46 禁断の誘惑
・・・多分、私は意地になっていたんだろうと思う。
結局、私は一人で市場を回ってしまったのだ。お忍びで。だから悪いのは私だ。
ルイの遠征中は、何事もなく過ぎていった。私は刺繍に手をかけて、ショーンは相変わらず庭にいて、ドミニクは私に刺繍を教えてくれる。
その間、バルバラ姉様の懐妊報告が飛び込んできたり、あまり剣術の得意でない弟のフランツが騎士学校の剣術大会で準優勝したり、ジネット姉様が闇市の用心棒とやりあって勝ったけど傷だらけになっていたり、それを知った母様が自分に相談しなかったことに憤ってめまいを起こしたり、みんながそれぞれに忙しくしていた。
もちろん、私はルイが帰ってくる日を知っていたし、それなりに手紙を出し合っていた。でも、一番最後にルイが出した手紙は、ルイより早くは届かなかった。私は刺繍と家を抜け出すことばかり考えていて、だから気がつかなかったのだ、ルイが帰ってくる日のことを。
その日、アガットが嬉しそうに私に声をかけてきた。
「セレスティーヌ様、吉報ですわ! ルイ様が近衛騎士の詰め所にお戻りになられたそうですよ。この後、みなさんで国王陛下に謁見なさってご報告をし、解散なのですって」
「・・・ルイが?」
帰ってきた? どこから? ・・・どこに行ってたんだっけ? あ、そうそう、遠征よ。王子の視察の護衛。
返事もできずに固まっている私に、アガットは臆面もなく続けた。
「今日中に、こちらにいらっしゃるかしら? ああ、私も自分のことのように嬉しいです。セレスティーヌ様も随分我慢なされましたわ、とっても寂しそうでしたけれど、これでもう安心です!」
ルイがここに来るって? すぐに?
固まっている私に、アガットは不思議そうに首を傾げた。
「どうなさいましたの? もしかして、先日のユニス様のことでしょうか? ユニス様は騎士団にコネがあって、いち早くルイ様の情報を手に入れられるとのことで、ルイ様のお休みを知ったそうですの。今はアダムさんが止めてらっしゃいますわ。ですから、一番にお会いになれるのはお嬢様のはずです。おそらく、セレスティーヌ様は聞いてらっしゃらないと思うのですが、私、アダムさんから色々聞きましたわ! 話を聞いたところによりますと、ルイ様に直接お話を通そうとするのは諦めた様子ですのよ。ブリュノ様とお話をなさったとか。でも、やっぱりルイ様のことは諦めないようなんですの。でも、心配はいりませんわ、お嬢様。アダムさんがいうことには、・・・お嬢様?」
「え、何?」
「ご心配なさらずとも、ルイ様はお嬢様に一番に会いに参りますわ」
それは嬉しいけど、嬉しくない。
もちろん会いたくて待っていたけれど、私自身は、刺繍をしていただけで、何も成長していない。
ルイは任務で王子やら他の騎士と接して、さぞかし有意義な遠征だったに違いない。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
その上、ルイに頼まれたお目付役だったショーンは、ルイが帰ってきたところで解任されたらしく、王族から名指しされて商売に飛んでいき、ドミニクはまたしても強制されたお見合いにいやいや行き、私は残りの刺繍をちょうど終わらせたところだった。つまり、ルイを待つには手持ち無沙汰だった。
でも自分の刺繍を見る限り、お世辞にも素敵とは言い難い。もちろん、最低限はできているが、どうしてもドミニクやバルバラのものと比べてしまう。出来上がりに差がありすぎる。
やっぱり、プレゼントを買いに行きたい。
そんな考えで頭がいっぱいだった私が居間のソファに座ると、ソファから何かがズルズルと出てきた。
・・・誘惑の塊に見えた。
ジネットが試作で作ったメイドのお仕着せのサンプルだ。おそらく、ジネットが傷だらけのままで、そのサンプルを受け取ったところで、母に見つかりそうになり、逃げ出す前にここに押し込んだのだろう。・・・遅かったのだけれど。
全く気づかないように入れ込めるジネットはすごい。
もちろん、私は部屋に戻ってそのお仕着せを着てみた。多少大きかったが、無理のないサイズで、可愛らしい。一見、お仕着せには見えない作りだった。もしかしたら、ルイは、こんなドレスが好みかもしれない・・・
思いながら鏡の前で堪能し、そのまま廊下に出たら仕事を命じられた。慌ただしくなってしまった使用人達は、私には気づかなかったのだ。
まるで魔法のアイテム。私は頭からショールを被ると、難なく屋敷を出ることに成功したのだった。
☆
街に出るのは、まるきり初めてというわけではなかった。何度か、エヴァやドミニクと出かけたことがある。ただし、馬車で、だ。歩くにしても、近くの店に移動するだけで、散策したことはなかった。だから、初めての街歩きは目まぐるしく、まんまと寄り道ばかりしてしまった。
「これは何の花?」
花屋の店先で、私が幾重にも重なった花びらを持つピンクの花を指で差すと、快活な笑いが店主の男性から沸き起こった。
「お目が高いなぁ、嬢ちゃん! それは新しい品種でね、ドゴール花園のチューリップだよ。季節を過ぎても楽しめるって評判なんだ。うちは直売だから安いよ! それに、どこよりも新鮮で安心安全!」
「へぇ・・・」
では、あの時、クロードがルイに舞踏会の付き添いを代わってもらってでも見守りたかった、品種改良はうまくいったのだ。
「こんなに早く商品化できるなんて、ドゴール花園はすごいのね」
「ああ、あの家は本当にありがたいってもんだよ。見るだけなら、いくらでも見ていいって、いつも解放してくれてるし、わしたちのような者の意見も聞いてくれるしな。恋人がいるなら、嬢ちゃん、一緒に行こうってねだるといいよ」
「・・・恋人?」
「ああ。嬢ちゃんみたいに綺麗な子じゃぁ、誰も放っておかないってもんだろう。列をなして選り取り見取りってもんだ」
すると、隣にいた店主の妻らしい女性が、私の顔を覗き込んだ。
「そうそう、本当に綺麗。お肌なんてツルツルだもの。お貴族様に召し上げられてもおかしくないくらいだね。・・・おや、・・・えーっと、誰かに似ていないかい? トリュフォー商会の・・・」
「誰だ?」
「ほら、こないだ、闇市でさぁ、暴れたお嬢さんだよ。若いのにでかい店を切り盛りして、度胸があって腕っ節もいい・・・」
ジネットのことだ。私は慌てて身を引いた。
「ひ、人違いではないですか? 私、このあたりの・・・者なので・・・」
「そう? 言葉遣いも綺麗だし、・・・もしかして、商家のお嬢さんだね? 使用人もつけてないなんて、こりゃ・・・」
「え? お忍びかい? やるねぇ・・・何しに来たのかね? もしかして、恋人へのプレゼントでも買いに来た?」
「そ、・・・そんなんじゃ、ないです・・・」
「あら。じゃ、意中の人かい。でも男性は花をもらっても喜ぶ人は少ないよ。でも、まぁ、どうかねぇ、もらいたいよね、こんな花を花束でもらえたら、そりゃ感激だよ」
「花束かぁ・・・」
私は思わず微笑んでしまった。
そういえば、ルイにもらったことなんてない。その上、私も欲しいと思ったことがない。なにせ、目の肥えたクロードやアンドレから、何かにつけてサンプルのように、いつももらっているのだ。むしろ、ルイの誕生日に私の家に豪華な花束が届くくらいには。




