55 安心する場所
目を覚ますと、目の前にルイがいた。
「・・・ルイ?」
ルイがハッと息を飲むのがわかった。
「・・・セーレ? 俺が分かるのか?」
「ルイでしょう?」
私が言いながら首を傾げた場所は、ベッドの上だった。デジャヴを感じたが、それも一瞬だった。
夢を見ていた気がするけれど、あれはドゴール花園のバラ園なのかしら、それとも、お茶会で行ったどこかの庭園だったのかしら・・・でも花園には行ったことがないはずだから・・・
「自分のことは? 名前は?」
尋ねられて、私は我に返った。
「私の? セレスティーヌ。・・・セレスティーヌ・トレ=ビュルガー。ヴァレリー公爵家の三女で、四番目で、弟が一人いる」
私が笑いながら言うと、ルイは安堵したように頬を緩ませ、再び尋ねてきた。
「俺の、名前は?」
「えーと、・・・ルイ=アントワーヌ=レオン・ウェベール、トゥールムーシュ子爵家の長男で、後継で、・・・私の、婚約者」
最後の言葉を言うのにドキドキした。
何気なく言ったけど、大丈夫よね? 私、ルイの婚約者で合ってるよね?
ホッとしたことに、ルイは不機嫌になったり、笑い出したりしなかった。それどころか、私と同じようにホッとした顔をして、ベッドにうつ伏せた。そのまま、もごもごと聞こえない声で何か言っている。
私はルイの金色に踊る髪を見ながら、嬉しくなって自然と笑みがこぼれた。
帰ってきたんだ・・・
深い意味はなくても、私はそう思っていた。ルイがここにいる。ルイのいるところに、私は帰ってきたんだ。
何気なく手を伸ばし、ルイの頭をそっと触ると、ルイがパッと顔を上げた。
「俺が嫌じゃないのか?」
「どうして嫌になるの? ・・・ルイの髪はいつでも綺麗だわ」
私が手を伸ばすと、ルイはその手に自分の手を重ね、自分の頬に寄せた。いつもツルツルの肌が、少し荒れている。私がルイの頬を少し撫でると、ルイはうっとりした表情で私を見つめた。
「セーレ・・・俺の」
「お、お嬢さまぁぁぁぁあ!」
驚いたことにアガットが駆け寄ってきて、涙でぐしゃぐしゃの顔で私の顔を確認した。
「お、お、お嬢様、ようございました、本当に・・・! 私たち一同、本当に反省し、心配しておりました! ああ、無事に目が覚めて本当に良かったです!」
私が驚いていると、アガットは自分の顔を覆って泣き出した。
「私、・・・そんなに悪かったの?」
「い・・・いいえ、そうではありませんわ、セレスティーヌ様。どんなに軽い症状でも、寝込んでしまわれては、誰しも心配になるというものです」
アガットは言いながら、困ったようにルイをちらりと見た。
「・・・医者を頼むよ」
ルイが言うと、アガットは慌てて頷き、私の頭をそっと撫でると、涙を拭きながら寝室を出て行った。
部屋に静寂が戻ると、私は急にここがどこか気になった。
目が覚めたらルイがいるって、どういうこと?
「ここは・・・どこ? 私の部屋ではないわよね?」
「俺の家だよ」
「ルイの?」
言われて、改めて見直すと、なんとなく見覚えのある部屋だった。以前も泊まったことのある客室だろう。
「私、・・・遊びに来て熱を出したの?」
「・・・まぁ、そんなところだ。公爵様には許可をもらっているから、心配しなくていい」
「そうなの。それはお世話になってしまって、申し訳ないわ」
私が言うと、ルイは首を横に振った。
「いや。俺のわがままだから」
「わがまま? ルイは仕事中じゃないの?」
「休暇中だ」
「休暇?」
「第二王子の視察に付き合って、遠征に行ったんだ」
「それは・・・えーっと、・・・おかえりなさい」
私が言うと、ルイは軽く微笑んで、私のこめかみに優しくキスを落とした。
え? な? 何してるの? そんなことする人だった?
