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綺麗な婚約者  作者: 霞合 りの
優しい花の香りに誘われて
68/92

53 流れて消えていく

思っていたより、ちょっと長くなりました

駆け込んできた濃紺の制服姿のルイが、フローランの腕から私を奪い取り、私を抱きしめた。頭痛が急に、スッと減った気がした。


ルイの後ろから、同じ色合いの騎士服を着た数人が駆け込んできて、フローランを組み伏せた。フローランは逃げようとして、・・・違う、逃げようとなんてしてなかった。彼はただ呆然と私を見ていたのだ。


「ルイ、どうしてここに?」

「ジョージ殿が教えてくれた。ここに君がいると。会いに行ったのにいなかったから、みんなに伝えて、探していたんだ」


私はちらりと後ろを見た。フローランが組み伏せられ、捕まっている。ということは、フローランが何かしたのだろう。


「フローラン様は何か悪いことをしてしまったの?」

「・・・ああ、」


ルイが決まり悪そうにうなずいた。髪がさらさらと頬に触れた。


「そうなの・・・」


私がしょんぼりと俯くと、ルイは不思議そうに尋ねてきた。


「俺が嘘をついているとは思わないのか」

「ルイが? 嘘をついてるの?」

「いいや。だが、フローラン殿をお前から引き離そうと、嘘をついているかもしれない。フローラン殿には罪がなくて、俺が陥れようとしてるかもしれない。そうは思わないのか?」

「・・・ルイはそんなことしないわ」

「するかもしれない。セーレを手に入れるためなら、嘘だって、なんだって、つくかもしれないだろう?」

「いいえ、例え私のためだとしても、ルイはきっと・・・嘘をつかない・・・そんな不誠実なことはしない」


そんなことをしたって、それが自分のためにならないと、ルイは知っているはず。


「セーレ・・・」


私の頭の上から聞こえるルイの声が、震えていた。


「どうしたの? ルイ、泣いているの?」

「・・・いや。でも一つ、教えて欲しい。俺を好きだと、結婚したいと言わなかったのは、俺のためだったのか? 俺に自由を与えるためだと、・・・俺がいつでもセーレを切れるようにと」

「聞いていたの?」

「刃物が見えたから刺激したくなくて、入るタイミングを図っていたんだが・・・聞いてしまった。すまない」

「ううん。いいの。大したことじゃないわ」


私が言うと、ルイは首を横に振った。


「大事なことだ、セーレ。君は俺を愛しい人と?」

「そうよ、愛しくて何より大切な人だったわ、当たり前でしょう?」


そうでなければ苦労させることがわかっているのに、婚約なんてしただろうか。

それでもそばにいて欲しいなんて思っただろうか。


「ああ、でもね、私、お心はもうあなたにないの。こないだまではあなたを愛していたけれど・・・だから、いつだって私を切り捨てていいの」


私が言うと、その言葉にルイは顔を上げ、信じられないものを見るように、私をじっと見た。自分の涙を乱暴に拭い、荒く呼吸を落ち着かせる余裕もないまま。


「でも、もしよかったら、・・・ルイが嫌でなかったら・・・少しでもルイのためになるのなら、結婚してくださる?」


ルイが何かをこらえるかのように、ぐっと喉を詰まらせた。


「ルイ?」


私が声をかけると、ルイはハッとして、急いでポケットを探ると、紫色の瓶を取り出した。


「それは・・・?」


フローランが持っていた瓶だ。使わないままで終わったあの・・・何の瓶だろう、気付け薬? 


見ているうちにルイは瓶を開け、中身を口に含んだかと思うと、私に唇を重ねた。驚いたのもつかの間、何か甘い液体が流れ込んでくる。何か良い香りがして、うっとりしながら、私は勢いでそのまま飲み込んでしまった。これは、アガットが寝る前によく淹れてくれるハーブティーの香り。ラベンダーの香りだ。


「ゲホ、ゲホッ・・・ルイ、何をするの」

「セーレ、今のは解毒剤だ」

「解毒剤?」

「君は惚れ薬を飲まされていたんだ。一時的な感情で、誓約書にサインさせるために。今飲んだから、しばらくしたら、惚れ薬の効果はなくなるはずだ」


惚れ薬? そんなものがこの世にあるの?


私が驚いていると、ルイは青い顔で頷いた。


「君が飲んだんだ」

「フローラン様が使ったの?」

「・・・そうだ」

「私に?」

「ああ。君の心を手に入れるために」

「どうして・・・」


問いながらも私には、答えは聞かなくてもわかる気がした。


私は知っていたのに。みんなにも言われていたのに。理解していたはずだったのに。私のせいだ。


それなのに、ルイは自嘲気味に笑った。


「俺が不甲斐ないからだよ、セーレ」


まさか。そんなことがあるはずがない。だってルイはいつだって、・・・いつだって?


頭が痛い。ラベンダーの香りに包まれて、バラの香りが急速に薄れていく。それと同時に、何かが消えていく。


愛おしげに微笑むフローラン。

私を心配そうに見るフローラン。


ベッドでうっとりと私を見上げるルイ。

私に手を重ねて微笑むルイ。


お茶会で笑う誰か。跪く誰か。


現れては消えていき、流れるように頭の中をめまぐるしく駆けては消えていった。

怖い。

私は一体どうなってしまうんだろう?


