56 夢の終わり
私が少し目をそらしながら言うと、ルイは首を傾げた。
「俺が?」
「え? ええ・・・だから、ルイは忙しくてずっと会えなくて、お茶会だって来てもらえなかったし、ユニス様には文句を言われるし、ルイがお二人みたいに褒めてくれればいいのにって、思ってたから、・・・」
考えてみれば変な話だ。私ったらどれだけルイに固執してるんだろう。
でも仕方ない。私はルイに褒められるようにもう何年も努力してきたのだし、ルイが褒めてくれなければ意味がないと思うようになってしまったんだから。
「・・・俺に会えなかったから?」
「そうよ」
「寂しかった?」
「そうではありませんけど」
私がそっぽを向いたまま言うと、ルイはベッドに手をついて、私の顔を覗き込んだ。
「俺は遠征の間、つまらなくて寂しかったよ、正直言うと。からかいがいのあるセーレに会えないんだから」
「まぁ」
私は多少憤慨したけれど、ルイがあまりにも優しい顔で見てくるので、すっかり気持ちがわからなくなってしまった。
怒っているのか嬉しいのか。・・・寂しいのか。
「戻ってきたら、セーレは長いこと寝込んでしまったしね」
ルイが言う。そこで私はハッとした。
「私、どのくらい寝ていたの?」
「一週間・・・いや、二週間、かな」
「そんなに?」
そんなに寝てしまったのなら、社交界デビューのドレスはいつ作れるんだろう?
「長い夢を見ていたろう? ・・・寂しくはないか?」
「夢・・・?」
私は首を傾げた。
でも、なんとなく覚えているような。少しだけ、誰かのことを思うと心が温かくなって、優しい気持ちになって、とっても寂しくて切なくなった。・・・気がする。
でもきっと、ルイがいなくなった方が寂しいと思う。そのはずだ。だって私はこんなに、ルイがそばにいてくれて嬉しいのだから。こんな気持ちは、ルイ以外には、誰にも持てない。きっと、誰にも。
でも、曖昧模糊としていて、形にはならなかった。
私は頭を横に振った。
「見たとしても、それは夢だから寂しいのよ。それより、ドレスは? どうなったか知ってる?」
「へ?」
「デビューのドレスよ。聞いてはいない? 作りに来てもらう日、過ぎてしまったんだと思うの」
私が意気込んで聞くと、ルイは頭をかいた。
「あー、・・・それは公爵様にまた決めていただこう。元気になったらすぐに来てもらえるように」
「やっぱり・・・」
しょんぼりした私を見て、ルイは慌てたように私の頭を撫でた。
「セーレ、・・・そう落ち込むな。時間はあるだろ?」
困ったように私の様子を伺うルイに、私は思わずクスリと笑った。
小さい頃に戻ったみたい。まだ出会った頃のルイ。私のことを、ただ小さい女の子として可愛がってくれたルイだ。私が公爵令嬢だとか、ルイが子爵令息だとか、そんなこと考えないで、ただ私がルイを好きだった時みたいに。
・・・戻りたかったのかな、ルイは。婚約者なんて肩書きのない、ただ楽しかった頃に。
だから、婚約破棄するなんて、言っていたのかしら。
思い起こせば、婚約するという話になってから、私は、家庭教師に教わった”婚約者らしさ”を身につけなきゃと張り切りすぎたのかもしれない。ルイは年上だし、当初は私など子供でしかなかったはずだ。私よりもずっと世界は広くて、きっと素敵な令嬢ばかりに出会うだろうから、ルイに釣り合うように早く大人にならなければと思っていた。せめて、淑女らしさを身につけなければ、ルイは早々に嫌になってしまうだろうと思って、会えない時間もそのことばかり考えていて。
「落ち込んでなんてないわ。がっかりしただけ。お父様とジネット姉様の予定を合わせるの、とても大変なんだもの。もしかしたら、一緒に選んでいただけないかもしれないし・・・」
頑張りすぎたのかもしれない。だからルイはあの時、『お前はそのままでいい』なんて言ったのかしら?
