【閑話】舞踏会の片隅で
ルイ視点です。
「正式婚約おめでとう」
俺がシガールームへ入るなり、クロードがワイングラスを掲げた。
「・・・あぁ。ありがとう」
「おいおい、もっと嬉しそうにしろよ。ま、お前にとっては仮も正式も当然で、どうってことないのかもしれないけどな」
「そんなんじゃないよ」
俺は苦笑してクロードに向けてワイングラスを掲げ、ワインを飲み干す。奥にいたアンドレがニヤニヤしながらワインボトルを差し出してきた。俺は素直にワインを注いでもらう。
「そういえば、ジネット嬢が探していたぞ。何でもお祝いを言い損ねたから言いたいとか・・・」
「いいこと聞いた。ずっとここにいよう」
俺が言うと、ショーンが笑った。
「ひどい。社交界の華だよ? 義理の姉になるんだよ? 仲良くしときなよ」
「苦手なんだよ・・・バルバラ様は素敵な方なのに・・・ジネットはな・・・」
「ジネットはセレスティーヌを溺愛してるからね・・・ブリュノ殿もだけど・・・ま、早めに攻撃は受けといた方がいいんじゃないの。嫌味なんてかわいいものさ」
ショーンが話している間に、シガールームには俺たち四人しかいなくなった。
「珍しいな」
キョロキョロしながら俺が言うと、三人は吹き出した。
「そりゃーさ、がっかりした男どもはお前ののろけ話なんて聞きたくないさ」
「がっかり?」
「セレスティーヌを狙ってた奴ら。あえて”仮”としているんだからって、あの手この手でセレスティーヌに近づこうとしてたんだけどね。あのブリュノ殿とヴァレリー公爵とお前が立ちはだかって、何にもできなかったそうだからな。悔しいんだろう」
「何だそれ」
「いいよなぁ、初恋の相手が結婚相手だなんてさぁ。お互いに愛を育んできたなんて、なかなかないぜ? 早くに決まった婚約なんて、何の期待もない、それが当然なんだからさ」
「いや・・・別に、セレスティーヌは育んじゃいないだろう」
「えっ なんで」
ショーンが驚いたように続けた。
「え、だって、セレスはとってもルイを好きじゃない? ずっとルイを待ってたし、ルイの気持ちを考えてるし、気に入られようって頑張ってるし・・・今更必要ないけど・・・」
俺は眉をひそめた。ショーンが何を知ってるっていうんだ。
「ショーン、ずいぶん仲がいいらしいな?」
「えぇ? 仲良くないよ。仕事の話しかしたことないし」
言いながら、困ったように眉を下げる。
別に疑ってるわけじゃない。ショーンがことのほか、社交に慎重なのはよく知っている。宝石の商売筋を握り、市場を安定させる仕事をこなすショーンの家、エマール家は侯爵家では特殊な位置付けにあり、地位も財産もありながら、社交界では決して中心にならない。あくまで中立であり、トラブルを回避する傾向にある家筋の彼らは、友人を大切にし、厳選している。だから、友人の”もの”には決して手を出さないばかりか、大切にする。それは知っているが、だからと言って、距離が近いのは何となく面白くない。
「それならセレスとか呼ぶな」
「いいじゃないか、セレスティーヌがルイと婚約してるのがわかってても、掻っ攫おうって狙ってる奴はたくさんいるんだし。ショーンやアンドレと仲が良いとアピールしておけば、牽制になる。お前と仲がいい有力者の息子の機嫌も損ねたくはないだろう」
クロードが口を挟んだが、俺は同意したくなかった。
「・・・だが・・・」
「ま、別に二人っきりでデートするわけでもないし、舞踏会やお茶会で話すくらい、いいだろ」
「セレスティーヌに何かしたら殺す」
「なんもしてないじゃん・・・」
おーこわ、とクロードが笑った。
「しかし、なんで育んでないなんて、そんなこと言うわけ?」
アンドレの問いに、俺は眉をひそめた。こんな弱音みたいなこと、言わなければよかった。いくら親友たちの前とはいえ、気弱になりすぎている。