恐怖に震えていると、ルイが私を抱きしめながら話し始めた。


「あの薬は違法なんだよ。スミレの香りのする言うことを聞かせる薬と、バラの香りのする惚れ薬が出回っていてね。ブリュノ殿やショーンたちと協力して探していたんだ。売買の相手はほぼ逮捕できたし、薬も回収できていて、もう残っていないと思っていて、・・・油断した。セーレに惚れ薬を飲ませて結婚してしまおう、と考える奴もいるかもしれないとは思っていたんだ。でも、まさか彼だとは・・・近衛騎士に推薦したばかりだぞ」


ルイの言葉に、背後で誰かがピクリと動いたのがわかった。


「嘘だ・・・」


かすれるようなフローランの声が震えていた。


「私など・・・相手にもならなかったのに・・・」


ルイは構わず眉をひそめ、必死で何かを抑えるように手の甲を額に当てていた。


「模擬試合で対戦して、俺は推薦したんだ、彼を、・・・他の騎士団で経験を積んだからこそ、より良いものをもたらしてくれると、・・・経験の乏しい俺を引き上げてくださった、レイモン団長のような方が喜びそうな立派な騎士だと、・・・そう思っていたんだ」


ルイが深く息を吸い、ため息をついた。


「・・・俺は絶対に許さない。ジョージ殿に知らせてもらわなかったら、既成事実をつくられて何もできないところだったかもしれない。その前におさえることができてよかった。・・・セーレ、君を怖がらせてしまってすまなかった」

「まぁ、ルイ。でも私、怖いことなんてなかったわよ。とても優しくしてくれたわ」

「セーレ・・・」


言いながら、ルイが苦しそうに顔を歪め、私の頬を包んだ。どうしよう。ルイにこんな顔をさせたかったわけではないのに。


その時、騎士たちの声が止み、一瞬静寂が訪れた。


「ほら、立て。歩け」


声の方を向けば、フローランが沈痛な面持ちで立ち上がっていた。怒りと悲しみで顔を歪ませた騎士が椅子をガツンと蹴る。足取り重く、歩を進めている。困惑する様子が見て取れた。大事な仲間だった、知り合いだったと、一足ごとに困惑が深まっていく。


「・・・愛しい人」


私の声に、フローランがびくりと肩を強張らせた。


驚いたことに、その姿を見ても、先ほどのようなときめく気持ちは薄れていた。不思議と気持ちが安定している。でもやっぱり、まだ心は焦がれていた。


「私を利用しようとしたの?」

「・・・セレスティーヌ、様・・・」


話そうとしたフローランを、騎士が引っ張った。罪人には発言権はないということだろう。私は慌てて続けた。これだけは言わなくちゃ、言っておこう。


「いいんです、私の立場を利用したい人はたくさんいるのですから。だからそのことを私に悪いとは思わなくていいんです。私は、・・・私は、知っていたのですから。自分の立場を理解していました。そのつもりでした。でも、自分一人だけの力を過信していたんです。実際のところ、私一人は無力でした。簡単に、あなたにとらわれてしまったんですもの。そんなこともわからない私は、公爵令嬢である資格なんて、・・・貴族である資格なんて、ないかもしれません」


不思議なことだが、言葉が出て行くごとに、フローランに焦がれる気持ちは無くなっていった。でもその代わり、穴がぽっかり空いていくように、気持ちがそがれていく気がした。


「もし私が公爵令嬢じゃなかったら、フローラン様は、それでも私をお求めになる? ならないと思うわ、だって、あなたには権力があっての私ですもの。私などいなくても、あなたは自分の力で、なりたいものになれたのです。ええ、私など、必要ありませんでした。これからも、誰かに頼る必要などないくらい、あなたは素敵な方です」


私が息をつくと、ルイが励ますように、私の肩をそっと支えてくれた。


慣れ親しんだ、ルイの優しい手。ルイにはきっとわかってるんだ。私の存在がフローランに罪を犯させた。そのことに、私が後悔していることも、虚しく思っていることも。


「フローラン様。権力は中毒性がありますの。浸かってしまうと、逃げられなくなってしまうのです。そういう人を、父に教えられて、たくさん見てきました。とても怖いものですわ。でも、私は思うんです、国を治めるのだって、おいしいスープを作るのだって変わらないんじゃないかって。がっかりすることも嬉しいこともあるのは、きっと同じなんです。結果論ですが、・・・あなたが私を利用しなくってよかった。約束してくださいますか? これから先も、そんなことはしないと」


フローランは呆然としばらく私を見た後、黙って静かにうなずいた。


「セーレは・・・人の心配ばかり・・・」


ルイが困ったようにつぶやいた。


「だって、私のせいだもの」

「それでも、だ。悪いのはそういう気持ちにつけ込んだり、薬を盛ることだよ。あぁ、でも・・・そういうセーレが良かったんだったな俺は」


ルイがため息をついた。


ルイの言っていることの意味は半分もわからなかった。気持ちも悪いし、頭も痛い。それに、フローランが去っていくのを見ていると、やはりまだ少し胸が痛かった。


そう、少しだけ。・・・少しずつ。


どこかに行ってしまう。


悲しい気持ちだけ残して。


サインできなかった結婚誓約書の空欄を残して。





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