38 第五の受難:不穏な贈り物
ブリュノの後をついて行くと、地下にある部屋に通された。空気は冷たく、先ほどの熱気のある剣闘場とは大違いだ。俺は肌にまといつく湿気た冷たい空気に身を震わせた。
こんな部屋があるなんて知らなかった。俺はキョロキョロと見回しながら、ブリュノと向かい合わせで椅子に座った。
「・・・剣を見せろ」
言われるままに、俺は剣をブリュノに渡した。
剣は騎士の命だ。それを贈ってくれたことで、セレスティーヌを守る相手として認められた気がした。だが、ここのところの俺は、セレスティーヌを守るどころではなかった。盗賊騒ぎにかまけていれば、他の令嬢や別の騎士の、宣戦布告やらプロポーズやらで、ちょっかいを出されたどころではない。セレスティーヌは笑っていたが、困ったこともあったろう。それは、相手が俺でなければ、きっと起こらない出来事だった。
俺はまだまだ、足りないものが多すぎる。そんな俺に、この剣を持つ資格はないと言われてしまうだろう。手に馴染んではきたけれど、これでお別れになるかもしれない。
「一応見ないと、後から聞かれた時に、答えられないからな」
ブリュノは剣をしげしげと見て、息をついた。
「お前の手入れに不満などない。ちゃんと手入れしていることは知っている。剣を扱う様子を見ればすぐに分かることだ。まぁ、仮に、この剣をないがしろにしようと、俺が腹たつだけで、差し障りはないんだ、実際のところ」
「ありますよ。セーレにゆかりのあるものを俺がないがしろにすると思われるのは心外です」
「なるほど?」
ブリュノは言いながら剣をテーブルに置いた。
「仕上げの研磨剤は何を使ってる?」
「最も細粒のものを使っていますが」
「そうか。これは使ったことがあるか?」
ブリュノは言うと、三つの瓶をコトリと置いた。
「・・・これは?」
俺が恐る恐る手を伸ばすと、促すようにブリュノは頷いた。
これは研磨剤じゃない。では、何だというのだ?
そこで俺は何となく気がついた。ショーンが来た目的はこれだったのだ。俺にブリュノ殿を会わせるためだ。こうして、・・・剣のことで文句を言っているように見せかけ、その上で、二人きりにするために。何か、人に知られてはならない話をするために。でなければ、こんな地下の、誰もこないような場所に来るものか。
一体、何を?
俺は手に取り、そのラベルを見た。
”スミレ”
”バラ”
”ラベンダー”
「ジネットに調べさせたんだ。これは”魅了”だ」
ブリュノが”スミレ”の瓶を指差しながら言った。俺は首を傾げた。
「”魅了”?」
「そして、”媚薬”、”解毒剤”」
”バラ”、”ラベンダー”を順に指差しながら、ブリュノは淡々と続ける。
「最近、騎士団で困っていることはないか?」
「え? ・・・いえ」
「そうか・・・なら、まだお前の方には行っていないんだろう。近衛までは行ってないのか・・・?」
「なんのことでしょうか」
「いや。噂が立ちやすくてな。それが信じ込まれて、トラブルが起きているんだ」
「トラブル、ですか」
特に心当たりはない。セレスティーヌのことで若干心労はあるが、それはそれだ。
「お前も巻き込まれているはずだが」
「俺ですか?」
「厳密に言えば、お前とセーレだ」
「・・・俺とセーレ?」
思い当たることが多すぎる。俺は顔を上げた。
「事実と違う噂が流れているんだ。父上がお前の才能を見込み、そのために、お前が断れないように仕向け、セーレと無理に婚約させ、お前を一族に取り込もうと父上が企んでいる・・・と」
「セーレのことは、最終的に俺が頼み込んだようなものですが」
「それは、俺たち当事者は知ってる。だが、そうでないものは知らない。このような不名誉な噂が本当のように信じ込まれているんだ。ふざけた話だろう?」
「はい」
「困ったことに、こういったことが何件か見受けられた。多くの噂が悪質とも言い切れないが良いものではなく、それを元に、例えば信頼関係が崩れたり、悪いことに家が潰れかけたりしている。あまりにもおかしいと思わないか? それで、ジネットに調べてもらったんだ」
「ジネットに?」
