【閑話】ジョージ・ビアンキの再就職・前編
ジョージ・ビアンキ、フローランの弟くん視点:前編
セレスティーヌが元気になって、家に帰るところです。
『君は騎士団をやめることになると思う。そうなったら、私の家で働かないか』
ルイ様はそう言って、僕を雇ってくださった。
ご自身の大切な婚約者であるセレスティーヌ様を、禁じられた媚薬で誘惑し、奪い取ろうとした犯人の弟なのに。
☆☆☆
「まぁ」
目の前で、美しい令嬢が目を丸くして僕を見ていた。
「まぁ、まぁ! ビアンキさん? ジョージ・ビアンキさんでしょう? こんなところで何をしてらっしゃるの?」
逃げ出しそうになるのをかろうじて堪えた。
「セレスティーヌ様・・・」
手の力が抜けそうになり、手に持っていた荷物を降ろした。
庭師の手伝いで、花を活ける壺を動かしていたところだった。壺を落としてしまったら粉々になってしまう。弁償ものだ。
それ以前に、この無垢で高貴なご令嬢に怪我をさせるわけにはいかない。
「見習い近衛騎士のお仕事は? おやすみなの?」
以前と変わらない笑顔が眩しかった。手が震えそうになるのを抑え、僕は笑顔を作った。
「いいえ、お嬢様。僕は騎士団は辞めたんです。それで、ルイ様に拾っていただいて、フットマンとしてこちらに再就職いたしました」
「そうでしたの・・・」
ひどく心配そうに、セレスティーヌ様は僕に視線を向けた。本当に何も覚えていないんだ。ルイ様から直接聞いてはいたけれど、実際に遭遇すると、あの時のセレスティーヌ様は薬で操られていたことがわかる。
一見、兄に夢中になっているかのような目、でも輝きが失われた、曇った瞳・・・何が何だかわからなくて、急いでルイ様に報告に行った。
仕事中のルイ様を見に来た時の、ルイ様への信頼と愛情に溢れた瞳に憧れていた僕には、どうしても信じられなかったのだ。あの華やかさと好奇心はルイ様がいてこそだと思っていたから。
兄と一緒にいたセレスティーヌ様は空に見えたから。
直感的にすぐに報告に上がれて良かったと、僕はしみじみ思った。
その人らしさを失わせることはあってはならない。誰であっても。何が目的でも。
「全く存じ上げませんでしたわ。いつから?」
「数週間ほどでしょうか」
「それじゃ、私が寝込んでいる間ね。それなら、私が知らなくても仕方ないのかもしれないわ・・・でも私、ずっとこちらに泊まっていたのよ。もう帰るところなの。私が知り合いだって知っているのに、ルイったら何も言ってくれないなんて・・・」
「ルイ様は僕の意向をくんでくださっただけなので、・・・」
「そうなの?」
「はい。お恥ずかしい話、実は、家の仕事がうまくいかなくなりまして・・・親の手伝いをしながら、仕事をして送金をしなくてはならないのです」
「まぁ。大変なのね。ご両親は大丈夫? お体は? 私も何か、お手伝いできることはあって?」
僕はブンブンと音がしそうなくらい、首を横に振った。覚えていないとはいえ、被害者が加害者の援助をするなんて、聞いたことがない。自業自得なのだから。
「お気持ちだけで充分です。時間も比較的融通が利きますし、副業もできますから、結構稼げるんですよ」
「ならいいけれど・・・確か、お兄さんがいらしたわよね? お元気?」
「・・・ええ」
心臓が縮みあがりそうになった。辛うじて表情を変えずに頷けただけで御の字だ。セレスティーヌ様は無邪気に笑顔を向けてきた。
「そう。あまり覚えていないのだけど、いつだったか、お会いしたように思うわ。あなたはご一緒じゃなかったように思うけど、あっているかしら?」
「そうですね。僕は・・・記憶にありませんから」
「そうなのね。わかったわ。お兄さんも騎士でしたわね。それじゃ、別のお仕事を?」
「はい。もう勤めてはおりません。きっと、・・・会うこともないでしょう」
「まぁ。それは残念ね。随分と遠くへ行ってしまったの?」
「はい」
「寂しくはない?」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
僕が笑顔を作ると、セレスティーヌ様はさらに心配そうに、僕の顔を覗き込んだ。
「でも、仕方ないこととはいえ・・・今まで騎士の仕事をしていたのに、・・・仕事を変えるなんて、嫌ではないの?」
「いいえ。未練はありません。こちらで雇っていただけて、本当に嬉しく思っております」
僕はきっぱりと言った。
兄が思い詰めてあんなことをしてしまった背景には、僕にも責任がある。
盲目的に兄をただ尊敬していないで、僕がもっと向き合っていたら。
僕が見習いになったことに劣等感を持っていたなんて気付けなかった。
見習いではなく、他配属から近衛騎士に入る人の方が多い。経験を積んできた方が良い場合があると、団長も言っていた。
だから僕は、兄が入るという見込みで、その補佐ができるようにと入れられたようなものだと思っていた。実際はわからない。でも、ルイ様と手合わせをした模擬試験の時、兄は認められていたのだから。推薦すらもらっていたのに。
セレスティーヌ様はホッとしたように柔らかい笑顔になった。
「ルイのこと、とても尊敬してらしたものね。ルイの元で働けるのなら、楽しいのかしら?」
「そうですね。ルイ様のことはこれまで以上に尊敬しております」
「本当にルイって、すごい人誑しね・・・」
呆れたように言ったセレスティーヌ様がおかしくて、僕はおもわず笑ってしまった。慌てて顔を戻すと、セレスティーヌ様はうふふと可愛らしく笑った。
「そんなにかしこまらないでくださいな。ずっと緊張した顔だったから、私も緊張してしまったわ。もともとお知り合いなんですもの、普通にお話ししていただけたら嬉しいわ」
「め、滅相もございません! 私などがお話しできる立場ではないのですから・・・」
彼女たちが見学に来た時だって、初めて見た公爵家の令嬢たちの高貴さと美しさに、具合が悪くなるほど緊張した。今だって、それは変わらない。
その上、僕は犯罪者の弟で、彼女は当事者だ。何がきっかけで思い出すかもしれない。そうすると、薬で歪めた認知が脳で混在し、錯乱することもあるという。僕はそんな危険を犯したくない。
「でも、ルイとは普通に話すのでしょう? だったら私ともお話ししてくださらなくちゃ。だって私、いつかはここに住むんだもの。それまではきっと、ビアンキさんもいらっしゃるのでしょ?」
「・・・それは・・・」
そうだった。
僕は雷に打たれたかのように動けなくなった。ルイ様だってわかっているはずなのに。
あれだけ心を砕いて看病していたのに、僕と遭遇するような危険を犯すなんて、らしくない。
あの時。
僕の心は、事件の終わりの日、そしてこの顛末の始まりの日に、嫌が応にも戻された。