「いつも・・・俺からいつでも婚約破棄していいって言うし、自分は誰と結婚してもいいって言う。俺はあいつから俺と結婚したいとか好きだとか、一度だって聞いたことがない」
ショーン、アンドレ、クロードの三人が顔を見合わせた。
「小さい頃は言ってたじゃないか。『ルイ大好き』って。あの頃から、セレスは変わってないよ」
ショーンが俺の肩を叩いた。
「・・・んなわけあるか」
励ましに乗ってこない俺に、三人が困った顔で肩をすくめた時だった。
「どうしたんだ、辛気臭い。おやおや、ルイはセレスティーヌと連絡が取れなくて拗ねているのかな」
ドアが開き、入ろうとしたブリュノが大げさに驚いた。またやな奴が来た。俺は不敬にならない程度に小さく睨む。
「違いますよ」
「どっちにしろ、君がそんなに暗い顔をするなんて、セレスティーヌが相手してくれない時くらいしかないだろう」
「セレスティーヌは優しいですよ」
俺の言葉に、ブリュノは笑った。
「はっはっは。優しいだけでも不安になるなんて、ずいぶん自信がないんだな?」
本当にブリュノは嫌な奴だ。俺が自分の情けない姿を見せたくないことを、よく知っているんだ。セレスティーヌのデビューに向けて、婚約者として会う機会はぐっと増えるからだ。
「そのくらいにしてあげておいてくださいよ」
ショーンが言ってくれたが、ブリュノは肩をすくめただけだった。
「本当に困ったやつだ。セレスティーヌを連れてこなくて正解だったよ」
「連れてくるおつもりだったんですか」
俺は驚愕した。
デビュー前の子女が舞踏会に参加することは、父や兄のエスコートがあるなら、さほど珍しいことではない。だが、セレスティーヌを溺愛しているブリュノは今まで断固として断っていた。もしかして、この婚約を妨害しようと?
「ああ。ルイに会いたがっていたからね」
ブリュノがこともなげに言った。
俺はさらに驚いた。確かに正式婚約してから、忙しくて会っていない。でもセレスティーヌがそんな風に思うはずがない。いつだって、会いたいのは俺で、焦がれてるのは俺だった。・・・はずだ。
「・・・本当ですか?」
「そりゃそうだよ。あいつが君に会いたがらない時があったか?」
「わ・・・わかりません・・・」
俺は混乱して目を伏せた。
確かに面会を求めて嫌がられたことはない。手紙もいつもすぐに返事をくれた。でもそもそも、会いたいと言われたことも好きだと言われたこともない。・・・仮を含め、婚約してからは。
「俺としては、セレスティーヌと正式に婚約ができて、手放しで喜んでるところを潰してやりたかったんだけどなぁ」
「恐ろしいことを・・・」
ショーンが言うと、ブリュノは取り澄ました顔で微笑んだ。
「大事な妹に手を出されそうになってイラつかない兄がどこにいるんだ?」
「・・・ルイが・・・?!」
「・・・手を?!」
「まさか・・・このへ」
「ヘタレ言うな」
三人の言葉に突っ込みながら、ルイは頭を抱えた。
自然と顔が赤くなる。あれは流石にまずかった。今まで触れたら逃げられそうで怖くてできなかったのに、思い切って近づいたら嫌がられなかったため、ついつい欲が勝った。
「どういうことだ、ルイ! 僕たちの女神に何をした?」
ショーンが勢い込んで俺に向かってくるが、悲壮感も焦燥感もない、ただの好奇の瞳だ。
それ、面白がって聞きたいだけだろ。
「婚約が正式になったからって調子にのるなよ小僧。これからはお前の立場はもっと上がるだろうがそれもすべてセーレのおかげだ。お前の実力だけじゃない」
「・・・わかっております」
今日だけでも新たに加わった地位の向上っぷりに、俺はいささかうんざりもしていたのだ。でもこれ以上のものを、ブリュノは俺よりずっと前から受けていたのだ。生まれた時から、ずっと。
