【閑話】麗しの兄上様・後編
セーレの親友、子爵令嬢ドミニク視点
前後編の後編です。
私は思わず口走っていた。
だって、そうよ。
あのルイでも難しそうなのに、そんな簡単に言えるものではないはず。
するとベルナールは少し傷ついた顔をした。
「私ではダメということか。やはり、ショーンがいいんだね」
「え? ショーンだって・・・多分・・・無理ですわ」
私見だけれど、本心を隠したがるショーンに、まともにプロポーズができると思えない。
「そうか・・・ショーンでも無理か・・・」
言うと、ベルーナルは見たこともないほど嬉しそうな顔をした。
「なら私にも望みはあるということだね」
「何でしょう?」
「もちろん、君に私に振り向いてもらって、妻になっていただく望みだよ」
「はぁ・・・?」
ずいぶんと楽しそうに言うベルナールに見とれ、聞き逃しそうになり慌てて聞き返した。
「え? なんでそんな話に?」
「今、聞いただろう。君にプロポーズしてもいいかと」
「で、ですが・・・私にはなんの取り柄も・・・ただの新興貴族で・・・見た目だって、全然・・・」
「何を言うんだい? 少なくとも、うちにはそんなこと気にする人は誰もいないよ。それに、君は充分に魅力的だ、ドミニク嬢・・・ドミニクと呼んでも構わないかい? 私のことも、ベルナール、と」
「は・・・はい・・・」
私はかろうじて頷いた。
ベルナールはどうやら、彼の持つ完璧な良識がぶっ飛んでしまったらしい。頭の切れる人は、逆に判断を間違えるのかしら?
ベルナールは満足そうに頷くと、立ち上がった。
「今日はそれで充分です。それでは、また会いましょう」
ベルナールは行ってしまった。私を置いて。
普通は、一度、会場に戻って、誰かに引き渡したりなんかするものだけど、・・・なるほど、ついでに常識もぶっ飛んでしまったのか。
呆然としていると、堪えきれずに漏らしたような笑い声が聞こえた。
「・・・アンドレ!」
振り向くと、アンドレがお腹を抱えて笑っていた。
私は慌てて立ち上がり、急いでアンドレの元へ向かった。
「酷いわ! 見捨てたわね」
「まさか。ここで見守ってたよ、ちゃんと。人払いまでしたのに」
「人払いですって」
「当たり前だろ。令嬢がわんさか君たちを追ってきたんだぜ。感謝してほしいな」
「頼まれ」
「てはいないよ、俺が独断でやったことだ。むしろ、頼まれたってやらないよ、こんな損な役回り」
アンドレは肩をすくめた。確かに、アンドレは女性と話すのが好きだし、ダンス相手も欠かすことなく、よく踊っている。こんなテラスの入り口で、ぼんやりしているタイプじゃない。人のために人払いなんて、ルイとセレスティーヌのためにだって、やらないかもしれない。
「じゃ、なんで・・・」
「好奇心、かな? おせっかいともいうね」
「・・・おかげで二人きりで話す羽目になったじゃないの。その上、あんな・・・あんな・・・」
私が思い出して赤面していると、アンドレはニヤリと笑った。
「笑って悪かったよ、でもそれは、ショーンの言葉を思い出してしまったからなんだ」
「・・・ショーン?」
嫌な予感がする。
「ショーンには恐れ入ったよ。家を継ぐ兄上が結婚に興味がないのはまずいから、って、案を講じたんだと言っててね。何か大それたお見合いパーティーでも企画したかと思ったけど、それが、ドミニクの話をベルナール殿にするだけ、とはね・・・簡単だが、興味を引くのは確実だ」
「な・・・何それ? ショーンが私の話を?」
私は唖然としてしまった。確かに、ベルナールは何度もそう言っていた。
「そう。時々、俺もその場に居たんだけどね。少しずつ、『そういえばドミニクが』、ってよく話してたんだ、今思うと。そんなに仲が良かったっけ? と思ったけど、君はいい子だからね、可愛らしいエピソードがたくさんある。ベルナール殿はいつも楽しそうに聞いていたよ。そして、ショーンにいい友達ができたなら挨拶しないとな、って言ってたんだけど・・・まさかこんな風に連れ出したり、出会ってその場でこんなに惹かれるなんて、思わなかったよ。ショーンはさすがとしか言いようがない」
