41 甘いわがまま
でも、とてもじゃないけど文句を言えそうになかった。
ルイがあんまりにも唖然としていたから。
「ルイ?」
私が声をかけると、ルイはハッとして私を見た。でも、全くもって心もとない。この様子では、気をつけて茶器を扱ってと怒っても、耳に入らないだろう。私は諦めて首を傾げた。
「どうしたの?」
「無理」
「えっ」
「もー絶対無理。近衛騎士辞める」
「え、ちょ」
「アダム」
「はい」
「離職届けを持ってこい」
「な、何を言ってるのルイ? ダメに決まってるでしょう!」
私が慌ててルイを止めようとすると、アダムが呆れたようにため息をついた。
「駄々をこねるのはおやめください、ルイ様」
「無理なもんは無理だ」
言いながら、ルイは突然、私をぎゅうっと抱きしめた。
痛い痛い。すごい痛い。それに近い。
「心配なんだよ、セーレ」
「何が?」
「お前だよ」
「私? 危険なことは何もないわよ」
「またプロポーズされたりしたら・・・」
「断るだけよ、ルイ」
「でも」
「ルイ様」
言い募るルイの言葉を遮るように、アダムが冷たい声で言い放った。
「いつ辞めてもようございますが、今回ばかりはご参加なさってください。任務としてすでに任され、ご自分で決められたことを、たかがそのくらいの理由で放棄なさるのですか?」
珍しいことに、これは相当怒っている。
ルイが私を離してアダムに振り返った。
「たかがと言ったって」
「セレスティーヌ様はそういう責務を果たされないことが大嫌いだと聞いておりますが?」
すると、ルイは歯ぎしりをせんばかりに口をゆがめ、悔しそうにアダムを睨んだ。
「・・・ああ、お前は正しいよ、アダムめ」
「ルイ様が今回の遠征への参加を自己都合で勝手に取りやめ、その上、辞職なさるなんて、責任感の強いセレスティーヌ様がどう思われますか・・・あぁ、今度こそ、本当に見放されてしまうのでしょうかね」
「何を言う! セーレはそんなことで俺を見捨てたりしない、だったらもっと前に破棄しているはずで・・・しない、・・・よな?」
ルイが不安そうに私の顔を見る。
今日は本当に、いったいどうしたっていうんだろう? そんなにドレスを定期的に確認したいのかしら? 私に会うのを楽しみにしたくないのはちょっと残念だけど、仕方ない。ルイがどうであれ、私が破棄するはずがないのはわかってるはず・・・なんだけど・・・
・・・とても可愛い。
そんなこと、思っちゃいけないんだろうけど、すごく可愛い。
こんな顔、ルイもするんだ。
私はフッと笑った。
「やぁね、アダム。ルイはそんなことしないわ。辞めるなんて冗談よ」
「そうでしょうか」
アダムはすごく不安そうで、なんだか申し訳ない。でもまさか、私が何かを言ったところで、ルイが自分の意見を変えるはずがない。できることはちゃんとやる、できるまで挑戦する、約束はちゃんと果たす。最低限、ルイが自分で決めてきたことのはずだ。
「ルイはちゃんとわきまえている人なのよ、ルイを信じて任せてくれる方々のこと、裏切るようなことはしないわ。ブリュノ兄様がとっても褒めてらしたもの」
「そうですか。ブリュノ様が」
アダムがにっこりと微笑む。
そうよ。そうなのよ。私がもっとちゃんと、励まさなきゃ。きっと、ルイは自信がないだけなのよ。
「そりゃぁ、初めての遠征だもの、緊張して自信がないのもわかるけど、大丈夫。ルイはきっと、ちゃんとできるわ。兄様が認めた人が任務をこなせないはずがないもの。ねぇ、ルイ?」
私がルイに振り向くと、ルイはものすごく変な顔で私を見ていた。
「俺が自分に自信がなくて遠征に行きたがっていないと?」
「違うの?」
「そんなわけあるか。どんなことがあったって王子殿下をお守りできると自負している」
「じゃ、なんで?」
私の問いに、ルイは顔をしかめた。
「セーレは・・・寂しいと言ったじゃないか! 不満はないのか、婚約者がそばにいなくて」
「旅行なら連れて行ってもらいたいけど、任務だから・・・」
そういえば今まで、ルイが旅行に行った話を聞いたことがないし、今までだったらそんな我儘も思いつかなかった。一緒に行ったとしても、つまらなそうだし。でも今なら、会話も続くし、行ったら楽しいんじゃないかしら。任務にはあまり興味ないけど。
「任務だったら平気なのか?」
不満そうなルイの声に、私は首を傾げた。
