40 行きたくない理由
ルイの調子がすこぶる悪い。
私のドレスを見ても何も言わない。それどころか、何の感情もない。わずかに、目を輝かせるけど、それも少しだけ。
ルイは、この二週間で三回ほど、仕事の合間に私の家に寄っていった。なぜかショーンを連れていたけれど、それについては市場調査だとかで、ショーンも近衛騎士になったわけではないらしい。あのショーンが近衛騎士になんてなったら、・・・正直面白いと思うけれど、それを言ったらルイが卒倒しそうなのでやめておいた。
ショーンのせいなのか、他に何かあるのか、ルイは今日もぼうっと空を見つめて・・・いや、もっとひどい。ソファに座った私の隣で、ルイは私の髪をひたすら弄んでいた。
そうね、最近はドレスに張り合いがなかったかもしれない。今日だって、ルイが前に見たことのあるドレスだし。でも合わせる小物を変えたり、ドレープの流れを変えたりしたし、印象は変わってるはず。そうはいっても、ルイの好みが変わってしまったのかもしれないし・・・そうしたらお手上げ。一からやり直しだわ。でもどうやって情報を集めたらいいのかしら。
ドレスの代わりに髪の方が気に入ったのかもしれない。だって、何が面白いのかわからないけど、ずっと髪を触っている。時々、恐る恐る視線を向けると、それに気がついて、うっとりしたように視線を送り返してくる。
この人、大丈夫かな。
頭の中、溶けてないかな。
脳みそが耳から出てきたりして・・・?
こんな綺麗な顔がうっとりしてるの見ると、胸焼けしそう。
「ショーン、ルイはどうしちゃったの?」
私がショーンに聞いても、ルイは何の反応もしなかった。ショーンが苦笑する。
「うーん・・・ちょっと疲れてるんだ」
「仕事が忙しいの?」
「まぁね。その上、しばらくセレスには会えないからね・・・」
「え?」
私が聞き返した時、ルイを呼ぶ断固とした声が聞こえた。
「ルイ様。お時間です」
アダムの声に、ルイが髪から手を離した。
「何だって? 早い!」
「説明が必要でしょうか? それでしたら説明いたしますが、明日から第二王子様の視察の護衛として、遠征なさるでしょう。その準備として、今夜は詰め所にお泊りになる予定です。特に、ルイ様は今回、初めての遠征ですから、みなさんとご一緒して、士気を高めることが必要です。準備はできておりますので、この後、お屋敷を出まして」
「わかったよ。わかったって。今いくよ」
アダムの言葉を遮るように、ルイは両手を挙げた。
「ルイ、遠征って?」
「遠方に視察に行かれる第二王子の護衛の護衛・・・、みたいなものだよ。しばらくここを離れるんだ。ブリュノ殿もいくだろう?」
「まぁ、そうだったかしら・・・」
そんなようなことを言っていた気もするが、とにかくブリュノは忙しく、特に最近はすれ違いばかりで、予定を聞いてもあまり意味がない気がして聞いていなかった。
「・・・どのくらい?」
心配になって尋ねれば、ルイはまた視線を落とし、私の髪をいじり始めた。
「順調に行けば、二ヶ月だったかな」
「まぁ・・・それじゃ、しばらくお会いできないのね」
「うん・・・」
思わずショーンを見ると、ショーンが何かを言っていた。私は気もそぞろだったので、その通りに声が出た。
「”寂しいわ”」
すると、ルイが私の髪をバサリと手から落とした。
「・・・お前が寂しいものか。どうせ俺に見て欲しいドレスだとか、食べたいチョコレートがあるとか、それくらいのものだろう」
・・・確かに。それは否めない。そもそも、ショーンの口真似をしただけで、気持ちがこもっていたとは言い難い。ショーンを軽く睨むと、彼は舌を出していた。くるりとアダムを見ると、視線をそらしている。誰も助けてくれない。私は仕方なく会話を続けた。
「・・・ルイが気に入らないドレスを作ったってしょうがないんだから、見てもらわないことには始まらないでしょ」
私は口を尖らせたが、ルイはただ、ため息をついただけだった。別にルイだって寂しいわけでもないのに、私ばかりに要求されても困る。いっそのこと、遠征にドレスを持っていけばいいんじゃないかしら。そう思いながら、私は励ますようにルイの腕を掴んだ。
「ルイ、でも、第二王子殿下の護衛なんて、名誉なお仕事じゃない。誰もができるわけじゃないのでしょう? 近衛騎士の中でも、功績があって信頼できる人をご本人が選ぶって聞いたわ。こないだお会いした時、王太子殿下も言ってらしたもの。それでね、王太子殿下もルイを選びたかったけど、スケジュールの都合でできなかったのですって。だからきっと第二王子殿下がお選びになったのでしょうね。ねぇ、ルイ、きっと出世できるわよ。えーと、したいのかどうかはわからないのだけど」
多分、ルイに出世するつもりはあまりない。でもこれ以外、励ます言葉が思いつかなかった。
「セーレ・・・」
うう、とルイは呻いて、ソファの背もたれに頬杖をついた。
「・・・行きたくない」
「あら」
私は驚いて目を見張った。弱音を吐くなんて、珍しい。
何とか励まさないとならないかしら?