「そうだ。信じる根拠がないのに、これだけ信じられているのは、薬や何かで煽ったのではないかと仮説を立てたんだ。ジネットは詳しいからな。それで、見つけたんだ。この薬を」
ブリュノがスミレの瓶を指差した。
「商会の者を使って、調べ上げてくれた」
ジネット、あいつは何者なんだ。
そしてそれを当たり前のように言うブリュノも、何考えてるんだ。自分のかわいい妹だって言ってなかったか? それなのに、こんな危険な薬を調べさせるなんて。
”お兄様”のすることってわからない。
「女性に何をやらせているんですか・・・」
「ジネットは剣も強いぞ?」
「そういう意味ではありませんよ」
「まぁ、セーレの悪い噂は、公爵家の醜聞にもなる。お前の出世のおかげで注目されてるからなぁ。ジネットにとって、公爵家の醜聞は、自分が自由にやるには困ることだからな。評判が落ちれば、どんなに金を稼いでいても、結婚する羽目になる。だから必死にもなるさ。それに私に貸しを作れるのは嬉しいことだろう」
ブリュノはかすかに笑った。
もちろん、それだけではないだろう。仲の良い家族のこと、セーレの悪い噂の元を立ちたい、そしてブリュノの手助けをしたい、そう思うのは当たり前のことだろう。
「これは、街のブラックマーケットで売られていた、秘薬だ。違法の薬で、作っても買っても、厳罰に処される」
「・・・それが、なぜここに?」
「売った者と買った者がいたからさ」
「買った・・・それは、身近に、ということですか」
「そういうことになるな。売った者はすでに牢に入っているが、買った者は何人といる。一人一人、追いかけている最中だ。その中にエマール家の使用人もいてな。エマール家は捜査に全面協力することになったんだ」
俺は首を傾げた。
「・・・ショーンは俺の護衛では?」
「護衛? お前の? 何のために?」
「俺を・・・殺したいとか?」
「一対一でお前に敵うやつがそうそういるとも思えないが・・・聞いてないのか」
「・・・あいつ・・・」
「担がれたな」
ブリュノが笑った。
「だから変な顔をしてたのか。ショーンは相変わらず、人を煙に巻くのが好きだな・・・」
「はた迷惑な・・・」
「いいや。敵を欺くにはまず味方から、ということなんだろう。対象に警戒されたり、逃げられたりしたら困るからな」
言いながらブリュノがかすかに眉を上げ、俺を見て、スミレの瓶を指差した。
「これは何の効果があると思う?」
「・・・何の効果があるんですか」
俺はブリュノの指先を見つめて考えた。
魅了、・・・つけると美人になれるとか?
「”魅了”は、自分が言ったことを、相手に信じ込ませることができる。こんな風に」
ブリュノはその瓶の蓋を開け、俺に嗅がせた。
スミレの柔らかい香りが鼻をくすぐる。
「”ショーンがルイを手助けするのは、セーレを陰ながら思っているからで、もしルイが失敗し、失脚せざるをえないことがあれば、ショーンが自ら手を挙げ、セーレと結婚したいと思っている”」
それはまるで、魔法のように頭に響いた。はっきりと、俺の頭に刻まれ、それが真実だと、俺は信じた。
「・・・ショーンは、応援すると言っておきながら、俺に嘘をついていたのか・・・」
俺が青ざめて拳を握ると、ブリュノは肩をすくめた。そして、”ラベンダー”の瓶の蓋を開け、俺の花の前に持ってきた。
ふわりと心地よい、静かな香りが鼻腔を満たした。しばらくその香りに酔いしれる。
ショーンが俺を裏切っているなんて・・・
「・・・え?」
それはありえない。
俺は頭をひねった。
いくら何でも、それはない。ショーンならば、いつだって、セレスティーヌを手に入れることができる。俺が失脚するのを待つ必要はない。
「ショーンはセーレを友達としか思っていない」
俺は呟いた。ブリュノは頷いた。
「どんな気分だ?」
「・・・最悪です」
「どうして」
「一瞬でも、友人を疑い、・・・しかもそれは嘘だ。あなたが適当に考えついた、嘘だ・・・」
俺の言葉に、ブリュノは淡々と頷いた。
「そうだ。でも、信じたのは、この薬のせいだ。そして、さっきも言ったように、この”ラベンダー”が”解毒剤”だ。嗅ぐことでかかるものは、嗅ぐことで治る」




