59 あなたでなければ意味がない
「あのね、ルイ。言っておきますけど、違いますからね。子爵夫人がいいって言ったのはルイが子爵を継ぐからだし、自分の肩書きを使うのが嫌なのは、それでわがままに思われたくないからよ。私はもともと、お相手の爵位なんてどうでもいいのだから」
私の言葉に、ルイは目を瞬かせた。
「”どうでもいい”?」
「王族だろうが庶民だろうが、気にするつもりはないの。どちらにしろ、お父様が選んでくださるだろうから、私はそれを信じて従うだけだもの」
すると、ルイは考え深げに、顎に手を当てた。
「ヴァレリー公爵のおっしゃる通りに、か。それで、公爵が俺を選んだと?」
「ああ、それは違うわ。私が選んだのよ」
「セーレが? 俺を?」
しまった。私が思わず口に手を当てると、ルイは不思議そうな顔をした。こんなことを言ったら、ルイは気を悪くするんじゃないかしら?
「・・・多分。私がルイがいいと言ったの。私が選んだのはルイだけなの。じゃなかったら、お父様は勝手に仮婚約なんてしないもの」
私が言うと、ルイは衝撃を受けたように私をまじまじと見つめた。
「なんだ、そうか。そうだな・・・親同士の気まぐれではなく、・・・俺は”セーレのルイ”だったんだ、最初から。俺が望んだから選んでもらったわけでもなく」
ルイが呟いたそのフレーズを聞いて、私はエヴァがいつも言っていたことを思い出した。
『そうよ、ルイはルイ。いつもいつでもセーレのルイよ』
私は改めてルイを見つめた。
端正な顔立ちに、うっとりするほど輝く金色の髪、深みのある紺碧の瞳。
いつも真面目で、曲がった事が嫌いで、一生懸命で、笑顔がとびきり素敵で。
でも、そこまで自信がなくて、甘えん坊で、時々、すごく怒る。
どこがいいのか、今更わからないけど、ルイがつまらなそうにしていても、イライラしていても、嫌いになったことがなかった。
ルイが子爵嫡男だなんて知らなくて、自分が公爵令嬢である意味がわからなくて。そんな小さな頃の、他愛ない”お気に入り”が、こんなに影響するなんて思わなくて。それでもルイは、ずっと私のお気に入りだった。
嫌われていても、笑いかけてくれなくても、怒らせても、ただ縁があるならそれでいいと思っていたのだ。
それがどんなにルイの負担になっても。
ルイの眼差しは、いつも優しかったから。
私が大切にしていることを、ルイも大切にしてくれたから。
いつもいつでも。いつまで経っても。私はルイがいいのだ。困ったことに。
「それなのに俺は、今だって、こんなにも自信がなくて・・・」
言葉を詰まらせるルイは、困ったようで、随分と情けない様子だった。そんな顔をさせたいわけではないのに。
「俺は・・・俺こそ、セーレの虫除けだと思ってたんだよ。ずっと、ずーっと。それなのに、諦めきれなかっただけなんだ。そもそも、俺が悪いんだから、それは当然だと思ってた」
ルイが頭の中をまとめるように、ゆっくりと話していた。
「セーレは会うたびに綺麗になって、俺なんて釣り合わなかったし、だから釣り合うように、鍛錬も社交も頑張った。でも、お前はいつも公爵令嬢らしく、変わらなくて、立派で・・・もう、俺のことなど関心がないと思ってたんだ。不安で、関心を引きたくて、いろいろ、・・・婚約破棄したいだのドレスが似合わないだのと言ってしまって、・・・ずっと後悔していた」
えーと、ちょっと待って。
それじゃ、ルイは私がいつか、断るかもしれないと思っていたの?
その上で、ルイが頑張ってきたのは、私のためだということ?
私との結婚で何かを成し遂げるためじゃなく、私の?
私の関心を引きたいって、ルイはずっと思ってたの?
私はどうしたらいいかわからず、うつむいて、指先をいじりながら、もじもじとした。
一体いつから?
でもきっと、私よりも前からじゃないはずだ。
「あの・・・私・・・私はね、いつでも誰にでも嫁げるように教育されてきたから、結婚相手なんて誰でも大丈夫のはずでしょ。だけど、私、あの時、ルイでなくてはいやだって言ってしまったの。だから、・・・ルイを選んだのだから、それ相応に婚約者らしく努力なさいって、家庭教師の先生に言われて、ずっと、そのために淑女教育を受けてきたわ」
ちらりと目を上げると、ルイは息を詰めて私の言葉を待っていた。
ダメだ、見られない。私は下を向いて目をつぶった。
「今までずっと・・・ルイのためなの。ルイは自分で言ってたみたいに、意地悪だったけど、いつも見ててくれたし、相手もしてくれたし、本当は優しいことを知ってるし、同情されたくなくて、私のことを嫌いでもそばにいたくて・・・でも振り向いて欲しくて、・・・だから、・・・その・・・ルイ以外の誰かがいいって思ったことがないのよ。ルイ以外なら誰でも同じだし、・・・ルイじゃなきゃ意味がないんだもの」
言ってしまった・・・
これ、絶対引くよね? 引くよね・・・
「それは、今でも変わらない?」
ルイの穏やかな言葉に顔を上げれば、ルイが真剣な顔で私を見ていた。
「本当に、今でも、俺でいいのか?」
初めて聞いた割には、驚いてはいるけれど、引いてはいないみたい。私は少しほっとして、でもちょっと意地になって、憎まれ口を叩いた。
「そうよ。私はずっとルイがいいんだし、今でも変わらないのは、当然でしょう」
「当然か?」
「当然よ。それにね、これは勝負なのよ。ルイが私に言ったのよ、似合うドレスなんてないって。でもこないだ、言ってくれたでしょう、どんなドレスも似合うって。だからもう少しだと思うの、私のこと、前より、すこーしだけ、綺麗だと思わない? もうちょっと頑張れば、ルイ好みになれる?」
私が尋ねると、ルイは頭を抱えた。
「ちょっと整理させてくれ。もう充分、俺好みだよ・・・だから、これ以上綺麗になる必要なんてない」
「まぁ」
一体いつからの話かしら?
私が目を丸くすると、ルイは真面目な顔で跪き、私の手を取った。
「婚約破棄したいなんて思わないし、言わない。絶対に」
どこかで聞いたことのあるフレーズを、ルイが言うのを私は一瞬、黙って聞いた。
続いて、ルイは懺悔するように私の手の甲に自分の額をつけた。
「ああ、二度と言わない。不甲斐ない俺だが、信じて欲しい」
信じて欲しいだなんて。私がルイを信じなかったことなんて、一度だってないのに。
「・・・信じるわ」




