67 うたた寝の間に 4 驚かれた理由
拳で思い切り叩いたようだが、俺にはまったく効かないばかりか、嬉しかったなんて言えない。セレスティーヌは顔を真っ赤にして怒っていたから。
「もう! もう、もう! 何なの、ルイったら!」
ポカポカとセレスティーヌが俺の肩を続いて叩いた。
「え、ちょ、痛い痛い、さすがに痛い」
言うほど、そこまで痛くはなかったが、心理的ダメージはかなりある。何でそんなに怒ってるのかわからない。でも可愛い。
「だって私ばっかり! 私ばっかりドキドキして仕方ないんですもの! ずるいわ!」
思わず目を見開いて、じっと見つめた。
「何? ・・・何が? え?」
顔を真っ赤にして泣きそうになっているセレスティーヌは、今まで俺が見たことない表情をしていた。
恥ずかしいような嬉しいような、でも困っていて怒っていて、悔しそうで、でも幸せそうな・・・一体何なんだ?
「楽器だって、曲だって、演奏だって、言うこと全部・・・そもそもここに急に来るなんて! 早く会いたかったなんて言って喜ばせようなんて、その手には乗りませんからね! それに、その騎士服のままで・・・昇格したからって、似合うからって自慢ですか! かっこいいなんて絶対言わないんだから! 金色の髪にも紺碧の瞳にも、映えてとっても素敵なんて、絶対に言わないんだからぁぁぁぁ!」
半ば叫びながら、セレスティーヌは音楽室を出て行ってしまった。
後に残された俺は、呆然と自分の着ている制服を見下ろした。
「・・・服・・・?」
それで思い出した。
俺は普段、仕事が終わったら仕事のことは考えたくない。それもあって、セレスティーヌと過ごす時は、必ず着替えてから会うことにしている。時間がない時は、馬車の中で着替えることもあるくらいだ。
だが、今日は、そうしなかった。ぐったりと疲れていて、気を回す時間がなかったのだ。そういえばアダムに言われた気がするが、着替えていないところを考えると、面倒で取り合わなかったのだろう。
俺はようやく、シドニーが驚いた本当の理由を理解した。ブリュノだと思ったわけじゃない。俺が近衛の騎士服を着てきたから、驚いたのだ。しかも、昇格して、濃紺から碧がかった明るめの紺色に変わってからは、着てきたのは初めてだろう。
確かに目の色には近い。しかも、小さなメダル勲章も増え、金色を主張している。それも髪の色と合っているといえば合っているが、そんな人間、ゴロゴロいる。俺だけが金髪碧眼なわけじゃない。
「そんなつもり・・・」
俺が呟くと、ジネットがちらりと俺を見た。
「追いかけないの?」
「でも・・・追いかけて・・・嫌われたら・・・」
何を言っていいかわからない上に、嫌われたら。これからなのに。
「セーレ、明日の音楽会、とっても緊張してるのよ」
急にジネットが話を変えた。
「どうしてだ? セーレはよく行ってたし、ピアノだって慣れたものだろう」
「でも、寝込んでから人前で弾くのは初めてだし、あなたが一緒にいない外出は、多分、久しぶりだから」
「あぁ・・・でも・・・なんでそれで? 俺が着替えてこなかったのを怒られるんだ? 昇格したのが気に入らないのか? やっぱり、俺がまだ近衛騎士だということが嫌なのか?」
「なんでそうなるのよ・・・」
「だって、”かっこいいなんて絶対言わない”なんて、今まで言われたことないぞ? 別に、かっこいいって言われたことだってそんなにないけど・・・」
語尾が小さくなったのは、言われたいとか、そういうことではない。決して。
「セーレがそんなに制服を嫌だったなんて知らなかった・・・やはり、自分の立場を思い出すからか?」
一度、近衛騎士の職場を見学に来た時があったが・・・我慢していたのだろうか。
すると、ジネットは呆れたように微笑んで、ため息をついた。
「甘えてるのよ。わがまま言ってるの」
「え?」
「今のルイなら、八つ当たりしてもいいってわかるからでしょ。私や兄様にはできないのよ。だって明日はみんなが楽しみにしているお出かけで、セーレの演奏も楽しみの一つで、みんなが期待してるんだから。もちろん、セーレの復帰のためにもよ。それがわかっているから、よく頑張ってるの。でもとっても張り詰めていたから、私が提案したの、ルイのことを思いながら曲を作って、ルイに聞いてもらったらって。弾いてもいいって言われたら、それも本番で弾いてみればいいんじゃないって。そうすれば、ルイと一緒にいるみたいで、安心するでしょ?」
「そんな適当な」
「セーレは喜んで、すぐに曲を作り始めたのよ」
「嘘だろ?」
「何言ってるの、その結果がこの曲よ」
ジネットが俺の手元の楽譜を指差した。
「本当に、セーレは随分、あなたを好きなのね。知ってたけど」
「へ」
「この曲、全部、あなたのことよ、ルイ。セーレがあなたのことを思いながら作ったの。この曲を弾きながら、あなたのことを思い出せるようにって。セーレがどれだけあなたを好きか、この曲を聴けばわかる。でしょ?」
どれだけ好きか。
あの、甘くて優しくて、抱きしめたくなるような旋律。
愛おしさがこみ上げてくるような音の響きに、心の奥まで満たされるような心地よさ。
あれが全部、セーレが俺に感じていることだって?
「せ、セーレはどこに」
俺はオロオロと周囲を見回した。ジネットが肩をすくめた。
「部屋に戻ってると思うわ。きっとベッドにうつ伏せになって、頭を抱えてるでしょうね。だって子供みたいだったでしょ? あの子の小さい頃、そっくりだもの」
そんなところもとっても可愛いのよ、とジネットは言う。
俺の知らないセレスティーヌだった。家族だけが知っているセレスティーヌ。そして、俺がもっと知りたいセレスティーヌだ。
「・・・会いに行っても?」
「ダメなわけがある? 婚約者なのに?」
「ありがとう。恩にきる」
「高いわよ」
ジネットのコロコロとした笑い声に後押しされ、俺は急いで音楽室を後にした。
【うたた寝の間に】、これにて終了です。
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