婚約の日 6 結果の行方
「いいのよ、私を慰めなくても」
「・・・何て?」
「勝負に負けたからって、慈悲は必要ないのよ、ルイ」
「なんだよそれ?」
私を引っぺがして肩を掴むと、ルイは情けない声で言った。あ、ばれちゃダメだった?
「そうよね、知られたくなかったわよね」
「・・・そりゃそうだよ」
「仮にも婚約者を哀れむなんて、ルイは知られたくなかったわよね。ごめんなさい」
「そうじゃない!」
「え、違うの」
私の驚いた顔を前に、ルイは首を横に振った。そして、ごくりと喉を鳴らした。なんだかすごく緊張しているみたいだ。大丈夫?
「俺は・・・お前を・・・」
「私を?」
「ずっと・・・」
「ずっと?」
そして長い沈黙が訪れた。
何を言うつもりだろう? ルイの緊張で青くなった顔を覗き込んだ。吐いた息が感じられそうなほどに顔が近い。
「ルイ?」
「・・・綺麗だなんて言わない!」
「まぁぁぁ」
私はルイを振り払って立ち上がると、仁王立ちになってルイを見下ろした。
心配してあげたのに! ちゃんと待ったのに!
「何よ! それならどうすれば綺麗って言うのよ!」
言ってから気がついた。そうだ。最初からそうすればよかったんだ。思わず笑顔になった。
「なんだ、簡単な事ね。聞けばよかったんだわ。みんなに聞いて回らないでよかったのね。そうよ、だって婚約してるんだもの。ええ、前は仮だったけど」
「なんの話?」
訝しがるルイをよそに、私はルイの前にしゃがみ、手をルイの膝の上に置いた。そして、昔の可愛いおねだりのように言った。
「ルイはどうしたら、私を綺麗だって言ってくれるの?」
結果、ルイは唖然として、それから真顔になった。何よ、言葉はなしなのね。『その気持ちが素敵だね、綺麗な心が見えるような装いに乾杯』とか言ってくれてもいいじゃない、うん、期待してないけど。
「俺の好み・・・、間違っていない」
「なるほど、間違ってない」
私がメモを取るように復唱すると、ルイは目を閉じ、片手で両こめかみを押さえた。
「でも誰かに聞くことは許さない」
「なるほど、他人を頼るのはダメ、と」
「特に男」
「なるほど。特に男性。・・・年上は?」
「ダメ」
「なるほど?」
よくわからないなりに私は頷いた。
ハードルが上がってしまった。これまでルイが多少なりとも気に入った風だったのは、やはり、男性からのアドバイスが多かった。
でもまぁ、ルイの父親ならなんとか、・・・ダメ?
「でも、俺の好みに合わせてばかりじゃなくて・・・お前の好きな服を着て欲しい」
「え」
「なんだよ」
「それじゃ可能性が低くなるじゃない」
ルイは私の顔を見下ろした。
「バカ、俺の好みばかりに合わせてたら俺はとんだ束縛野郎だ。そんな風に見られてみろ。俺は友達を無くす」
「そんなことないわ。みんなねぇ、ルイが好きなのよ。ルイとの勝負だっていうと、みんな嫌がるの。それって、ルイに勝っててほしいからよね。でも私、それでも勝ちたいってお願いするの、そしたら、ルイが羨ましいって。なんでかわからないけど」
私が首をかしげると、ルイは青い顔をして私を見た。
「どうやってお願いするんだ。まさかさっきみたいに」
「そうよ、さすがにこんな風にはしないけど、胸の前で手を組んでね、おねだりを・・・」
「それ、もう絶対やるな。絶対にだ」
ルイが歯ぎしりをするように言った。こわ。
「わ、わかった。わかったわよ・・・」
ルイのイライラが止まらない。
私は困ってアガットに振り返った。アガットは首を横に振る。
ダメですよ、お嬢様。何か言ってはダメです。
それならどうすればいいの? こんなに機嫌の悪いルイは見たことがない。・・・いや、あるか。そばにいないだけで。つまり間近に見るのは初めてってことだ。
私はアガットの忠告に従って、向かいのソファに座ろうと立ち上がったが、ルイに手を引いて止められた。
「どうして離れる。隣に座ればいいだろう。いつものように」
「前までは頑張ってたけど・・・もういいのかなって」
「は?」
「だって小さい頃はよくわからなかったし、父にそう言われれば、言うとおりにしなきゃならないかなって思うじゃない。でも夫婦になってこの先も一緒にいるんだと思えば、やっぱり私の好みは伝えておくべきというか・・・なんというか・・・」
「早く言え」
唸るようにルイが言った。申し訳なくなって、私は目を伏せた。だって仕方ないの。
「実は大きいソファって好きじゃないのよ・・・クッション加減がドレスと相性が悪いっていうか・・・やっぱりこのドレスが綺麗に見えるのは一人掛けだし、ほら、それにね、ルイによく見てもらいたかったのよ、このドレス! すっごく綺麗でしょ!」
最後は思わず満面の笑みでルイに語っていた。ルイがぽかんとしている。
しまった。思ったのもつかの間、ルイが怒鳴った。
「ほんっとになんなんだよ! 誰と結婚してもいいなんて、俺が断ってもいいなんて言うな!」
え、今それ? その時に指摘してくれないとわからないわ。
「自信なくす・・・!」
「はぁ」
「言いたいことも言えやしない・・・いつだって、いつも、俺が見てたのに、俺ばっかりだ!」
そうだったかしら? そんなにドレス見てた? だからあれだけ文句を言えるのかしら?