「なんだ。元気そうで安心したよ」
ルイは言うと、さもおかしそうに笑った。
「今の話を、君の父上と姉上にしたら、きっと喜ぶだろう・・・ヴァレリー公爵はいいけど、ジネットには言いたくないな・・・でも、言って欲しい?」
最後、ルイがからかうように、いたずらっぽく笑った。私はまた昔を思い出して、胸がくすぐったくなった。
出会って、遊ぶ約束をしていただけの頃、私はただルイが好きで、ルイに会いたくて、手紙が嬉しくて、何が書いてあっても全部宝物だった。
そんな気持ち、ずっと忘れてた。なんで忘れていられたのかしら。でも急に、思い出されてしまった。その代わり最近のことがぼんやりしてしまっているのは、寝てばかりいたからかしら。
「甘えてるみたいで恥ずかしいから、誰にも言わなくていいわ。秘密にしておいて」
「いいね。秘密か」
ルイはクスリと笑い、私の顎に自分の手を添えた。ルイの綺麗な顔が近づいてくる。唇が重なりそうになった時、私は初めてびくりとした。その瞬間、私のおでこに柔らかい感触がした。
「・・・病み上がりだった」
ルイが顔を押さえ、耳を真っ赤にして顔を背けた。
「俺が抑えられなくなったら、本末転倒だ」
「何って? ・・・ルイって時々、意味のわからないことを言うのね」
おでこの感触に、胸が少しキリリと痛む。なんだか切なくて、とても切なくて、・・・夢の中で、私は誰かを思うと、とても切ないのだ。でも、その後がどうしても思い出せない。
・・・その後はどうしたんだっけ? とっても切ない気持ちになって、どうしたんだっけ。
そして、それが何なのか、忘れてしまった。きっとそれが夢ということなのだろう。意味のない、ただの夢。
私は不機嫌を装って、ベッドに潜り込んだ。
「どうした?」
ルイの手が、柔らかく私の頭を撫でた。
「・・・気分は悪くなっていないか?」
「大丈夫」
答えながら、何を言うの、と私は笑いたくなった。ルイの手は優しくて、むしろ心底とろけてしまいそうに気持ちがいい。悔しいことに。
「長いこと寝ていたから、きっと疲れているだろう。医者は熱は下がったと言っていたが、また上がるかもしれないな。無理をするなよ」
私はもぞもぞと動いて、言ったルイに視線を向けた。
「ありがとう、ルイ。私、・・・少しお腹が空いたわ」
「それなら、体に優しいスープでも作ってもらおう。もうすぐ医者がくるだろうから、それまで、また少し眠るといい」
「そうね・・・私、とっても疲れてしまってるみたい。いつ元気になれるかしら」
「焦らなくていい」
「待っててくれるの?」
「いつまででも待つさ・・・セーレがどこに行っても、ここに帰ってこられるように」
ルイのくぐもった声に、私は首を傾げた。
「どこへも行かないわよ? 行ったことがあって?」
「・・・ああ、夢の中でね」
言うと、ルイはちょっとだけ寂しそうに笑った。
夢の中、だとしたら、私はバラ園の中にいた。何かを、誰かを探して彷徨って。
「なら、私はルイを探していたのかしら」
「俺を探して?」
「夢の中で、バラ園の中をずっと、歩いていた気がするわ。とても優しい香りがして、でも、ルイがいなかったから、・・・探したの」
「・・・本当にそんな夢を?」
「ええ、多分。だって、寂しいのなら、ルイがいないからだと」
言いかけて、ハッと口を噤んだ。
からかわれると思ったが、ルイは目をパチクリとさせ、私をじっと見ていただけだった。そして、ふと穏やかに笑った。
「探す必要はない。・・・いつだって俺はここにいる」
「そうね、ルイはここにいるわね」
ルイの笑顔に、私は安心して目を閉じた。
少しだけ、ぽっかり胸に穴が空いた気がしていた。ルイのことを忘れそうなほど、大きな穴だ。でもその穴は、ルイを愛しいと思う気持ちと、ルイとの思い出で、埋め尽くされようとしている。
よかった。ルイを忘れるなんて、怖くてできない。でも、この穴には何が入っていたのか、どうしても思い出せない。少しだけ、思い出せたらいいのにと思いながら、でも、思い出したくないなと思いながら。
そんなこと、ルイに悪い気がして、言えなかった。でもきっと、ルイはわかっていたんだと思う。
「・・・おやすみ」
ルイが甘い声で囁く頃には、私は夢も見ない深い眠りに落ちていた。
ルイがいると安心する。だから、もう見ることのない夢は、思い出さなくていい。
愛おしい夢。
花の香りが誘う、愛しい人の夢。
多分きっとそれは、ルイのことだから。
香りの媚薬事件編、終了です。
次章は再び家に戻ります。
感想や評価、ブクマなど、ありがとうございます。
大変励みになっています。
書いていて割合にしんどかった章でしたが、ようやく終わりました。
基本的に二人にはイチャイチャしてて欲しいです。
なので次の章は甘めで仕上げたいと思っています。