ショーンに視線を移すと、彼はおもむろに口を開いた。
「・・・セレスはルイに会えなくても大丈夫なの?」
なんとも不思議そうな声だ。・・・いや、何だか楽しそうに唇の端を浮かせてる。
「え? 今までも、二ヶ月くらい会えないことはあったから・・・」
「でも今までとは違うでしょ。会おうと思えば会える距離にいるのと、そうじゃない距離にいるのとでは。それに、控えてる舞踏会へのデビューは半年後で、もうすぐなんだ。それに合わせて、行かないとならないお茶会もまだあるはずだし。何しろ、正式な婚約者なんだからね。もっと甘えたり寂しがったりしていいんだよ?」
私は肩を竦めた。甘えたりしたら、ルイが困るじゃないの。私がどう思ったって、ルイはドレスが見られればいいんだから。
「でもお仕事なんだから仕方ないわ。お母様も、お父様がお仕事で何日も留守になってしまうと寂しがってらしたけど、でも待つのも楽しいっておっしゃってたから、私は大丈夫よ」
「大丈夫なのかよ」
寂しいって言ってたくせに、とルイはブチブチと言う。
「だって、お母様は、会えない時間に、お父様のことを考えていたら、とても楽しいんだとおっしゃってたわ。次に会う時はどうお迎えしようかなとか、どれだけ素敵になって帰ってくるかなとか、いろいろ考えるんですって。次に会えた時のために、お母様も自分磨きをとっても頑張ってるそうなの。そういうの、素敵だと思わない?」
それがどうした、と言った顔で、ルイが私を見た。私は少しムッとしながら話を続けた。
「だから私も、お母様みたいにできるように、今から心の準備ができるといいなぁって思ってたの。お仕事で会えなくなることがこれからも増えるなら、必要でしょ?」
ちらりと見ると、ルイは表情をなくし、じっと私の言葉に耳を傾けていた。よしよし。
「だから私、今回からルイの帰りを楽しみに待つことにするわ。いつ会えるんだっけ、じゃなくて、会える日までに、ドレスのコーディネートを考えようとか、ルイとこのお菓子を食べようとか、・・・そういう?」
ルイが目をパチクリとさせた。あまりピンときていない様子だ。私が何かするだけじゃダメかも知れない。それに、考えてみればいつもと変わらない。
何か新しいこと・・・提案・・・
私は目を瞑ってしばらく考えた。
そこで私はハタと手を打った。
「あ、だから、もし良かったらだけど、ルイも同じように、次に会える時のことを考えて、私に会うのを楽しみにすればいいんじゃない?」
私が満面の笑みで言い終えた時、ガシャン、と音がして、ルイの手からティーカップがソーサーに乱暴に落とされていた。
私は慌てて、お気に入りのカップの確認をした。壊れてはいなかった。ホッとしたものの、非難しようとルイに顔を向けた。
ブリュノに、あなたがいなくてもセーレを守ると啖呵を切った割に、自分も連れて行かれることになり、意気消沈しているルイ。
ブリュノにとっても想定外。
第二王子に進言したけど無理だった模様。