「毎回毎回、お前がドレスがってあんなに真剣に悩んできたセーレをないがしろにしたら許さん。舞踏会では臆面もなく『僕の最愛の婚約者』だの『女神のように美しいセーレ』だの言っているのに、本人目の前にすると仏頂面とか片腹痛いわ。それでもセーレの気持ちを継続させてくれたのは相談する友人がいたからだ。そっちの三人にも感謝するんだな」
「は・・・?」
俺はアンドレ、ショーン、クロードと順に見ていった。
毛織り物産業、宝飾品流通元締め、ファッションや流行発信を命とする母と姉がいる・・・
「アンドレとショーンしか聞いてない!」
「でもあのドレープは素敵だったろ? 袖だって、お前が好きなシンプルで清潔な感じを目指してオーガンジーでまとめたんだぞ」
「あれか・・・!」
「ちなみに呼ばれる時は三人一緒だ。一対一ってことはなかったよ、念のため。そんな不誠実なこと、どちらに対しても、俺たちはできないよ」
そんなこと知っている。自分から何もできなかったくせに、いらない嫉妬ばかりして。
「セーレは何でお前でいいんだろうな? デビューしたらそれこそ引く手数多なのはわかってるはずなのに、馬鹿の一つ覚えみたいに、お前との婚約を継続して」
ブリュノがワインを飲みながら俺を睥睨した。それこそ、俺が知りたいことだ。
「・・・何ででしょうか」
「くだらん」
ブリュノが吐き捨てるように言った。え、ひどくない。俺は不満顔でみんなを見たが、うっすらと笑っている。
「そんなことを考えている暇があったら、精進しろ。セーレに見合う男になるようにな。父上はお前を認めているようだが、私は認めていないからな。仕事も昇進するのはセーレのおかげで、お前の実力じゃないからな」
ブリュノは言うと、飲み干したワイングラスをテーブルに置いた。
「だが、全く見込みのないやつを抜擢するほど愚かな王ではない。つまり、あー、それはその、・・・よく頑張ったとは思うが」
俺は思わず目を見開いた。ブリュノが認めていないと言いながら、少しだけ認めてくれた。苦虫を噛み潰したような顔だけど。
「・・・それは・・・ありがとうございます?」
俺がお礼をいうのすらビクついているのを感じたブリュノは、俺を呆れた目で見たが、首を横に振って、ため息をついた。
「せいぜい頑張るんだな。来年からはもっと大変だがな。セーレがモテすぎてな!」
捨て台詞をはいて、ブリュノはシガールームを出て行った。
「俺、褒められた?」
俺がぼんやりと言うと、三人はくすくすと笑った。
「なんだかんだ、ブリュノ殿はセレスティーヌに甘いからなぁ。小さい頃から変わらぬ気持ちっていうのは、眩しいね」
クロードが言い、残りの二人がうなずいた。
俺は半信半疑だったが、それでも悪い気分ではなかった。でも、セレスティーヌが社交界デビューしたら大変なのは本当だ。婚約破棄はもちろんしないのが前提だが、することだってある。俺が大失態をやらかしたり、セーレに他にもっと地位も性格も財産も全てが俺より上のいい人が現れて、好きになってしまったら。公爵家から言われれば、うちだって受け入れるしかない。俺の浮かない顔に、クロードが笑った。
「気にするなよ。あれでも気に入ってるのさ、お前のこと。それに、俺は嬉しいよ。お前、初めてドレスに文句を言わなかったそうじゃないか? あのドレープを気に入ってくれて嬉しいよ。まぁ、おおかた、毎回セレスティーヌに見とれて言えないだけだったと思うが。文句のつけ方がいちいちマニアックなんだよ。あれだけ覚えてて文句を言えるって、相当のセレスティーヌ・マニアだ」
クロードは言いながら、笑ってシガールームを出て行った。俺は憤慨した。
セレスティーヌ・マニアだと? 俺が? そんなことはわかってる・・・!
「・・・ワイン、飲むか?」
アンドレが俺の肩を軽く叩き、新しいグラスとボトルを差し出してきた。俺は促されるままにグラスを手に取ると、ワインを飲んだ。
アア、オイシイナァ
そして今日もうんざりする舞踏会が進むのだった。