アンドレが何度も頷く。意味がわからない。
「惹かれ・・・え、でも、」
「だってプロポーズしていいかって聞かれてたでしょ。ベルナール殿は誰より慎重で、こういうことに嘘なんてつかない方だよ。つまり、君を気に入ったんだ」
「嘘でしょう・・・」
聞いてたの? 信じられない。だいたい私のどこがいいっていうのよ。
アンドレは私の考えを見透かしたように言った。
「”私のどこが?” って思ってる? でも、君はセレスティーヌの大切な友達だ。彼女の一言で、君をいじめたりなんかした令嬢を、すぐにでも追放できちゃうくらい。そしてね、いつも変わらず俺たちとも仲良くしてくれている。自分で言うことじゃないけど、俺やクロードも、知り合いになれただけで、自慢できるような人間なのに。でも君は誰にも自慢しない。それ、すっごく難しいんだよ。権力と立場がものを言う貴族社会ではね」
それは私が自分に自信がなくて、彼らのことを、どこか舞台のスター俳優のように見ているところがあるからだろう。私は家業が興行だったこともあり、ずっと舞台裏からスターたちを見ていたから。彼らが私に夢をくれても、友でいてくれるわけではないと知っていたから。
ふとコゼットが頭をよぎった。
同じ新興貴族として、必死で地位を獲得しようと頑張っているコゼット。彼女が私の立場だったら、セレスティーヌの立場を使って、ふんぞり返って舞踏会に出ていたかもしれない。それはそれで、貴族らしさではある。
でもセレスティーヌはそういうのがとても苦手だし、私もしたいと思わない。まぁ、私の場合、似合わないというのもあるけれど。
「大丈夫。ドミニクは充分、魅力的ないい子だよ。だからベルナール殿の求婚を受けても、その妻の務めをしっかり果たせるよ」
アンドレが励ますように私の肩を叩いた。
「そっか・・・」
安堵したのもつかの間、私はハッと顔を上げた。
「お受けするなんて言ってないわ。それに、・・・あれは戯れよ。お間違えになったのよ。家に帰ったら、我に返って、私のことなんてお忘れになるわ」
「ならないよ。賭けてもいい。少なくとも、一月以内には君にエマール家から招待状が届くだろう。手紙かもしれない。もっと知ってもらってから正式にプロポーズしたいから話をしたい、ってね」
「・・・こないわ、そんな手紙」
「今、ベルナール殿は酷く恥ずかしいと思ってるはずさ。だって君はベルナール殿のことは全く知らないけど、向こうはショーンから聞いて、いろいろ知ってるんだから。今頃は、知らない相手からいきなりプロポーズなんてされて、君がたいそう怒っているだろうって、気に病んでる頃だろう」
私は眉をひそめた。
「なんでそんなこと分かるの」
「俺にも経験があって、ベルナール殿の性格をよく知ってるからさ」
「あなた、何回プロポーズしてるのよ」
私が呆れて言うと、アンドレはすました顔で返事をした。
「少なくともルイよりはしてる」
「ルイは一度もしていないでしょ」
「ま、ね」
私はうんざりしてため息をついた。
すると、気の毒に思ったのか、アンドレが妙な提案をしてきた。
「どうする? ベルナール殿と結婚して、侯爵夫人になるのが嫌だったら、俺と結婚してもいいけど?」
またそういう軽口を・・・
「そうやって簡単に言うから、誰にも信じてもらえないのよ・・・」
「まぁ、それはそうかもしれないけど・・・人助けに結婚したっていいじゃない?」
「あなただって選べる立場ではあるんだから、もう少し考えたほうがいいわ」
「だって、俺にとっては、誰と結婚したって同じだから」
「それは・・・どういう・・・」
セレスティーヌ以外とは、ということ? でも、セレスティーヌとは結婚したくないって言っていたけど・・・立場上、なのかしら。それとも、ルイに気を使って?
