39 第六の受難:解決すべき課題
「先日、トーマン侯爵のご令嬢、ユニス・ポートフリー嬢が私のところへ、えらい剣幕で来てな。ルイは自分にふさわしい、婚約を解消させて、ルイを侯爵家の婿養子にできるように手続きをしろ、と言うんだ」
俺は思わず目を見開いた。
「俺が? えぇっと、誰でしたっけ?」
「ユニス・ポートフリー嬢。一人娘で、婿養子をもらう予定なんだが、いかんせん、理想が高い。バルバラ姉上の結婚相手が初恋の相手だから」
「あの、ご立派な・・・」
ブリュノは頷いた。
「そう。だから、それもあって、自分と彼が結婚できなかったのはバルバラ姉上のせいで、だから、うちが手助けをしたっていいだろうという理論なんだ。と言っても、普段、ユニス嬢はそんなに頭の悪い理論を持つ方じゃない。おかしいと思って、この”ラベンダー”を試しに紅茶へ入れてみた」
「飲ませたのですか」
「紅茶の湯気で、香るかと思ってな。・・・あたりだった。ユニス嬢は紅茶を手にとって”ラベンダー”の香りを感じ、それについて口にした後、我に返ったように首を傾げ、私を見て、顔を真っ赤にしたんだ」
「それは、言ってることがおかしいとわかった、ということですか」
「ああ。かといって、お前を諦めたわけじゃないそうだが、噂を信じるのはやめたらしい」
どういう意味だ。俺は思わず聞き返していた。
「・・・俺を諦めない、とは?」
「は? 文字通り、お前と結婚したいということだろうよ。でもそれは大事じゃなくてな」
「いやいや、大事ですよ。おかしいでしょ、それに対してブリュノ殿はなんとおっしゃったんですか?」
「できることならやるといいが、ルイは周りが思うよりずっとセーレにご執心だから、他を探した方が早いぞとは言っておいた。信じるかどうかは勝手だが」
含み笑いをしたブリュノは意地が悪かったが、それを不快に思う余裕もなかった。
「そこは俺が見込んだ弟だから無理だとかなんとか!」
「セーレが選ぶんだ、私は関係ない」
「ひどい」
「剣をくれてやっただけで十分だろ」
「でも」
「全く。話を脱線させるな」
ブリュノはため息をついたが、ため息をつきたいのは俺の方だ。
「ではこれは、・・・なんなのですか」
「それは、言っただろう、”媚薬”、つまり惚れ薬だ」
ふと背筋が寒くなった。
「”惚れ薬”?」
「飲んだ後に、一番最初に見た相手を愛するようになる薬だ。心を捩じ曲げるから、かなり危険な薬で、”魅了”よりもずっと高価になる」
「そうなんですか・・・」
「安心しろ。媚薬が使われたことはまだない。だが、好きな相手ならもっと好きになるだけでいいのだが、そうでなければ、非常に苦しいことになるらしい。だから、お前も注意してほしい」
「・・・そんな馬鹿な」
「女性と二人きりにならないように気をつけろよ?」
「気をつけます・・・」
「その上、直後でないと使った気配がわからないから、限りなく現行犯逮捕でないと難しいんだ。それが難航している所以だ」
珍しく、ブリュノが渋い顔をする。簡単にはいかないことのようだ。俺の表情があまりに固かったのか、ブリュノはすぐに明るい口調で話を切り替えた。
「と、まぁ、困っているんだ、こちらは。お前にも協力してもらいたいところだが、それも難しい。お前は注目されている上にごまかすのが苦手ときている。調査なんてしたら速攻でバレるだろ?」
「では、なぜ俺にこれを伝えたのですか」
「お前やセーレも狙われるんじゃないかと思っているんだ。セーレに変わったところは?」
俺は考えたが、知っている範囲では、いつもと変わらない。変わらず・・・俺がドレス好きだと思ってるのはどうにかしてほしい。
「ないと思います、・・・先日は連日見舞いに来てくれて、復帰した今はさほど会う時間はありませんが、手紙も様子は変わりないです」
「そうか・・・なら、まだ安全、なのか・・・?」
ブリュノはこめかみを押さえて唸るように言った。とても疲れている様子で、俺にもわかる沈痛な面持ちだった。連日、このことで翻弄されているんだろう。
「なんで俺が動いているのかっていうとな、第二王子が国の周辺を視察なさることが決まった。私もついていかねばならないから、その前にある程度は終わらせておきたいんだ。それに・・・とにかく、私はこの案件が気に入らないからだ。大いに気に入らない。正々堂々と、地位なりお相手なりを手に入れるべきだ。才能があったって、磨かなければ意味がない。私が努力をしてこなかったとでもいうのか」
なるほど。どうやらブリュノにも嫌がらせのような噂が出て、信じられてしまったようだ。
俺が顔を伏せると、ブリュノは不本意そうに続けた。
「お前が気にやむ必要はない。お前が近衛騎士になったのは、確かにお偉方たちの思惑があっての推薦だろう。だが、才能もないやつを抜擢することはない。私はお前を気にくわないが、それでもお前はよくやってきた。そりゃ、私は認めるしかない。セーレの兄だからな」
「あまり嬉しそうに見えませんけどね。褒められてるようにも思えませんが」
「そんなこと、当たり前だ」
ブリュノの言葉が遠く聞こえた。
「もともと好きならより好きになるだけだが、そうでなかったら、心が壊れる可能性もある。それに、解毒するのにも時間がかかるんだ。もし飲まされて心変わりしても、元に戻すことはできる。だが、急激に戻してしまったら、副作用で、何もかも忘れてしまう可能性もある。・・・以前愛していた者のことも。気持ちを無理に高めることも、無理に戻すことも、非常に危険だ」
俺は血の気が引いた。
人の心を捻じ曲げて、本来の気持ちから遠ざけて、その人を手に入れる。
飲ませてはならない、そんな薬を、絶対に。・・・誰にも。
「人としてあるまじき行為だ。まして、・・・それがもし、騎士だとしたら、・・・死ぬ以上の不名誉だ。騎士の中には、まだ使った者はいないが、出回っているということは、どこかで使われているということだろう」
ブリュノが吐き捨てるように言い、深く息をついた。
「以上だ。私が視察に向かう時までに収束していなければ、お前にも手伝いを頼むかもしれない。お前とセーレに関しては、その立場を狙う輩も多いだろう。多少警戒したほうがいいからな、伝えたまでだ。できそうか?」
挑戦するような、頼み込むような言葉に、俺は背筋を伸ばし、騎士として最大限の尊敬を示す敬礼をした。
「セーレのことは守ります。あなたがいなくても」
「上等だ」
ブリュノが鼻で笑い、俺は冷たい空気に背筋を震わせた。
これにてルイ編終了です。
次章からセレスティーヌ視点に戻ります。




