19.過去を告げる侍女
ルナが生を受けたのは、モルス一族の傍系だった。
裏の世界では暗殺集団として名を馳せていたモルス一族。その実態は、身体強化魔法に優れた血族である。十人がかりでやっと動くような岩を軽々と持ち上げ、馬車をも追い抜く脚力を持ち、豆粒程に見える遠くの人々の顔を見分け、またその声を聞く事ができた。一族の中でもその優劣には差があり、直系の者程その力が強くなるが、稀に傍系でも優秀な者が現れる。ルナがそうだったように。
モルス一族は、頭領には勿論の事、目上の者には絶対服従の一族であり、子供の頃から一族への忠誠心を強烈なまでに叩き込まれる。少しでも逆らおうものなら冷酷非道な罰が待っていて、泣いても喚いても止めてもらえる訳が無い事を学んでいった子供達は、次第に感情を無くしていき、命令には必ず従う人形へと化していくのだ。そしてルナは、持って生まれたその力を伸ばす為、同年代の子供達よりも更に過酷な修行を強いられたのだった。
物心付いた頃から大人達に混ざって鍛練をさせられ、将来は一族の頭領の息子と番って優秀な血筋を残すべく、ありとあらゆる教育を叩き込まれた。過酷な環境下でも生き抜けるよう、その身一つで猛獣が出る山に置き去りにされたり、少しずつ毒を身体に入れて、慣れさせられたりもした。
そんな惨憺たる子供時代を送っていたルナが転機を迎えたのは、五年前の事である。
この頃になると、ルナはまだ十歳の子供ながらも、実戦で使えるかどうかの試験も兼ねて、情報収集等の簡単な仕事を手伝わされるようになっていた。その日は、隣国の王城に忍び込んで手に入れた機密情報を、一族の集落に持って帰って来た所だった。
約一週間振りに目にした故郷は、辺り一面焼け野原になっていた。変わり果てたその光景に、呆然としていたルナが出くわしたのは、武装姿の騎士達である。
「ゴードン総帥!! 生き残りがいました!!」
あっと言う間に周りを囲まれ、敵意を剥き出しにされたルナは、この連中が集落を滅ぼしたのか、とすぐに悟った。敵に囲まれた時にやる事は教え込まれている。何を置いても、大将を討ち取るのだ。
周囲に素早く目を走らせたルナは、一際体格が良い壮年の騎士に目を付けた。眼光鋭く、幾度も戦地を潜り抜けてきた事が窺える、独特の威厳に溢れた男。この男が大将に違いない。
瞬時に魔法で脚力を強化しながら短剣を両手に構え、人間離れした跳躍で騎士達の囲みを脱したルナは、一瞬で男との距離を詰めて右手の短剣を振るった。首筋の急所を狙った攻撃は男に躱されてしまったが、すぐに繰り出した左手の攻撃は流石に躱し切れなかったのか、男の右目から血飛沫が上がる。
「ぐああぁっ!!」
「ゴードン総帥!!」
もう一撃、と踏み込んだ所で、全身に雷で撃たれたような衝撃が走り、ルナはそのまま意識を失った。
***
気が付いた時、ルナは魔力を封じる魔石を使った手錠を嵌められ、王宮の地下牢に入れられていた。そして騎士達による取り調べを受ける中で、ルナは自分の置かれた状況を少しずつ把握していった。
どうやら自分の与り知らぬ所で、一族は王太子暗殺と言う大罪に手を染めていたらしい。その粛清を受けて、一族は滅ぼされたのだと知った。
そこまでは分かる。それならば仕方のない事だと、まるで他人事のようにルナは思った。
だが、何故自分一人だけ、雷魔法を受けて意識を失ったあの場で殺されずに、こんな所に運んで来てまで生かされているのだろうか?
不思議に思って尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。何でも、ルナがその右目を傷付けた筈の騎士団総帥、オースティン・ゴードン伯爵が、自分の命乞いをしてくれているのだと。
大罪を犯した一族の生き残りであり、しかも自らの右目を切り付けた張本人の、処刑を嘆願するなら兎も角、命乞いをする総帥の考えなど、ルナには到底理解できなかった。
その後暫くして、右目に包帯を巻いたゴードン総帥が面会に来た時に、その理由が語られた。
王太子暗殺事件の捜査の結果、実行犯は一族の中でも精鋭と呼ばれる程の熟練者達である事が判明していたらしい。だが、王族殺しの一族への、見せしめも兼ねた粛清の手段として、モルス一族の集落ごと焼き討ちにする方法が採択されたそうだ。焼け野原と化した集落を確認していた最中、ただ一族に生まれたというだけで、まだ何の罪も犯していない、幼い子供達や赤ん坊の焼死体を目の前にして、総帥は罪悪感を覚えずにはいられなかったらしい。そして自らの右目を傷付けたとは言え、自分の息子よりもまだ幼い少女が、気絶して横たわる姿を前に、この子も殺さなければならないのかと思うと、憐憫の情を禁じ得なかったそうだ。
当初は騎士団総帥の右目を奪ったという事もあり、ルナへの憤りを隠さなかった騎士達も、取り調べが進んでルナの生い立ちが明らかにされていくにつれ、徐々にルナに同情的になっていった。過酷な子供時代を過ごしたせいで、一切の感情が削ぎ落された無表情のまま、まるで生気のない人形のように、ただ淡々と騎士達の指示に従うルナの様子も、何時の間にか哀れみを誘っていたらしい。
モルス一族に生まれてさえいなければ、別の場所に生まれていれば、全く違う人生を歩んでいた筈だと。モルスの悪影響が無ければ、その力を正しく使う事もできた筈だと。今からでも遅くはない。正しい道を示し、歩かせてやれれば、ルナの力は、やがてこの国を救うものにだってなる筈だと。もし許してもらえるのならば、自分が責任を持って、彼女を導いていくと。
騎士団総帥の度重なる嘆願に、当初は難色を示していた国王も、次第に心を動かされていった。
王太子暗殺事件から半年程が経ち、ヴァイスロイヤル国に冬が訪れ始めた頃。
表向きにはルナはそのまま牢の中で病死し、モルス一族の血は完全に絶えた事にされた。だが実際は、秘密裏に牢を出され、その一切の素性を秘匿する事を条件に、ゴードン伯爵の養女として、二度目の人生を歩む事になったのだった。