52 ”使い道”の主張
フローランが不意に、テーブルを強く叩いた。
「・・・うまく行くはずだったのに!」
歯ぎしりするような言葉に、私は胸の痛みを覚えた。絞り上げるような鈍い痛みだ。
「フローラン様、」
「あなたを私のものにして、私はのし上がれる、近衛騎士にだってなれる! ルイ・ウェベール殿がそうであろうとなかろうと、その権力があなたにはある! 私は近衛騎士に、もっと強くなれる、偉くなれる、・・・もっと上に行ける! あなたの後ろ盾があれば、王族にだって取り入ることができる、一員にだってなれる、そうじゃないか? そうだろう?!」
耳が痺れるような声に、私は身をすくめた。そのまま、私は小さく呟くように頷いた。
「・・・ええ、私の権力をうまく使えば、あるいは。私には王族の血が入っていますし、国王陛下とも親しくさせていただいています。でも私は、その力は使いたくないのです。愛しい人には特に」
みると、フローランが頭を抱えて頭を振っていた。
「セレス、私にはもうわからない。後ろ盾がなくても、何もなくても、・・・あなたが欲しいと思う。ああ、最初はそうじゃなかったのに。私はあなたを愛してるんだ。・・・本当に」
フローランが私の肩を強く掴んだ。不思議と肩は痛みを感じず、ただ胃がキリキリと音を立てる。真正面から顔を見合い、愛おしさと同時に吐きそうな胃の痛みを感じた。
わからないのは、私もだ。
バラの香りが私を曇らせる。
頭が割れるように痛い。吐きそう。
「私のことを知ってらしたの、愛しいフローラン様」
私が尋ねると、フローランは額を手で強く押さえ、何かと戦うように目を瞑った。
「・・・知っていました、でも、知りませんでした。えぇ、・・・知りたくはありませんでした、今となっては。私があなたをどれだけ見ていたのか、どんな思いだったのか、・・・会わなければ知らずに済んだものを・・・!」
「何を・・・おっしゃってるの・・・?」
私はフローランを見たが、彼は私を見ていなかった。
「騎士団から逃げ出した友人のおいていた荷物の中にありました。この薬は・・・お許しください。それでも私はあなたのお心が欲しいのです」
つと顔を私に向け、悲痛そうに言った。
「あなたが私を愛さなければ、・・・この薬は絶対なんです、無理に抗えば、あなたが壊れてしまう・・・! 効かないならばそれでよかった。でも効いたのならば、もう一度飲んでくださったのなら、・・・セレス、私を一番に選んでください!」
フローランの言っていることは半分もわからなかった。
「お心はあなたのものだわ、フローラン様・・・」
私の口から出た言葉は、思っていたより弱々しかった。フローランはそれをきっぱりと否定した。
「違います・・・あなたは私のことなど表面的にしか愛しておられない。わかっています。でも・・・もっと薬を飲めば、愛してくれるんですか? もっと、・・・私があなたを愛せば?」
「なんのことです?」
「・・・いいや、違う。あなたはそうではない。何をしてもどうしたって、きっと記憶がなくなっても、ウェベール殿の事しか想われないのだ」
絶望したように顔を歪ませ、フローランはうわ言のように何か言っていた。でも私は何も聞けなかった。頭痛と吐き気で、何も考えられなかったから。
「フローラン様、何とおっしゃって? 聞こえなかったわ・・・頭が痛くて仕方ないの。でもお心はあなたのものよ、フローラン様。どうか信じて・・・」
「それなのに、何もかも捨てて、私と結婚してはくださらないのですか」
フローランの声が震えていた。私は首を横に振った。
「あなたを犠牲にできないわ」
「犠牲になど思いません!」
「いいえ。騎士として勤めてらっしゃるなら、お分かりになるはずよ。騎士の仕事を誇りに思う方は、きっと戻りたくなる。その務めを果たしたくなる。例え花売りになっても、田舎で田畑を耕しても、きっと後悔します。その時になっても遅いんです」
「あなたの、ご自分のお気持ちはどうなるんですか」
「・・・私は、・・・私の”使い道”はいくらだってあるのです。もとより、思い通りにいく人生ではありませんから、フローラン様に出会えただけで、私は幸せなのですわ」
私が言うと、フローランは辛そうにこめかみを押さえた。私は急いで話し続けた。
「だから、ちゃんとご自分の信念を生きてくださいませ。あなたに迷惑をかけたくありませんの」
「迷惑などと思っておりません」
「でも、ルイが知ったら、あなたも私も怒られてしまうわ。特にあなたは騎士なんですもの。ルイと部署は違えど、同僚でしょう? 印象が悪いのは良くないと思うの」
「・・・ルイ・ウェベール・・・!」
フローランは苛立ちを募らせるようにルイの名前を口にした。まるで汚らわしいもののように。
「模擬試合なのにあざ笑うかのように私を軽々と打ち負かし・・・私以上に弟から憧れられ尊敬され・・・抜擢された近衛騎士の中でも順調で人に好かれ・・・あのなんでも出来る方ならあなたを失っても困りはしない。私の方があなたを愛しているはずだ。なのに、どうして」
私は首を横に振った。
「愛の量では測れないことですわ。だから、ね。あなたのような方にお会いできて嬉しかったわ、フローラン様。でも私は・・・あなたとは結婚できないのです・・・」
「・・・それがあなたの運命ですか」
フローランの頬を涙が伝った。
私にはよくわからなかった。
私はルイに出会って、決められた人生を歩むという運命を変えてしまった。そして、国のため、家のために、”使える令嬢”として振舞わなくて良くなった。それはルイがいたからだ。私がフローランに出会えたのも、こうして話せているのも、きっと、ルイのおかげだ。それなら私はやはり、ルイが嫌になるまで、ルイのものであるべきだ。ルイが私をどう思っていようと。ええ、そう、・・・例え、ルイ好みの至高のドレス作りのためであっても。
このことでルイが私と結婚しないことがあるだろうか? 考えてみたが、否、としか答えが出なかった。あれだけの努力をルイがしてきたのはこの婚約があるせいなのだから、ルイは私を手放そうとしないだろう。でなければ、今までの努力が水の泡だ。婚約破棄したかったはずのルイがしなかったのは、できない事情があっただけ。きっと彼には私の知らない叶えたいことがあって、それには私が必要なのだ。そうでなければおかしいもの。
「セレス・・・! あなたが私のものにならないのなら、いっそ・・・」
フローランが私をかき抱こうと、私を引っ張った。その手の中で、何か尖ったものがキラリと光に反射した。
「フローラン様・・・! 何をなさるの?」
その時、部屋のドアが開き、見慣れた姿が飛び込んできた。
「セーレ!」
濃紺の近衛騎士の制服に、金色の髪、紺碧の瞳。
「・・・ルイ?」
その人は、ルイだった。




