16.追憶する王子
「ルーカス! 今日は大丈夫なのか?」
「うん! 今日は調子が良いんだ、チャールズ兄上」
この日、久し振りに訓練所に顔を出すと、真っ先に気付いたチャールズが声を掛けてくれて、ルーカスは笑顔で答えた。病み上がりという事もあり、今日は軽く剣の素振りをするだけにとどめたルーカスは、その後見学と称して兄のチャールズの稽古を見守る。両目を見開いて睨み付けてくる、強面のオースティン・ゴードン騎士団総帥にも怯まず、勢い良く真っ直ぐに向かって行くチャールズは、弟の自分から見ても格好良かった。何回か剣を交えた後、休憩の為にこちらに向かって来たチャールズに、ルーカスは声を掛ける。
「チャールズ兄上は凄いね。俺はオースティンに睨まれただけで、足が竦んで動けなくなっちゃうよ」
「ハハッ、俺は身体を動かすのが好きなだけで、お前が言う程凄くないさ。本当に凄いのは兄上だよ。俺と一つしか違わないのに、もう王太子として、毎日視察であっちこっち飛び回って、父上をしっかり支えているんだからな。俺は兄上みたいに勉強ができる訳じゃないし、政治とか難しい事は苦手だから、何時か兄上が即位された暁には、俺は武力で兄上を支えていきたいんだ。その為には、今からしっかり鍛えておかないとな!」
満面の笑顔で将来を語るチャールズに、ルーカスは尊敬の眼差しを送る。
「ブレイク兄上も勿論だけど、チャールズ兄上もやっぱり凄いよ。二人共、今から将来の事を凄く考えているんだから。俺なんかしょっちゅう寝込んでばかりで、勉強も運動もできないし……」
「そんな事はないさ、ルーカス。お前の魔法の腕は、まだ八歳にしては上々だって、この間アルフレッドが言っていたぞ」
「ほ……本当?」
「ああ。魔術師団長のお墨付きなんて凄いじゃないか。お前はお前のできる事を、少しずつでも頑張っていけば良いさ」
「うん! ありがとう、チャールズ兄上!」
目を輝かせたルーカスの頭を、チャールズはくしゃくしゃとかき混ぜる。
「取り敢えず、まずは身体を丈夫にしないとな。お前、肉を食べろよ、肉を」
「う……だって嫌いなんだもん……」
唇を尖らせるルーカスに、チャールズは苦笑した。
身体を丈夫にして、何時か自分にもできる事を見付けて、チャールズと共に、父やブレイクを支えていく。この頃のルーカスは、そんな未来を夢見ていた。
そんな未来は、ある日突然、呆気なく崩れ去る事になる。
「ブレイク兄上が、殺された……!?」
ルーカスは、侍従から聞いた悲報に、目の前が真っ暗になった。
ブレイクは視察に行った先で、何者かに襲われ、護衛共々全員殺されてしまったらしい。賢くて、しっかり者で、優しかった長兄の、変わり果てた姿を目にしてしまったルーカスは、ショックのあまり寝込んでしまった。だがその数日後、ルーカスは、更に信じられない報告を耳にする事になる。
チャールズが、自殺したのだ。自分が王太子の座欲しさに、兄ブレイクを殺したという遺書を残して。
「嘘だ!! そんな訳あるか!! チャールズ兄上は、ブレイク兄上を支えていくのが夢だって、常々そう言っていたのに!!」
泣き叫びながら否定したルーカスだったが、事件の全貌が詳細に書かれたチャールズの遺書は、チャールズこそが黒幕である事を示していた。裏の世界では有名な暗殺集団、モルス一族と手を結び、視察中のブレイクを襲わせた事。だが捜査が進むにつれ、自分が疑われているという情報を入手し、逃れられないと思い詰めた事。そして、遺書の内容を元に懸命な捜査が行われた結果、逮捕した実行犯の一人が、チャールズに命じられたと証言したのだ。
「嘘だ……!! そんな……チャールズ兄上が、そんな事する訳が……!!」
愕然とするルーカスの思いとは裏腹に、ヴァイスロイヤル国全土を騒がせたブレイク王太子暗殺事件は、チャールズ第二王子を黒幕として収束してしまう。チャールズの母親である側室は、息子が犯してしまった罪を詫びる為、自らの命を絶ってしまった。王妃も心労が重なったのか、やがて息子の後を追うように亡くなってしまう。そして王家の威信をかけて、実行犯であるモルス一族の殲滅を命じられたオースティンが、右目と引き換えに任務を完遂し、この事件は幕を閉じたのだった。
「どうして……こんな事に……」
短期間で、大好きだった兄二人と、母と義母を失ってしまったルーカスは、すっかり打ちひしがれていた。
だが、周囲はそんな自分をそっと静かに見守ってはくれなかった。第二王子が王太子を暗殺したという、前代未聞の王家の醜聞を早々に掻き消す為、空席となってしまった王太子の座に、第三王子を就ける慶事が望まれたのだ。
失意の中、ルーカスは自身の意思に反して、王太子に就任する事になる。
(チャールズ兄上は、あんな事をするような人じゃない……! 王太子に相応しいのは、俺じゃない、ブレイク兄上だ……!!)
信じたくない、長兄の死と次兄の裏切り。母達の死。その結果、自分に与えられたのは、一度も望んだ事など無かった、王太子の座。
ルーカスは、五年の歳月が経った今でも、王太子暗殺事件の真相を、自分が王太子となった現実を、受け入れられていないのである。