64 うたた寝の間に 1 予定通りの訪問
ルイ視点の番外編。
セーレがルイを誘った、ドゴール伯爵夫人のお茶会の前、ルイの訪問の話です。
4話予定です。
「ルイ様!」
トレ=ビュルガー家の執事、シドニーがドアを開けて驚きの声をあげた。
俺がこの家に連れてこられた時から初めてなんじゃないだろうか。俺こそ驚いて、思わず従者のアダムに振り向いてしまったくらいだった。
シドニーはすぐに姿勢を正し、いつものように恭しく頭を下げると、俺を屋敷に迎え入れた。
「申し訳ありません、若旦那様だと思いまして」
若旦那、つまり、ブリュノの事だ。俺は首を傾げた。
「今日来ると伝えてあったはずだが」
「はい、ごもっともです。いらっしゃるのは午後遅くだと伺っておりましたものですから、まさか幻覚かと思いまして。申し訳ありません」
「いや、こちらこそ申し訳ない。朝、夜勤が終わって、そのまま来たんだ。一応、使いを出したんだがな・・・」
「あぁ、それでしたら、行き違いになっているのかもしれません。私としたことが、失礼いたしました。お忙しいところ、ルイ様にいらしていただけて、お嬢様もお喜びになると思います」
「だといいが」
「もちろんでございます。ただいま、居間にご案内いたします」
シドニーがまた頭を下げ、先に歩く。俺はアダムに離れるように指示を出すと、そのあとをついていった。
できるだけ普通に、何でもないふうに、と自分に言い聞かせながら、俺は前を歩くシドニーに声をかけた。
「セーレはどうしてる?」
「セレスティーヌ様は音楽室でピアノを弾いておられます」
「ああ、明日、侯爵のところへ弾きに行くと言っていたな」
セレスティーヌは、自身の姉であるバルバラに会いに、サンティニ侯爵家へ遊びに行くはずだ。ソメール一家は音楽好きだから、みんなで演奏会などして楽しむのだろう。
「はい、ルイ様にもきいていただきたいと練習しております」
「そうか。セーレは上手いから、聴くのが楽しみだな」
「・・・それはお嬢様もお喜びになるでしょう」
俺はシドニーの返事を聞きながら、心の奥でホッと安堵のため息をついた。
俺が素直にセレスティーヌの様子を聞けば、執事もメイド達も何事もなく答えてくれるのは、ありがたいことだった。
以前は、意地を張って、まるで関心がないかのようにしていたけど、その時だって彼らはできるだけ話してくれた。それが逆に、お見通しのようで、俺は聞きたくもないようなふりをして、仕方なく来ているように振る舞った。でもきっと、それも彼らにはわかっていたに違いない。使用人達を騙そうなんて、浅はかな試みだ。しかも、幼い頃からセレスティーヌしか見ていなかったような俺が。
だが、素直になればこんなに楽なのだ。まだ慣れないけれど、無駄にした十年分、しっかりと取り返さなくてはならない。
「こちらでお待ちください。ただいまお嬢様をお呼びいたしますので」
シドニーの言葉に、俺はふと足を止めた。
「・・・よければ、このまま音楽室へ案内してもらえないだろうか?」
すると、シドニーは、今度はいつもの通り顔に何も出さず、俺に振り返った。
「お嬢様に会いに、音楽室へ直接いらっしゃるということでしょうか?」
「ああ、・・・あ、いや、やめておこう。セーレが困るかもしれないから」
俺が慌てて付け加えると、シドニーはうっすらと笑みを浮かべた。
「おそらく大丈夫でしょう。セレスティーヌ様の練習中は、ジネット様や旦那様、奥様も顔を出しておいでですから」
「そうかもしれないが・・・俺は家族ではないし、セーレは嫌がるかもしれない」
「何をおっしゃいますか。ルイ様は、旦那様ご一家にとって、家族同然でございます。私どももそのように対応しろと旦那様から仰せつかっております故、今のようなことをおっしゃられては、私どもの面目が立ちません。音楽室へご案内いたします」
きっぱりと言い切られ、俺は面食らいながらも、さっさと方向転換をして先を急ぐシドニーのあとを、慌てて追いかけた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
トレ=ビュルガー家の音楽室は二つあり、ちょっとした舞台のある広めの部屋と、小規模な演奏会ができる程度の小さめの部屋がある。とはいえ、どちらにもグランドピアノがあり、室内の装飾も美しく、小さめの部屋でも、俺の家の一つしかない音楽室より、ずっと立派だ。
セレスティーヌに連れられて音楽室に初めて入った時、その気軽さと華麗さに圧倒されたものだった。これと同じものを用意せねば、セレスティーヌを手に入れられないのではないかと、絶望しかけたくらいには。
「セーレが元気になって良かった」
思わず呟いてしまい、俺は口を押さえた。禁句だった。だが、シドニーはただ笑顔になっただけだった。
「ありがとうございます。ルイ様のおかげでございます。次のお茶会は、正式な婚約後では初めてになられますね、お二人でご参加なさるのは」
「そうだっけ?」
「はい。お嬢様も殊の外、楽しみにしてらっしゃいます」
「それなら、・・・嬉しいことだ」
俺が言ったところで、シドニーは、しぃ、と唇の前に指を立てて合図した。意外とお茶目だ、この執事。
「では」
「ちょっと待ってくれ、シドニー。ここまで来たからには、俺が直接入っていっても構わないだろうか?」
小さい方の音楽室のドアをノックしようとしたシドニーに、俺は声をかけた。シドニーは手を止め、恭しく頭を下げてから身を引いた。
「もちろんでございます。ええ、ご家族としてのお振る舞いでございますね」
シドニーの言葉にも態度にも、からかうような雰囲気は一切ない。だが、面白がっているような、期待しているような、そんな気持ちで、シドニーが俺を見ているような気がしてならない。もしかして、俺のこの言動までも、シドニーの誘導かもしれない。優秀な執事だから、表面には出さないのだろうが、シドニーにとって、俺など手のひらで転がせるおもちゃみたいなものだろう。
「ありがとう、シドニー」
俺はそれだけ言うと、そのままドアを開けた。