「だって、お父様はそんなに家に帰ってらっしゃらないもの。特別召集なんて当たり前だし、突然、国王陛下について他国へ交渉へ行かないとならなかったり、そうかと思えば、陰謀を止めるためにわざと捕まってみたり、いつも何があるかわからないの。守秘義務があるから、お父様が何をしてるのか、私たちも何も知らされないし。だから、私たち、待つのに慣れているの。そういうものじゃないの?」
私が言うと、ルイは不意に黙りこんでしまった。そこへ、ショーンの声がした。
「ヴァレリー公爵は、・・・宰相だよ、ルイ。国家機密に囲まれた生活で、どれだけ家族と一緒に居られると思うの? それでも、ご夫妻は円満じゃないか?」
言っているショーンが、気の毒そうな顔で頬杖をついていた。
「もともと、お前に選択肢などないじゃないか、ルイ。どっちにしろ手詰まりだし、収束しているから。これ以上は差し障りがあるよ。流されるままにやるしかないんだ、僕たちは」
「それはそうだが、今は・・・なんで今なんだ!」
「ル、・・・ルイ!」
なぜかショーンに食ってかかるルイに、私は慌てて抱きついた。ルイがびくりと緊張したように私を見た。そんな自分に私も驚いた。
もしかして転ぶ以外で私から抱きついたのって、何年か振りかもしれないわ。・・・怒ってる? 嫌がってはいないみたい? きっとアダムを見れば分かるに違いない。
ちらりとアダムを見ると、唇を真一文字にして無表情を保っている。
・・・わからない・・・
私は慌てて身を剥がし、ルイを見上げた。本当、全然わからない。
私は取り繕うように軽く笑顔を作った。
「えーっと、そう、お兄様も仕事を始めてからは、なかなか帰ってらっしゃらないの。もう随分になるから、慣れてしまったけど・・・ルイの方が、会っているかもしれないわね? 遠征もご一緒なさるんでしょ? 羨ましいわ」
そんな私の言葉に、ルイはため息をついた。
心なしかルイの頬が赤いのは、怒っているからじゃないわよね? だってほら、ルイと距離が近いのは婚約者だから当然だし? お見舞いの時だってすごく近かったし、さっきだってギュってしたわよね? だから、・・・大丈夫、よね? 私、失礼なことしてないわよね?
「・・・俺がわがままを言ってるだけみたいじゃないか」
「ルイ様は違うとおっしゃるんですか?」
アダムがニコリとせずに言うと、ルイは頭をかいた。
「・・・違わないな」
言いながら、ルイはじっと私を見た。
こんなに近くでルイの整った顔にジロジロ見られては、落ち着かない。でも青い目はいつもながら深くて綺麗だ。いつか、こんな色のブローチが欲しい。探るような視線にドキドキしたけれど、私はなるべく顔に出さないように気をつけた。ええ、プライドがありますからね。”いたずら”を仕掛けてるのかもしれないもの。負けられないわ。
ルイが何かを決意したように息をつき、今度はそっと私を抱き寄せた。私はホッとした。さっき抱きついたこと、ルイは怒ってないんだ。
「旅行なら、一緒に行きたいと言ったな?」
耳元でルイの声が響いた。吐息で耳がくすぐったい。
「え? ええ」
「・・・遠征から帰ってきたら、長期の休みをもらえる」
そして名残惜しそうに私を離して立ち上がると、まっすぐに私を見た。
「その時に、一緒に旅行に行こう」
「ルイ様、それは」
アダムが慌てて口を挟んだが、ルイは断固とした口調でアダムに振り返った。
「ヴァレリー公爵の許可もとる。今すぐ会えるか? 会えないのなら、手紙を書く。アダム、便箋と封筒を」
「・・・ルイ様、さすがにお時間がございません。セレスティーヌ様の社交界デビューが目前ですから、」
アダムが言いかけたところで、私は思わず話に割って入った。旅行なんてしばらく行ってない。行けるなら、それは楽しみだ。
「旅行って? どこへ行くの?」
ルイは少し考え、うん、と頷いた。
「うちの領地はどうだろう? ヴァレリー公爵の領地ほど広くはないが、飽きないとは思う」
「ルイの領地・・・街ね! 骨董市や美術館がたくさんある、アトリエと観光の街!」
私が立ち上がって喜ぶと、ルイは得意げにアダムに向いた。
「ほら。これならヴァレリー公爵だってダメとは言わないさ、アダム。そうだろう? セーレは俺と結婚するんだ。うちの領地を見に行くのは当然だ。セーレも喜んでるし」
「気の早いことだとおっしゃりそうですがね」
「絶対に勝ち取ってみせるからな」
「随分とおかわりになったご様子で」
「文句があるか?」
「いいえ、ございませんとも」
アダムは仕方ないと言いたげに、軽くため息をついた。
「まずはヴァレリー公爵がお認めになるかどうか、ですけれどね」
ルイの領地のイメージは、なんとなく、パリっぽい感じです。