「お前は俺をどう思ってるんだ!」
「そんな・・・シンプルなことを聞かれても・・・」
一体どうしちゃったんだこの人は。
いつになくテンパっていて、どこにいても乱れることのない表情が苛立ちと混乱で歪んでいる。それでも見とれてしまうくらいには絵になる。これをきっとイケメンというのだろう。
何を着ても似合いそう。素敵すぎて嫉妬しちゃう。
「ルイがドレスを着れば・・・とっても綺麗なのに・・・」
「ここにきてそれ?!」
私にはルイのツッコミが耳に入らなかった。そうだ。なんでこんなことに気がつかなかったんだろう。私は勢い込んでルイの隣に座り、ルイの腕を掴んだ。
「そうよ! ルイに似た女の子を産むわ、私、絶対よ! もちろん、男の子もいないとね、絶対。バッチリ誂えたドレスとジャケットを着せたらきっと素敵、そうでしょ、自分に似てる子ならきっとあなたも綺麗って言うわよね?」
甘えるように言ってみれば、ルイは目を丸くして穴があくほど私を見ている。無理か。く、無念、私にルイから綺麗という言葉を引っ張り出すことはもはや不可能・・・!
「間違いじゃない。ああ、多分、間違ってない。でもなんか違う気がする」
私の言葉に、ルイは頭を抑えた。必死で何かと戦っているようだ。
「ルイ、耳が赤いけど」
彼の耳のそばで私が言えば、ルイは考えを逡巡させた挙句、堪えきれないようにまた私を抱きしめた。
「見るな」
ぎゅっと痛いほど抱きしめているので、私にはルイの首しか見えない。
「首も赤いけど?」
「言うな」
はい。
私は口をつぐんだ。見るとアガットが目をキラキラさせて私たちを見てる。
さすがに凝視されるのは何だかいたたまれない。執事だったら壁の方を向いててくれるのに、アガットはそんなことしてくれないようだ。
仕方なく、私は目でアガットに訴えた。へ・や・の・そ・と・に・で・て。
アガットは残念そうにドアを半開きにしたまま、外に出た。
「セーレ」
ルイは私の首筋に顔を埋め、口付けるように私の名を呼んだ。ヒェー、くすぐったい。そしてルイは私の髪の匂いを嗅ぐようにスンスンと言わせると、もう一度首筋に顔を埋め、息をつく。
「・・・セーレ」
もう一度甘い声で言うと、ルイは私の結い上げた髪に手をかけた。
「ちょっと待った」
私が手で制すと、ルイは耳に息をかけながら囁いた。
「何」
くすぐったい。くしゃみが出そう。私はそれでも堪えて話を続けた。
「髪を解くつもり?」
「・・・ダメ?」
「ダメよ。私とアガットじゃやり直せないもの。それに、ルイもこの髪型気に入ってるでしょ?」
ルイは答えなかったが、髪から手を離すと、またぎゅっと私を抱きしめた。痛い。そしてフッと力を抜くと、私の顔を自分の顔に向き合わせ、私の顎を優しく持った。
「ルイ?」
紺碧の瞳に私が映る。その私がどんどん大きくなっていき、ルイの瞼が閉じたところで、居間のドアが開いた。
「やぁ、セーレ。ルイと正式に婚約したんだって?」
ルイがすごい勢いでパッと身を引き、勢い余ってソファの端に背を打ち付けた。うう、と言う唸り声が漏れ、アガットが申し訳なさそうに手を合わせる。
「ブリュノお兄様」
笑顔で入ってきたのは私の長兄、ヴァレリー公爵嫡男のブリュノ兄様だ。私より八つ年上で、適齢期ながらお相手選びに難航している兄は、すでにお相手が決まっているルイが気に入らないようで、あまりいい顔をしない。正式に婚約が決まった今も、それは変わらないらしい。
「おや、ルイ。顔色が悪いね? 僕が来て迷惑だったかな?」
「いえ、まさかそんなことがあるでしょうか、ブリュノ殿? お会いできて光栄です、未来の義兄上」
痛みをこらえ、感情を隠すようにうっすらと笑みを浮かべるルイに、兄は負けじと明朗な笑みを浮かべた。
「これで僕と君も兄弟になるわけだ? ・・・婚前にセーレに手を出したらただじゃおかないよ?」
「わかってますよ」
ルイが笑顔を崩さず頷いた。私は話についていけず、首を傾げた。
そこで気がついた。今日はルイ、ドレスに文句を言っていない。
確かに綺麗だとは言わなかった、似合うとは言わなかった。でも、あれがダメこれがダメと言わなかったし、何よりドレスをうっとり見てた! このドレスを改良すればうまくいくのかもしれない。
私が勝利する日は目前! 次こそ勝つわ! ごめんなさいね、ルイ?
私が満面の笑みでルイを見れば、なぜか心底残念そうにルイがため息をついた。