1.クビにする王子
「ルーカス殿下……、もう起床時間をとっくに過ぎております。いい加減に起きてくださいませ……!」
「嫌だ」
シーツを身体に巻き付け、ベッドの上で巨大な芋虫と化している主に、数日前に専属侍女になったばかりのエマはすっかり困り果て、思わず吐き出しそうになる溜息を懸命に堪えていた。
病弱な為線は細いが、金髪碧眼で見目麗しく、天使のような美少年、ルーカス・ヴァイスロイヤル王太子。だが、口を開けば我儘しか言わない主に、新任早々すっかり振り回されっ放しのエマは、泣きそうになりながらも、窘めなければならないと勇気を出して口を開いた。
「毎朝毎朝、そのような駄々を捏ねられてはいけません、殿下。ちゃんと王太子としての自覚を持っていただかないと……」
「……クビだ」
「えっ?」
白い芋虫から聞こえた低い声に、エマは青褪めて硬直した。何時の間にかシーツの隙間から顔を出していたルーカスが、鋭い視線でエマを睨み付けている。
「お前なんかクビだと言ったんだ! 出て行け!! 二度と俺の前に顔を見せるな!!」
***
「やれやれ……。また侍女をクビにしおったのか……」
アデラ・ブーン女官長から報告を聞いたアーサー・ヴァイスロイヤル国王は、額に手を当てて深く溜息をついた。
ルーカスの我儘を諫めたい所ではあるが、幼い頃から身体が弱く、第三王子で末っ子と言う事もあって、ついつい甘やかしたまま、十三歳になるまで育ててしまった息子の頑固さは、父であるアーサーもよく分かっていた。何せ、一度でもクビを宣告した者の言う事は、父王が何を言っても絶対に聞こうとはしないのだ。ルーカスを叱り、クビを言い渡された者に王太子付きの任を続けさせようとした事もあるが、何を言っても聞かないルーカスに手を焼き、ほとほと困り果てて、すっかり自信を失ってしまった者が、今度は自ら王太子付きの任を解いて欲しいと申し出てしまう。その繰り返しで、ルーカス付きの侍従にできる人材はとうに底を突き、次々にクビを言い渡される侍女達も最早時間の問題で、護衛騎士達も入れ替わりが激しかった。
(昔はもう少し分別のある、優しい子であったのに……。五年前、ブレイクとチャールズがあのような事になってしまい、王太子にした辺りからかの。我儘が酷くなったのは。急に環境が変わってしまったから、あの子が落ち着くまで静観しようと考えたが、それが間違いだったかも知れん……)
反省はしながらも、どうしても息子に厳しくなれないアーサーは、仕方なく口を開く。
「ブーン女官長、すまぬがその侍女は別の所に異動させて、また適当な人材を見繕ってはくれまいか。あれは一度臍を曲げたら、いくら言っても聞かぬ故」
「はい……。しかしながら陛下、既に殆どの者が、殿下にクビを言い渡されてしまっておりまして……」
「そ、そうなのか? それは困ったな……」
遂に侍女の人材までもが尽きてしまったか、と頭を抱えた国王の顔色を、アデラが恐る恐る窺う。
「あの……、実は一人だけ、少々難はあるものの、適任かと思う者がおります。しかしながら、声を掛けてみた所、恐れ多くも、国王陛下にその任を保障していただきたい、と申しておりまして……」
「ほう? 任の保障、とな?」
一風変わった申し出に、アーサーは目を丸くした。
アデラがルーカス付きの侍女を任命しても、すぐにそのルーカスにクビにされてしまう現状を考慮すれば、国王という後ろ盾が欲しいと奏上する侍女の気持ちも分からなくはない。そのような前例が無い、大胆な願いを口にした侍女は、頭が良く、勇気もあるのだろうと、アーサーは興味が湧いてきた。
「良かろう。余もその者を直に見てみたくなった。すぐにここに連れて参れ」
「畏まりました」
恭しく礼をしたアデラが退出し、程なくして一人の少女を連れて戻って来た。深々と頭を下げている侍女に、声を掛けて顔を上げさせる。
「其方が此度の願いを申し出たと言う者か?」
「はい。ルナ・ゴードンと申します」
「何? 其方、ゴードン伯爵が養女にした娘か……!?」
「左様でございます」
黒髪黒目、飛び切り美人という訳ではないが、整った顔立ちをした少女は、国王にも臆した様子は無く、無表情で真っ直ぐに視線を返している。アーサーの脳裏に、五年前、騎士団の総帥であるゴードン伯爵が、秘密裏に平民の少女を養女にした経緯が蘇った。
(成程。確かにブーン女官長の言う通り、この少女ならルーカスの侍女にピッタリかも知れん……)
アーサーは一人頷くと、目の前の少女に声を掛けた。
「其方の願いは、余にルーカスの侍女の任を、保障してもらいたいという事であったな?」
「はい。私如きにルーカス殿下付きの侍女という大役が務まるかどうかは分かりませんが、拝命するからには、全力で務める所存です。しかしながら、ルーカス殿下は、些細な事でお付きの方々を次々にクビになさっているご様子。私としても、志半ばで一方的に任を解かれてしまっては、大変不本意でございます。つきましては、本当に私がルーカス殿下付きの侍女に相応しいのか、それを皆様に見極めていただく期間も兼ねまして、『最低でも半年は、何があっても、任を解かれる事は無い』というお約束を、書面にて頂戴致したく、大変恐縮ではございますが、国王陛下にお願い申し上げます」
「良かろう。すぐに書面を用意しよう」
「ありがとうございます」
丁寧に礼をし、退室する侍女を見送りながら、アーサーは知らず笑みを浮かべていた。
前もって考えてきた事が窺える、澱みの無い口調。『些細な事でクビにする』と、言い辛い事を父親である国王にはっきりと言ってのける度胸。裏を返せば、『最低でも半年は勤め上げ、その間に必ず結果を出す』とも取れる約束の内容。口約束ではなく、書面を用意させる周到さ。そして、その間終始無表情で、腹の内を読ませないふてぶてしさ。
(あの少女なら、ルーカスを変えてくれるかも知れん)
少女の稀有な過去を知るアーサーが、思わず彼女に期待を寄せてしまうのは、無理からぬ事であった。