50 現れた人物
その顔が知った顔だと気づくのに、少しだけ時間がかかった。
「・・・フローラン兄さん・・・!」
彼は手にしていた荷物を取り落とした。一瞬のうちに、顔色が真っ青になる。
「どうした、ジョージ」
ジョージ。
ジョージ・ビアンキ。
近衛騎士の見習い、レイモン・ヴィルドラック近衛騎士団長のおつきの。
フローランの弟・・・
そうだ、どうして気がつかなかったんだろう。
ジョージは蒼白の顔でフローランに詰め寄った。
「そちらの方が・・・どなたか知っているのですか」
「はて。どちらかな。彼女は私のセレス、恋人だよ」
「・・・こ、恋人・・・?」
「そうだね、セレス」
フローランが私に優しく目を向けた。
恋人と言われるのは初めてで、なんだか不思議な感じだった。ルイとは婚約者だったけれど、恋人ではなかった。大切にしてくれたけれど、ルイはこんな風に甘く心を込めて私を見てくれたことはなかった。
・・・本当に? そうだった? 私は怖くて見ていなかったんじゃない? 期待して違っているのが怖くて、気づかないふりをしていたんじゃない?
どうしてそんなこと、今、思うの?
ルイなんて、今更。
「・・・ええ」
頷きながら、顔を上げた。さっきよりもずっと、フローランが素敵に見える。だんだんドキドキしてきて、目を合わせるのも恥ずかしい。
ジョージが震える声で私に尋ねた。
「セレス・・・様?」
「はい」
「・・・私を覚えておいでですか」
「ええ、ジョージさんよね?」
「それでは、・・・あなたには、婚約者がいらっしゃるのは覚えていますか」
掠れた声で訴えられれば、フローランが傷ついたように私を見た。
「なんと。・・・そうなのですか?」
私は頷いた。
「・・・そうね、覚えてるわ」
「私を騙していたんですか?」
「いいえ。お慕いしているだけですわ」
私の言葉に、ジョージが悲痛な叫び声をあげた。
「セレスティーヌ様!」
「・・・彼女はセレスだよ」
フローランが訂正したが、ジョージはそれを首を横に振って否定した。
「いいえ、違いますよ、兄さん。彼女はセレスティーヌ・トレ=ビュルガー嬢、ヴァレリー公爵トレ=ビュルガー家の三女で、僕たちとは会うはずのない高貴な身分の方です! 兄さん! セレスティーヌ様、どうなさったんです? あなたらしくない・・・」
私は手を胸の前で組み、懇願するようにジョージを見た。声が震えてしまう。
「ああ、ジョージさん、私らしいとはどういうことでしょうか? 私、フローラン様とご一緒していたいだけなの・・・」
「セレスティーヌ様・・・」
青かったジョージの顔色が、土気色になっていく。
「何も、何もしていないでしょうね、兄さん。清い関係でしょうね?」
「ジョージ、私を馬鹿にするな。節操のないことをするような私ではない」
「なら、良かったです。でも、」
ジョージが私を信じられないような目で見た。フローランも困ったように私を見た。
「セレス、あなたは・・・公爵の娘なのですか?」
私は頷いた。
「ええ。そうです。内緒にしていて申し訳ありません」
「なぜ言ってくれなかったのです?」
「あなたが困ると思ったから、・・・フローラン様、あなたを困らせたくなかったのです」
「やめ、もうおやめください、セレスティーヌ様」
ジョージが会話に割り込んできた。私は彼に振り向いた。
「何をですか」
「僕は・・・どうしたらいいのか」
ジョージはよろよろと壁に背を預ける。
「セレスティーヌ様。本日、ルイ様が帰っておいでです。それを知ってらっしゃるのですか。先ほど、詰め所でルイ様にお会いしました。今からセレスティーヌ様の元へいらっしゃると嬉しそうにおっしゃっていました。あなたにお会いするのが楽しみだと、僕なんかに、初めておっしゃって・・・」
ジョージは言葉を詰まらせた。
私もルイに会うのを楽しみにしていたはずだったのに。そのために刺繍もしていたはずだった。出来上がった刺繍はテーブルの上でルイに渡されるのを待っている。私はルイに会いたいはずなのに。
フローランがおもむろに口を開いた。
「いい機会です、セレス、やはりすぐに、結婚しましょう」
「に・・・兄さん! 彼女には婚約者が」
「いや。ジョージ、愛のない結婚なんて無意味だ。私たちには愛がある。・・・そうですよね?」
「・・・ええ、でも、」
「本当は、ジョージが来なければもう一度あなたに相談して、渡そうと思っていたのです。・・・これは結婚誓約書です。ともにサインを書きましょう」
「フローラン様」
フローランが私を座らせ、ペンを握らせた。手元の誓約書を見ると、すでに、フローランの名前は書かれていた。フローランが優しく私の手を握り、微笑んだ。
「・・・私と結婚してくれますね?」
バラの花の香りが、ふわりと思い出され、私は微笑んだ。ジョージは頭を振って、テーブルの上の薬の空き瓶を手に取ると、急いで部屋を出て行った。
久しぶりの登場人物補足
近衛騎士の見学に行った時、セレスティーヌにルイへの憧れを滔々と語った見習いジョージ君。
フローランとルイの模擬試合ではルイのお付きをやっていました。
ルイのことも、兄であるフローランのことも尊敬しています。




