34.不安を覚える侍女
翌朝。ふわりと意識が浮上したルーカスが、ゆっくりと目を開いた時だった。
「おはようございます、ルーカス殿下」
寝室の扉がノックされ、いつもと変わらぬ調子で声を掛けて入室して来たルナに、ルーカスは目を剥いて飛び起きた。
「ルナ!? お前、まだ休んでいなくて平気なのか!?」
「問題ありません。昨日は解毒という、身体強化魔法の高度な応用を長時間続けたせいで、流石に魔力はすっからかんですが、体力は人並み程度には回復しておりますので」
「だけど、今日くらいは、大事を取って休んだ方が良いんじゃないのか? 昨日は死にかけていたんだぞ!?」
「寝るのにも飽きました。それに、ルーカス殿下が何者かに狙われているというのに、おちおち寝てなどいられません。今は魔法が使えない為、護衛は満足にできませんが、侍女としての仕事には何の支障もありませんし」
「そ、そうなのか……?」
元、日常的にベッドの上の住人と化していたルーカスは、寝るのも飽きたというルナの気持ちが良く分かるだけに、それ以上休息を勧める事は躊躇われた。昨日は生死の境を彷徨っていたというのに、今日はその事実を全く感じさせないルナの回復力に舌を巻く。
「まあ、お前が大丈夫なら良いけど……。今日はあまり無理をするなよ」
「はい。ご心配頂き、ありがとうございます」
頭を下げて、ふわりと微笑んだルナに、ドキリとルーカスの胸が高鳴る。
(この笑顔を、失わずに済んで良かった。ルナが生きていてくれて良かった……)
ルナに見惚れながらも、ルナを失っていたかも知れない昨日の恐怖を思い出して、ルーカスは顔を曇らせる。
「……ルーカス殿下? どうかされましたか?」
「え? いや、何でもない! 顔洗って来る!」
首を傾げたルナに訊かれて我に返ったルーカスは、慌てて洗面所へと向かった。
身支度を整えたルーカスは、朝食を摂りながら、ルナと昨日の一件について情報を共有する。ルナは既にオースティンからも話を聞いていたらしい。
「今回の事件の取り調べの成果は、ほぼルーカス殿下のお蔭だったと、父が褒めておりました。お手柄でしたね、ルーカス殿下」
「い、いや、俺は大した事はしていないさ。お前が似顔絵を描いておいてくれたお蔭だからな」
「いいえ、それでも、五年前の事件と今回の事件が繋がっていると判明し、双方向から犯人に迫れる形になったのは、ルーカス殿下のお蔭です」
「そ、そうかな……」
ルナに手放しで褒められ、つい頬が緩んでしまう。
「ですが、気になるのは料理人が言っていた、もう一人の犯人の特徴ですね……。全身黒ずくめの、若い男……」
ルナがぽつりと呟いた時、俄かに部屋の外が騒がしくなった。
「……何かあったのか?」
「見て参りましょう」
ルナが部屋の扉に足を向けた時、扉がノックされた。
「失礼致します、ルーカス殿下! 昨日の事件で牢に入れられた料理人が、死んでいるとの報告がありました!」
「何だと!?」
ルナと顔を見合わせたルーカスは、急いで地下牢に向かった。既にオースティンの姿もそこにあった。
「オースティン! 一体、何があったんだ?」
「ルーカス殿下、申し訳ございません! 犯人をみすみす死なせてしまって……!」
「謝罪は後だ! 状況を説明しろ」
オースティンが牢番から聞いた話によると、昨日の夜、遺体で発見された妊婦が自分の妻と判明した、と知らされたオリバーは、大層嘆き悲しんでいたそうだ。真夜中に牢番が見回りに来た時には、泣き止んではいたものの、心ここにあらずと言った様子で、早く寝るように、との牢番の声掛けに、力無く頷いていたらしい。だが、朝になって再び牢番が来た時には、床に倒れ、首から大量に出血していて、既に事切れていたと言う。
「牢の中に、血が付いた折り畳み式の小型ナイフが落ちておりました。彼が隠し持っていた物で、これを使って自殺したのではないか、と考えております」
「そうか……」
昨日の取り調べでは、オリバーは自分の身よりも、妻の事を酷く気にしていた。ここは地下牢で、外部から侵入した形跡も無い以上、妻の死を苦にしての自殺、という線は十分に考えられる。
ルーカスが目を伏せていると、ルナが一歩前に進み出た。
「お父様。少し現場を拝見しても宜しいでしょうか?」
「あ、ああ。構わんぞ」
「あの、ルナ嬢、遺体には布を被せておりますが、牢内は血塗れになっておりますので、女性が見るには堪えないかと……」
「問題ありません。ご心配ありがとうございます」
困惑した様子の牢番にふわりと微笑むと、顔を赤らめた牢番を残して、ルナはオリバーが入れられていた牢の前に立った。頑丈そうな鉄格子の鍵は、無理にこじ開けられた形跡は無い。牢の中には天井近くに、地上に面した通気口はあるが、人が通り抜けるには小さ過ぎる上に、これまた鉄格子が嵌っているので、当然そこからの侵入も不可能だ。唯一地下牢へと繋がる小部屋で宿直していた牢番達の、昨夜も何の異常も無かった、との証言を信じるのならば、普通に考えれば自殺で決まりだ。
(普通に考えれば、ね……)
オリバーの証言を聞いていなかったら、ルナとて自殺で納得していたかも知れない。
(……まさか、ね……)
そんな筈は無い。
脳裏に浮かんだ仮説を自ら否定しながらも、ルナの胸中には、一抹の不安が残るのだった。