22.打ち明ける王子
漸く冬の寒さが遠のき、ヴァイスロイヤル国にも、雪解けの季節がやってきた。
「視察、ですか?」
アーサーに呼び出されたルーカスは、思わず訊き返してしまった。
「そうだ。我が国の北の地方が、毎年積雪に覆われる事は、既にローランド講師から習っておるであろう? 積雪が多かった年は、春になると雪解け水による水害が発生する事がある。今年はどのような状況なのか、一度お前に見て来てもらいたいと思っているのだが……どうだ? ルーカス」
期待と不安が入り混じったような、だが慈愛に満ちた視線を、父王に向けられる。
今までのルーカスなら、季節の変わり目には体調を崩しがちだった為、病弱な身体でまだ寒さの残る北の地方への視察を任せる事は躊躇われた。だが今年の冬は風邪一つ引かず、体力も付けてきたルーカスを見込んでの、初の視察依頼である。その期待に応えたいと、ルーカスはアーサーの視線を、真正面からしっかりと受け止めた。
「畏まりました。しかと見て参ります」
「うむ。頼んだぞ」
「はい、父上!」
満足げな笑みを浮かべて頷いた父王に、ルーカスもまた、力強く答えたのだった。
自室に戻ったルーカスは、早速北の地方の資料を持って来るよう、ルナに頼んだ。過去の積雪量や、水害の被害、その対策が記載された分厚い書類に、ルーカスは次々と目を通していく。見たいと思っていた資料を、過不足なく用意してくれたルナに、ルーカスは内心で舌を巻いた。
「あまり根を詰めすぎるのも、良くありません。そろそろ休憩されては如何ですか?」
ルナの勧めに、ルーカスは顔を上げる。昼過ぎから始めていた筈なのに、何時の間にか大分日が傾いていた。
「ああ……。だけど、折角父上に任された仕事なんだ。もう少しだけ……」
「初めてのお仕事で張り切っておられるのは大変良い事ですが、先程から資料を読まれる速度が落ちております。少し休憩を挟まれた方が、効率も上がるかと思いますが」
「……分かったよ」
ルナに促されて、ルーカスは資料から目を離した。思っていたよりも目が疲れ、肩も凝っていた事に気付く。椅子の背もたれに身を預けたルーカスは、ルナから受け取った紅茶のカップに口を付け、ふうと息を吐き出した。
「……どうかなさいましたか? ルーカス殿下」
先程から視線を伏せているルーカスに、ルナが尋ねる。
「ん……、ブレイク兄上は、やっぱり凄かったな、って思ってな」
カップを机の上に置いたルーカスは、六年前の資料を指し示した。
「これ、ブレイク兄上が纏めた視察の報告書なんだ。去年から五年前までのものよりも、要点が纏まっていて読みやすい。……俺にこんな書類、書けるかなって思ってさ」
ルーカスから資料を受け取ったルナは、パラパラと目を通す。
「確かに素晴らしい報告書ですね。ルーカス殿下は今回の視察が初めてですので、いきなりこれ程の質の報告書を書かれるのは、流石に難しいかも知れません。ですが、これをお手本にして、回数を重ねていけば、きっとルーカス殿下もできるようになると思います」
ルナが励ましても、ルーカスは無言のままだ。その目は、悲しみに満ちているように、ルナは思えた。兄達を思い出しているであろう事が、容易に推察できる。
「……ルーカス殿下は、やはりまだ、お兄様方の事件から、立ち直れていないのですね」
「……俺が知っているチャールズ兄上は、あんな事するような人じゃなかったんだ。今でも信じられなくて……」
ぽつりと零すルーカスに、ルナは思い詰めたような表情で唇を引き結ぶ。
「ルーカス殿下。もし宜しければ、私に事件の事を、お話しいただけないでしょうか?」
「え……?」
意外なルナの申し出に、ルーカスは驚いて顔を上げた。
「五年前の王太子殿下暗殺事件については、王家の醜聞となる為、口にしない事が暗黙の了解となっております。その為、私は、私の一族が起こした事件の、詳細までは存じ上げません。ルーカス殿下のお兄様方の事、そして事件の事を、知っておく義務が、私にはあるのではないかと、常々思っておりました。ルーカス殿下も、辛いお心の内を明かせる機会があればと思ったのですが……。……モルス一族の生き残りである私などにお話ししたくなく、かえって差し出がましい真似になっておりましたら、大変申し訳ございません……」
語尾を急激に小さくしていったルナは、お仕着せのスカートをぎゅっと握り締めて頭を下げた。その傷付いたような表情に、ルーカスは慌てる。
「い、いや、そんな事思っていないから、頭を上げてくれ!」
何とかルナに頭を上げさせたルーカスは、困ったように頭を掻きながら俯いた。
何時までも兄達の事件を引き摺っていては、ルナを心配させ、罪の意識を植え付けてしまう。それよりは、いっそこの機会に、胸の内に仕舞っていた思いを洗いざらい吐き出して、気持ちに整理を付けた方が、自分の為にも、ルナの為にもなるのではないだろうか。
視線を上げて、そっとルナの顔を窺う。ルナは眉尻を下げ、不安げな表情でルーカスを見つめていた。
……そんな表情を、ルナにさせたい訳じゃない。
「……じゃあ、聞いてくれるか?」
「勿論です。お願い致します」
安堵したような表情に変わったルナに胸を撫で下ろし、ルーカスは訥々と語り始めた。
生前の兄達への思い。ある日突然届いた、長兄の凶報。次兄の自死。残された遺書。実行犯の証言。義母の自死と母の死。実行犯達の殲滅。そして、王太子への就任。
語るうちに、ルーカスは気持ちが凪いでいくのを感じていた。もしかしたら、自分は誰かに、聞いてもらいたかったのかも知れない。事件以来、話す事のできなかった、兄達の思い出を。事件への拒絶感を。
「……聞いてくれてありがとうな、ルナ。思ったよりも、気持ちの整理ができた気がする」
語り終えて、思いの外清々しい気持ちで、顔を上げたルーカスが見たものは。
納得できない、とでも言いたげに、眉間に皺を寄せて考え込む、ルナの疑惑に満ちた表情だった。