唖然とした私の頬を撫でると、ルイはぼそりと呟いた。
「・・・旅行に行けなくなってしまったな」
突然の言葉に、私は首を傾げた。
「旅行? 何、それ?」
「うちの領地を回ろうって、言ってただろう」
「領地? そんな話、・・・した? 私ではないのでは?」
「いいや、セーレだよ。だいたい、お前以外と誰と行けって言うんだ」
「えーっと・・・アンドレ? ショーン?」
「別に行ってもいいけどな」
ルイは残念そうに笑った。
「覚えていないのか」
「・・・ごめんなさい」
「いや。俺こそ、すまなかった。たいした約束じゃなかった。それだけのことだ。セーレが元気になったら、改めて話そう。・・・それなら、それよりもっと前か・・・他に、俺のことで、何か覚えてるか?」
「他に?」
私は目を瞬かせた。
ルイのこと? 何かあったかしら? ルイのこと、ルイのこと。
「・・・近衛騎士になって、お忙しくしてたわね? お仕事の姿を見に行ってから後、会えなくて、・・・手紙が来たんだわ。私に会いたいって書いてあった」
「はぁ? そんな手紙出してないぞ?」
ルイがどこから声を出したのか、変な声を上げた。
「え、だって、・・・ううん、なんでもない。それじゃ、別に会いたかったわけじゃないの?」
「いや? いやいや、何でそうなるの? 俺は・・・、セーレに会いたいよ、いつだって」
「そう? でも、もうあの若草色のドレスには興味がなくなったんでしょう?」
「セーレのドレス? 何を着たって似合うのだから、何だって構わないが?」
忙しなく、私の言葉に被せるように言うルイに、私は首を傾げた。
随分と普通だ。正式に婚約するまでは仏頂面で、いくらも話してくれなくて、いつもどうしていいかわからなかったのに。
・・・でもこんな風に、話してくれるようになった。婚約後、いつの間にか距離は縮まっていたんだ。ちょっと嬉しい。ううん。ちょっとどころか、すごく嬉しい。
だって、何を着ても似合わないと言ってた人が、何を着ても似合うとお世辞を言えるようになったんだから。いったいどういう変化があったのかはわからないけど。
「・・・じゃ、ドレスが気に入らなかったわけじゃないのね。紛らわしいわ。おかげで、ドレスの消費をしなきゃいけないと思って、お茶会に行ってしまったじゃない」
「何だそれは」
「あの若草色のドレスより、自分が作った紺碧色のドレスの方が、そりゃ、着て欲しいだろうと思って。でも私、若草色のドレスも気に入っていたし、やっぱりどこかに着て行ってあげたかったの。だから、着て行ったのよ、お茶会に」
「・・・そんなに褒められたかったのか?」
他の男に、とルイが呟いたのは、あまりに小さくて、私には聞こえなかった。
「そんなんじゃないわ。そうじゃなくて、・・・でもね、お嬢様方が褒めてくださったの、『ルイ様は本当にセレスティーヌ様にお似合いになるドレスをよくわかっておいでなのですね』って、だから私、すごく嬉しかった。ルイのセンスってやっぱり違うんだなぁって。それはよく覚えてるわ」
だからやっぱり、ルイのためにドレスを作って、着てあげようって思ったんだった。ルイが喜ぶなら、それでいいって。
「それだけ?」
「それだけ、って?」
私は首を傾げた。すると、言いづらそうにルイは話を促した。
「他にも褒められただろう?」
「まぁ、クロードやアンドレにも褒められたけど。自分のお店で作ったんだもの、自画自賛よ」
「それじゃなくて」
「嬉しかったのは、それだけよ。褒められてびっくりしたこともあったけど、・・・なんだったかしら?」
楽しかった記憶はあるが、ユニスと少し話したことは楽しくなかったし、ルイが聞いて楽しめるとは思えない。
「え、でも、スティーブ・ティボーに会ったことは覚えているだろう?」
衝動的なルイの言葉に、私は首をひねった。
「スティーブ・ティボー? さん? 騎士団の方、だったわね?」
「あ、いや、いいんだ、別に」
青くなって慌てるルイを見ながら、私はなんとなく思い出してきていた。
「・・・お茶会で会ったってこと? そんな気は・・・するけど・・・会ったのは、ジョージ・ビアンキさんじゃなかったかしら? ああ、それは見学に行った時だったわ。それじゃ、・・・お兄さんのフローラン・ビアンキさん? だったら覚えてるわ」
ルイが目を見張った。
「フローラン・ビアンキに? ・・・お茶会で?」
声に緊張が走っていた。知り合いなのだろうか。でも近衛騎士ではなかったはずだけれど・・・
「多分・・・よく思い出せないけど、記憶はあるんだから、会ってるんだと思うわ。だって、あのお茶会の後、私、お出かけもお茶会も行ってないもの」
「・・・そうか」
少し不服そうではあったが、ルイは頷いた。なんでそんなに困った顔をしてるのよ。
「そうよ。だから多分、ビアンキさんのお兄様にお会いしたのよ。スティーブさんじゃなくて、・・・あら? でも、お会いした気がするわ。伯爵家のご次男だって、聞いた気がするし・・・」
私が考え込むと、ルイは驚くほど静かに、落ち着いた声で言った。
「それなら、二人とも会ったのかもな」
私は目を上げて、ルイを見た。
「そうかも。そうね、きっと。そういえば、褒めてくださったわ、お二人とも。きっとそうよ。だって、ルイもそうしてくれればいいのにって思ったんだもの」




