全な時に致しますし、それ以外は極力ルーカス殿下のお側に控えて、お守り致しますので」
「……ああ。ありがとう」
蚊の鳴くような声で何とか答えたルーカスは、そっと唇を噛み締める。
ルナの実力を考えれば、仕方のない事だとは思いながらも、ルナに守られている自分が、無性に悔しくて、情けなかった。
図書館を後にしたルーカスは、騎士団の訓練所を訪れた。訓練用の剣を握ってブライアンと対峙し、果敢に立ち向かっていく。その表情は、いつもとは違って、鬼気迫るものがあった。
「もう降参されますか? ルーカス殿下」
「くそっ……まだまだだ!」
普段は受け身で、防戦一方のルーカスが、今日は何度尻餅をついても、無様に地面に転がされても、その度に立ち上がってブライアンに向かって行く。
「今日の殿下はどうされたんでしょうかね? あんなに必死になられて……」
ルーカスの護衛騎士のロバートが、面食らった様子でルナに尋ねる。
「お命を狙われた事で、思い詰めていらっしゃるのでしょうか……。ご心配なさらずとも、ルーカス殿下の御身は、私達がお守り申し上げますのに」
ルナは眉尻を下げて、肩で息をしているルーカスを見つめた。
(強くなりたい)
切実に、ルーカスは願う。
(俺は、弱い。ルナに守られてしまう程弱い。俺のせいで、ルナが傷付いてしまっても、俺は何一つできなかった。もうあんな思いは、二度としたくない!)
ブライアンの一撃に吹き飛ばされ、背中を強かに地面に打ち付けたルーカスは、それでも歯を食い縛りながら、立ち上がって剣を握り直した。
(強くなりたい! ルナの足手纏いにならないように。ルナが安心して、自分の仕事ができるように。自分の身くらい、自分で守れるようになりたい。ルナと肩を並べて、戦えるくらい強くなりたい。そして……、何時の日か、ルナを守れるような男になりたい……!!)
「行くぞ、ブライアン!!」
この日以降、訓練所には、毎日日がとっぷりと暮れるまで、剣戟の音が響くようになったのだった。