その時、自分を呼ぶベルナールの声がした。
「ドミニク?」
まさかと顔を向けると、慌てたようにベルナールが戻ってきていたのだった。
「あぁ、まだここにいてくれたのか。すまない、言いそびれたことがあって・・・、初めて会った私なぞがプロポーズなんて、さぞかし気持ち悪かったろうと反省している。私は君を知っているが、君は私のことは何も知らないんだから。だが、ショーンの方が知っているのはなんとも私にとって不愉快だ。それで、今度ゆっくり・・・アンドレ?」
私の視線が、向かいで笑いをこらえていたアンドレに移ったのがわかったらしい。あからさまにムッとした顔で、ベルナールはアンドレを見た。
「何している?」
「友達と世間話をしていただけですよ。なぁ、ドミニク嬢」
そして、アンドレは私にウィンクをした。
「一ヶ月以内じゃなかったね。当日、口頭だとは驚き」
信じられない。アンドレが言ったことが、全部当たってるなんて。
「これは相当だ。ショーンは兄上のことを熟知してるんだな」
「何が?」
アンドレは恐ろしいことを言っている気がする。
「君が兄上の好みの女性だったってことだ。・・・この上なく」
「嘘でしょ」
私はちらりとベルナールを見た。困ったような怒っているような、不思議な表情だ。
こんなに素敵な人が? 選り取り見取りの侯爵家次期当主が? 私にプロポーズ? いろいろ間違ってるんじゃない?
突然に、頭の中にいろいろな考えがよぎった。
嬉しいけど不安。みんなにいじめられそう。侯爵夫人とか無理。親が狂喜乱舞しそう。
トータル怖い。
・・・でもベルナールは素敵。とっても素敵。
うっとりしかけた時、イラついた顔でベルナールが口を開いた。
「ドミニク、二人きりで少し話したい。向こうへ行こう。アンドレ、彼女を借りても構わないかい?」
「これは失礼いたしました。どうぞ、お構いなく。ただの友人ですから。グッドラック、ドミニク嬢。俺は君の幸せを願ってるよ」
アンドレが史上最高に爽やかな笑顔で私の背中を押した。ベルナールは私の腕をとると、半ば強引に進んでいく。
「え? アンドレ、嘘でしょ! でも、あの、ちょ、お待ちください、ベルナール様」
しばらく歩く間、私は何度かベルナール様と呼びかけ、ベルナールは黙っていた。
「・・・私は様付けか・・・」
アンドレの姿が見えなくなった時、ベルナールは何かをつぶやいたが、私には聞こえなかった。
「何かおっしゃいまして?」
「いいや、何も」
急にくるりと振り向いたベルナールは、勢いづいて止まらなかった私をその腕の中にすっぽりと収めた。きゅっと優しく抱きとめてくれる腕の中は心地よく、私は一瞬で頭がパンクしそうになった。
顔を上げれば、ベルナールの麗しい顔が目の前で私に微笑んでいる。眩しい。
「あの・・・もう大丈夫ですわ。お放しくださって結構です」
「ダメ」
え・・・困ったわ。嫌がらせ? これではときめきすぎて死んでしまう。私が憧れてきたどんな舞台俳優より素敵だ。
「何でしょうか、私、怒らせてしまいましたか?」
「まさか・・・それで、私はいつ、君にプロポーズしていいのかな?」
さっき、『何も知らないあなたにプロポーズしようとするなんてさぞかし気持ち悪かったろう』みたいなこと言ったの、誰? 絶対、すぐに気が変わるんだから。私なんて何の取り柄もないし、姉や妹のほうがいいに決まってる。
でもショーンはこれで自分の能力を証明してみせた。
私を引き合わせても大丈夫だって、私もベルナールに惹かれるだろうって、わかっていたのだ。
最後を修正しました。20210503




